教団教職制度はニコライ派であり偶像である

マトリックス(HB:rechem)とは子宮、その中はもっとも安心で快適な場。狭い参道を通り世に出されることはサブコンシャスの領域に喪失感とトラウマを生む(オットー・ランクの「出生外傷説」)。

人はそれらを補償し、再獲得するために自分にとって快適な領域を作ろうとする[1] … Continue reading。正常ならば家庭や共同体、さらに社会的地位。病理的になると麻原やジャニー喜多川の組織。彼らのマイ・ワールドはまさに彼らにとってのマトリックス。キ業界のナントカ先生のキョーカイやキョーダンなども同じだ。

そこは自分が安心できる快適な空間であり、「神」として君臨できる領域だ。問題はそのマトリックスに巻き込まれ、マニュピレートされ搾取される人々が必ずいること。明確なカルト組織までいかずとも会社などでもこの種の現象は起き得る。

さらに「高い塔を建て、有名になって、散らされないようにしよう」とする動機は必ず聖霊と本質的に対立する。それがニコライ派であり、よってイエシュア自身が憎みかつ戦うとまで言われるのだ。ここで「ニコライ=ニカオ(管理・支配する)+ラオス(一般人・民衆)」であり、啓示録の七つの教会のエペソ(好ましいの意)においてすでに侵入し、ペルガモ(結合・結婚の意)で確立している。ペルガモにはサタンの座が据えられているのだ。

真の安心できる快適な領域とは良き地なるキリストご自身であり、他に求めることはまさに偶像礼拝である。つまり麻原やジャニー喜多川のみでなく、キ業界の教職教団制度も立派な偶像である。

ゆえに終わりの時代、裁かれて打ち倒される前にセコンド・エクソダスせよ、と主は語っておられる。残りたい人はご自由にどうぞではある。それは各自の決断に任されているゆえに、かの日に言い逃れはできない。

かくして現代はふるい分けの時代である。

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1 子宮復帰願望。そもそもエデンの園から放逐されたことが原初的トラウマである。私はIPPAの喪失と呼んでいる。Identity,Provision,Protection,Assignmentの喪失である。人類の営みと歴史はそれらの自力による再獲得のもがきと言える。

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