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トップ > 2008年01月17日

どうも最近は裏が表で表が裏かも

製紙会社の紙に再生紙を40%入れるべきところ、少なく入れていたというわけで、品質が基準と違うとして謝罪会見。会社側は品質を高めるための措置だったとのこと・・・。これってどうなのでしょうか。金貨の金の率を60%にすべきところ、80%にしていたと言うわけで糾弾される・・・。不思議だ。まあ、80%入れて表示を60%としたら確かに不当表示なのだが、含有率は高いのだ!?法律を作りまた守ることの目的はどこにあるのだろう?これも倒錯現象のひとつかもしれませんが。

PS.どうも「2ちゃんねる」では山谷さんは統合失調症(精神分裂病)、私も「神」と言う妄想を持つ妄想病患者と診断されているようですね・・・sigh。こんな投稿がありました。ローカルチャーチの関係者でしょうか。サンプルとして収集しておきましょう。

286 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2008/01/17(木) 15:16:13 ID:wKQW+lJn
>>281
地方教会系のサイトもよく読んだ?
唐沢さんのブログは、
よく言えば彼の勘違いと誤解と思い込みと憶測と願望を
彼の特徴である誤解を招く表現で綴った拙い作文。
悪く言えば歪曲と捏造と恣意的な決めつけを
思わせぶりな書き方で書きなぐった戯れ言。
まともに受け取るほうがどうかしてる。
結論はゆっくり出してみてはいかがかな?

まあ、確かに"IDLE UTTERANCE"なわけですが・・・。妄想病患者の(中国の情報工作員でもある)私の提示している情報がこのとおりならば、放置でいいでしょうに。これはCTについても言えるのですが。分裂病者の山谷さんが提示している情報など放置でいいでしょうに。CTもLCも血相変えて何ゆえ裁判までちらつかせたのか?不可解ですねぇ。(しかしこの空間は実に興味深い空間ではある。)

サンダー・シングのことば

愛知県のさっちゃんがご紹介して下さっています。不思議ですね、西洋キリスト教ではまず聞くことができない、深い安堵を覚えることばです。ちょっと転載を・・・(さっちゃん、よろしく)

神との交わりとは、私たちの中に神があり、神の中にわたしたちがいるということである。とはいえ、これによってわれわれの個別性が失われるわけではない。鉄が火の中に置かれれば、鉄の中に火がおこる。だからといって鉄が火になるわけでも、火が鉄になるわけでもない。

わたしはどこの教派にも属さない。わたしはただのクリスチャンである。教派主義が争い事を呼ぶ。

キリスト者は塩のようなものでなければならぬ。塩は溶けてはじめて効き目をあらわす。自己犠牲にこそ、訴える力はある。

福音というミルクは飲むものであり、分析すべきものではない。分析しているうちにミルクは腐ってしまう。

われわれは罪深い世界に生きているが、それでも、心にイエスを持てば罪に汚されずに済む。それは、塩水の中に住む魚が、塩化しないのと同じである。それは生命を持っているからである。そのようにわれわれが、主から生命を受けていれば、この世にあっても、この世のものではない。この世ばかりか、天においてもわれわれは主の中に自分を見る。

今われわれは、富も地位も名誉も望まない。いや、天国さえも望まない。ただ、自分の心を天に変えしめた主のみを必要とする。主の無限の御愛は、それ以外のすべてのものに向けられる愛を一掃した。クリスチャンと呼ばれる人々の中に、主の尊い、生命を与える臨在感を実感できない人々が多いのは、キリストが彼らの頭や聖書の中に生きているだけで、心の中に生きていないからである。人は心を明け渡す時のみ、主を見出す。心[ハート]はキリストの王座である。王たるキリストの支配する心(ハート)こそ、天の都である。

 神の化肉について

かつて、ヒマラヤ山中にいた時、わたしはサトレジュ河を渡ろうとしたが、橋がなかった。とても泳いで渡れるところではなかった。どうしたものかと考えていた時、一人の男を見つけたので、彼に声をかけた。

「向こう岸に行きたいのだが、橋もなければ船もないのです。」すると彼は、「心配ない。空気が向こう岸につれてってくれるさ」と答えたので、私はびっくりした。空気を吸うことは出来るが、吸った空気で体が持ち上がり、対岸にいけるわけでもない。すると相手は獣皮をとりだして、空気をそこに吹き込み、ゴムボートにしてそれに乗れと命じたのである。こうして私は安全に向こう岸に辿りつけた。空気は皮の中に閉じ込められることによってのみ、私を運ぶことができた。

同じく、神もまた、人を救うために受肉されなければならなかったのである。いのちは言葉となった。その方はこの世の河を渡りたいと願う人々を安全に天国へ運んでくださる。

「わたしを見たものは、すなわち父をみたのである。」われわれは、イエス・キリストの化肉の中に、生ける父を見ることができる。

世を救うために、全能の神自らが化肉されたのは、まさにその愛のためなのです。

ただのクリスチャン」-実にいいことばです。

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