フェイス

旧約の聖徒はエロヒム属により完成される-「神化」神学の問題点-

いま、フェイスとは・・・で始まるヘブル書11章。旧約のいわゆる信仰の偉人たちのリストである。彼らを見てあなたはどう感じるであろうか。ああ、私など凡人の及ぶところではないと・・・。が、よく読んでほしい。最後の節にこうある-

さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちを外しては彼らが全うされることはない。-Heb 11:39-40

英語では、彼らは”without us”では完成されないのだ! WOW! 裏を返せば、われわれにより完成される。自分をこの英雄の業と比較してみよ。とてもではないが太刀打ちできない、と感じるであろう。しかし、主もこう言われる-

あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。-Luke 7:28

お分かりだろうか。これは業の問題ではない、存在の問題である。旧約の英雄たちは信仰によって義とされ、証しされたが、「約束のもの」は受けなかった。それは何か?

いのちである。ZOE、非受造のYHWHエロヒムのいのちである。エデンの園において善悪を知る知識の木と永遠のいのちがあった。YHWHエロヒムは人類にどちらを採ってほしかったのであろうか? アダムは種に従って創造されたのではない。YHWHエロヒムの形(image)と様(likeness)に従って創造された。すなわちYHWHエロヒムのimager(Dr.Heiser)であり、mirror(The Mirror Bible)であるはずだったのだ。しかし・・・・。

このいのちの実体として、YHWHエロヒムのサブスタンスが形をとって宿った存在として、YHWHのロゴスなるジーザスは人間性を取られた。そして死と復活を経て贖いを終え、昇天、着座された。この全プロセスにはわれわれも含まれている(☞包括の原理について)。

それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。
 それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。
 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び無効となり、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。
 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。-Rom 6:3-8

それは完了した(John 19:30)。これこそが、旧約の聖徒とわれわれを区別するキーワードである。われわれはキリストに「結びついて」、キリストの経験をすべてシェアしているのだ。この単語は”sunphutos”、”sun”(共に)+”phuo”(発芽する・成長する)である。KJVでは”implanted together”、「共に植え込まれた」である。

キリストの内に〔こそ〕神性の全き充満が形態化して宿っており、あなたがたはキリスト-すなわちあらゆる支配と権威の頭-にあって満々と満たされているのだから。-Col 2:9-10(岩波訳)

極私的にはAmplified Classicの訳を好んでいる-

For in Him the whole fullness of Deity (the Godhead) continues to dwell in bodily form [giving complete expression of the divine nature].10 And you [f]are in Him, made full and having come to fullness of life [in Christ you too are filled with the Godhead—Father, Son and Holy Spirit—and reach full spiritual stature]. And He is the Head of all rule and authority [of every angelic principality and power].

この[f]とある注はVincentによるものだが、次のようにある―

Rev., made full…. Not, ye are made full in Him, but ye are in Him, made full. In Him dwells the fullness; being in Him, ye are filled.

詳訳聖書も参考までに紹介しておく-

というのは、彼のうちにこそ神性の全充満<神という方>が肉体の形をもっていつまでも宿られる<神性の完全な表現がなされている>からです。そしてあなたがたは彼のうちにあり、満ち満ちた者とされる<満ち満ちたいのちになる>のです<<キリストにあってあなたがたもまた、神、すなわち父、子、聖霊に満たされ、霊的に完全な身たけに達するのです>>。また、彼は、すべての支配と権威<あらゆる天使的主権と力>のかしらです。

このキリストの内にインプラントされることにより、YHWHエロヒムのいのち、ZOEにより満たされ、完成されているのだ。それは業の問題ではなく、存在の問題である。まさに、これを旧約の偉人たちは得ることができなかったのだ。

エクレシアはすべてにおいてすべてを満たす方の充満である。-Eph 1:23

東方キリスト教では、西方キリスト教神学で言う「聖化(sanctification)」に代えて「神化(Theosis;Deification)」と呼ぶ。ウォッチマン・ニーの正当な後継者であり現代唯一の預言者と自称したウイットネス・リーは、「神性と人性が混ざり合って(mingling)、教会は礼拝対象としての神格を持たない神になる(さらに、父・子・聖霊と教会は四位一体であるとまで!)」と説いた。「二性を混ぜる」とか「神格を持たない神」とはほとんど意味不明である。

彼も白いキリスト教のマトリックスをエクソダスできていなかったのだ。エロヒムを「神・God」と、YHWHを「主・LORD」としたことが罠である。エロヒムとは霊的生命体の分類名(ドメイン)である。

All beings called elohim in the Hebrew Bible share a certain characteristic: they all inhabit the non-human realm. By nature, elohim are not part of the world of humankind, the world of ordinary embodiment. Elohim—as a term—indicates residence, not a set of attributes; it identifies the proper domain of the entity it describes. Yahweh, the lesser gods of His council, angels, demons, and the disembodied dead all inhabit the spiritual world.

https://theremnantradio.com/wp-content/uploads/2019/12/Theosis.pdf

エロヒムには諸々の霊的エンティティが存在する。その中の最も高きエロヒムがYHWHである。Yahawehと母音を振っておくが、この霊的存在が、父・子・聖霊にいますエロヒムである。YHWHはエロヒムであるが、エロヒムだからと言ってYHWHとは言えない1)“YHWH”は最高位のエロヒム(創造主)の固有名詞であり、”エロヒム”は属(メタ)概念である。”LUKE”は私の名称であるが、”人類”はメタ概念であるのと同様である。。この概念は白いキリスト教では無視されている。これが白いキリスト教の諸問題のルーツでもある。

すなわち、われわれキリストの死と復活にインプラントされて霊が再生され、YHWHの霊的DNAをインヒュージョンされた者は、エロヒムなのだ(正確にはわれわれの霊)。Dr.Heiserも「現経綸ではこの神聖な霊が肉(flesh=体と魂)の中に埋もれている」と言う(☞Do We Become Gods? A look at Theosis with Dr. Michael Heiser)。

われわれ(の霊)はYHWHエロヒムのDNAをインプラントされたエロヒムであり、YHWHとはパースンは異なるが、同じ生命体として存在している。これはヨハネ10章においてジーザスが証しされる通りである-

神のロゴスを内在化された者たちはエロヒムと呼ばれている。-John 10:35

HRBにおいてはこの個所についてこう注釈する-

It is the wonderful potential of human beings to repent of their sins and be baptized in the family name of YHWH and have an elder lay hands on them for the receiving of the Ruach H’Chodesh (Holy Spirit) and become a literal child of Elohim.

Dr.Heiserは次のように言う―

エロヒムを「神々」と訳してはならないのだ。ヘブル語の生の意味で理解する必要がある。使徒たちはこう証ししている-

神から生まれた存在は皆、罪を犯しません。神の種がこの存在の内にいつもあるからです。この存在は神から生まれたので、罪を犯すことができません。-1John 3:92)存在としたが、原語は”pas”、「すべて」である。

ここを「人」とすることが罠であることはすでに指摘している(☞神の新創造:神の霊的遺伝子工学)。

御父は、御心のままに、真理の言葉(ロゴス)によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。-James 1:8

イエスがメシアであると信じる存在(pas)は皆、神から生まれたました。-1John 5:1

信じる機能は私の肉(soul-body complex=魂・体複合体)のものではなく、霊のものである(☞フォティーゾ:霊的光の感光)。ここで重要なのは霊と魂の分離である(☞霊と魂の分離について)。フェイス(何度も言うが「信仰」とは言いたくない、あえて言えば「信」あるいは「信覚」)とは「我はナントカを信ず~」と言ったものではない。

いま、フェイスとは望まれるサブスタンス(実体・実質)、まだ観測されていないことのエビデンス(証拠・現出)である。-Heb 11:1(私訳)

われわれニュークリーチャーはその実質としてZOEをインプラントされているエロヒム属である。ただし、魂はメタモルフォーシスによりキリストのそれに同形化されつつあるが、体の贖いは携挙の時である。霊はすでに(already)神性をシェアするパーフェクトな存在、魂はキリストのそれを再現しつつあり(being)、体は未来においてキリストの霊の体と同じ体に変えられる(will be)。この三つの時制が、時空間にあって生きているエクレシアの理解には不可欠である。

被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。-Rom 8:233)新改訳では”霊”をほとんど御霊と訳すが、新共同訳では人の霊なのか御霊なのか区別がつかない場合は”霊”とする。実際、新約において明らかに聖霊を示すと分かるのは20数か所だけである。

かくしてYHWHエロヒムのロゴス(sperm,種、DNA)を撒くとき、われわれはエロヒム属を刈り取る。こうしてエロヒムが増殖するのである(☞エロヒムの増殖)。

この頭の働きにより・・・神の成長を成長する。-Col 2:19(田川訳、岩波訳注)

これは「神」ではなくエロヒムが適切であることは言うまでもないが。これこそがYHWHエロヒムのエコノミーである。

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1. “YHWH”は最高位のエロヒム(創造主)の固有名詞であり、”エロヒム”は属(メタ)概念である。”LUKE”は私の名称であるが、”人類”はメタ概念であるのと同様である。
2. 存在としたが、原語は”pas”、「すべて」である。
3. 新改訳では”霊”をほとんど御霊と訳すが、新共同訳では人の霊なのか御霊なのか区別がつかない場合は”霊”とする。実際、新約において明らかに聖霊を示すと分かるのは20数か所だけである。
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