時空を超えるエンタグルメント現象-局所的実在性の否定-

今晩は中秋の満月だ。美しく月が光っている。ちょっと宇宙に思いを馳せてみた。

一部のクリに「宇宙は存在しない」とか、「地球が平らだ」とかのたまうむきがある。ほぼ相手にするまでもないのだが、これまでサイエンスの先人に対する冒とくである。またキリストの名を貶めることにもなる。

さて、もっと突き詰めると、「存在って何か」ってことにぶち当たる。量子論のレベルで、ベルの不等式がアスペにより否定されたことによって、局所的実在性が否定された。いわゆるエンタグルメント現象である。量子コーチなるものはせめてこの程度の知識は得てからにしてほしい。

すると次のような主張も重みが出るのだ。

EMAN氏はこう述べている(https://eman-physics.net/quantum/bell.html):

舞台裏に何がある
我々の生存,いや我々だけでなく,全ての存在の舞台となっているこの宇宙.その舞台裏に,離れた 2 点間の状態を「同時」に操る仕組みが存在している.この「同時」というのは,我々が考える時間の概念を超越した意味での「同時」だ.なぜなら時間は,現在の理解の枠組みでは,この宇宙という舞台の一部であるから.・・・

個人的な思索
私は物理を離れたところでふと思う.私は宇宙の片隅にいるちっぽけな存在に過ぎないが,私が取った行動,決断,思いの全てが,即座に全宇宙のあらゆる場所に何らかの影響を与えているのではないだろうか.この宇宙は巨大で複雑な「生き残り頭脳ゲーム」のようなもので,私は普段の生活で何の気も無しに重要なレバーを引っ張っていることがあるのかも知れない.
あるいはこんなことを思ったりする.
私は今ここにいて,この小さな身体が私の全てだと思っているが,この私という存在は,全宇宙が複雑な組み合わせによって,この場所に作り出した影のようなものに過ぎないのではないだろうか.私をここに生かすために全宇宙規模で複雑な計算が行われている.私の本体は全宇宙であり,私の意志はどこか別のところで全宇宙を用いて決定されているのかも知れない.

この「仕組み」とは何か?聖書ではこう答えている:

” Through faith we understand that the worlds were framed by the word of God, so that things which are seen were not made of things which do appear. ”-Heb 11:3(KJV)

「信によって我々は、此の世が神の言葉によって整えられたのだ、と理解している。すなわち見える事象は(表面に)現れた現象から生じたわけではない。」同田川訳

 「 信によって、この世が神の言葉によって造られたこと、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。」同岩波訳(信に訂正)

世とはアイオン、言葉はレーマだ。つまり神のレーマは時空間を超える存在(サブスタンス)。これが時空間においてフレーム化(物質として実体化)されたと言うわけ。

まさにベル不等式のほころびはこの時空間を超える「仕組み」-マトリックス-を想定せざるを得ないのだ。

なお、フェイス(pistis)を「信仰」などとすることなかれ。それは五感を超えるスーパーナチュラルにしてスピリチュアルなシックスセンスである。「使徒信条告白~、われはナントカを信ず~」なんてものではないからさ。私たちニュークリーチャーは時空を超えたスピリチュアル領域でキリストとエンタグルメントしているのだ。

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