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映画の観方

私は映画に関してはあまりうるさいことを言うつもりはなく、あくまでもヴァーチャルな世界でのカタルシスのあるものを面白いと感じる次第。ところが宮台真司氏が昨年の映画について、とても面白い批評をしているので紹介しておこう(→記事)。彼は社会学者(と思うが)、女子高生を調査してあの「援助交際」と言う単語を発案した人物である。自然科学者としての私の見方とはかなり違うのがとても新鮮に感じる。

共有できる印象は、私も若い諸君との触れ合いが多いので、彼らの脊髄反射性。これは実にそのとおり。彼らの行動原理は、足の筋肉に電気を流されて、ピクピクするだけのガルバーニのカエルと同じだ。認知的情報処理とか、世界モデルの構築とか、価値観の体系の構築とか、いっさい欠如している。そこには文脈がない、あるいは氏の指摘されるとおり「関係性の欠如」。それは「時間性の違い」によると。かくして前にも述べた唐突性、あるいは日常の時間の流れに突如として侵入する形の犯罪が増加しているのだ。今日もまたストーカーまがいの男が若い女性を射殺したというニュースが流れた。

昨日テレビで昨年の春公開された『バブルへGO!!!』を放送していたので、再度観たのだが、1990年に2007年からタイムトラベルするだけで、言葉、ファッション、時間感覚が違っているのだ。当時のワンレンボディコン女性に向かって言う台詞、「眉毛、太っ!服はピチピチだし・・・」には笑えるが、当時はあれが時代の最先端。

また例えばケイタイ。当時は待ち合わせに際して、「新宿の西口交番で」とか、「六本木のアマンドで」とか、きわめて詳細に場所を指定するわけだが、現代の子は、「駅に着いたら電話するね」でお終い。今でもおじさんたちはケイタイを使って待ち合わせ場所を細かく決めているのだが(笑)。私も若い子と待ち合わせる時にはややとまどうわけ。「じゃあ、着いたら電話するね」。これが現代の時空間の感覚だ。

しかも目的地に向かう途中でもケイタイで話ができるし、メールを送れる。「今○○駅・・・」とか。で、着いてから「今何処?」とかケイタイかけると何のことはない、2㍍先にいたとか・・・。またよくあるネタに、喫茶店(っと、これは死語)カフェにて向かって会っている男女がケイタイでメールのやり取りで会話してるとか・・・。かくしてこの距離感の違いが現代と当時ではかなり大きいのだ。

ALWAYS-続三丁目の夕日-』については氏はこれは現実の昭和30年代を描いたものではないとする。氏はやはり人間関係における「距離の概念」に基づいて、当時と現代を評されており、この作品は当時の距離感ではなく、現代の距離感であるとするが、なるほど、それは確かにそのとおりだ。しかし映画ですからね・・・。

というわけで、自分とは違った世界観に生きている人々の目(フィルター)を通して観ると、また同じ対象が新鮮に見えてくるものだ。映画ファンにはご一読をお薦めします。

サンダーシングの霊性

愛知県のさっちゃんが同氏のことばを紹介してくださってからちょっと関心を持っていますが、何と救世軍の山谷少佐のサイトでも紹介されておりました。

インドの聖者サドゥー・サンダー・シング師

ちょっと引用させていただきますと:

熱心なシーク教徒であったシング師は、聖書を破り捨てるほどキリスト教が嫌いでしたが、ある日、復活のイエスと直接会う、という神秘体験をして全く回心し、イエスを心から愛し、身を献げ、イエスに仕える者に変えられました。

インドを愛したシング師は、西欧流のキリスト教ではなく、東洋の霊性に通じるイエスを再発見し、自分の生活と伝道のスタイルに、インドの行者サドゥーの形式を採り入れました。

イエスの福音を携えてインドとネパールを巡回するうち、シング師は「インドの隠れたクリスチャンの兄弟団─サニヤシン・ミッション」と遭遇します。彼らは、使徒トマスのインド伝道によって土台を据えられ、宣教師ウイリアム・ケアリーの活動によってリバイバルを経験し、以来、インドに土着した秘密キリスト教団として活動していたのでした。彼らは高位のバラモン僧や知識人に接近し、救い主イエスを紹介して、ひそかな改宗者を獲得していました。

シング師はさらに導かれてヒマラヤ山中に入り、チベット仏教の寺院の中で、イエスの福音を記した巻物を発見します。古代のネストリウス派宣教師たちが、千数百年も前にすでにチベットで福音を宣べ伝えていた痕跡を発見したのです。

そしてついに、ヒマラヤのとある洞穴で、シング師は、クリスチャンの行者に出会います。中近東出身のこの行者は主の召しを受け、世界の屋根である最高峰に登って、全人類の救いを求めて執り成すよう命じられ、長い年月を洞穴にこもって祈り続けて来たのでした。年齢百数十歳を超える行者は、東洋においてひそかに進行しているイエスの救いの計画について、シング師に光を与えたのでした。

シング師は西欧諸国の教会から招待され、教会指導者やメディアにインドにおけるイエスの救いを明らかにすると共に、ケズイック集会などで講演しました。その著作は、今日もCLCなどの福音主義系出版社から刊行され、世界のクリスチャンたちに光を提供しています。

西洋キリスト教ではなく、東洋的な霊性をキリストに見出したというあたりは、ウォッチマン・ニーとも通じる感じがしますし、私的には大いに惹かれるところです。さっちゃんも紹介記事を書いてくださっていますし、ちょっと楽しみです。

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