Dr.Lukeの一言映画評:『峠 最後のサムライ』

再び鎌倉巡りをと思っていたが、マンションの会議があることを想い出し、鎌倉巡りはお預け。結局、映画を。”TOP GUN”から様変わりのコレ、戊辰戦争時に武士の魂を貫こうとした男、河井継之助の物語。長岡藩の存亡をかけて中立主義を貫こうとしたが、失敗。やむを得ず戦火に巻き込まれて、敗退。逆賊の汚名を着せられ、最期は流れ弾を受けて破傷風で、というやや惨めな結末。

あの時代、日本が二分され、討幕派か佐幕派、西軍か東軍かどちらに就くかで命運が決まった。結局のところ時代の流れは薩長に味方するわけだが、はっきり言って彼らは武士の大義を放り投げ時流に乗るだけのヤクザ的集団。明治維新は司馬遼太郎が描くような高潔なものではなかったのだ。

裏には欧米各国の思惑が渦巻いており、「坂本龍馬」も脚色された英雄、その筋から資金援助を受けてその思惑のために利用された。その後、日本では男が男としての矜持を貫くことはできなくなった。

岸田秀の言う、外的自我と内的自我に分裂した日本は、西欧諸国、特に日本の魂を破壊したアメリカに復讐を果たすべく富国強兵、日清、日露、WW1、WW2と戦争に突っ込み、唯一アメリカ本土を空爆した国となるも、最後は原爆で壊滅。それ以後、牙を抜かれたまま米の属国として今日まで生き延びているわけだ[1]ぼくの歴史観は東京裁判史観でも皇国史観でもない。精神病理史観である。

私は、日本はアメリカの超長期的対日政策により、開国=政治的去勢、原爆=軍事的去勢、バブル崩壊=経済的去勢、原発事故=倫理的去勢と、4回去勢されてエディプス葛藤において挫折していると診ている。だからもはや自立はできないのだ。今後、中国と米国の覇権争いの狭間で、ちょうど河井継之助の如く中立を貫こうとするも、最後はどちらかに飲まれていくのかもしれないと、近未来ニッポンの映像を見た感じがした作品であった。

ニッポンはすでにこの記事で予測したとおり、希望と展望の喪失、経済の停滞、少子化など生命力の枯渇を呈して来ており、分裂病の末期である陰性症状期に入っていると見えるのだ。

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1 ぼくの歴史観は東京裁判史観でも皇国史観でもない。精神病理史観である。

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