民主党の実質的指導者小沢氏が「キリスト教は排他的で独善的宗教であり、ソレに基づく西洋文明はすでに行き詰っている。イスラム教の方がまだマシだ」と語っている。実にそのとおり。特に現在のニッポンキリスト教を見るならば、ご自分の説の証明事例を多数見ることができよう。そこにあるのは、搾取する牧師たちと敵意と憎しみ、裁判に次ぐ裁判。判決が出てもなお因縁は続く。自分は正義、相手は悪。いかなる手法を持っても敵のスキャンダルを暴き、徹底的に叩く・・・。嗚呼、いつまで続く泥沼ぞ、と嘆息するのみ。
(陰の声:それにしてもネタが尽きないギョウカイではある・・・)
しばしば、愛を強調するところに愛はない。正義を強調するところに正義はない。自由と平等を主張するところに、自由と平等はない。個人のプライバシーを主張するところに個人のプライバシーはない。つまりないからあえて主張するわけだ。愛と赦しのキリスト教。そこには愛も赦しもない。裁きと断罪の歴史。人間は歴史から学ぶことはどうも決してないようだ。そして本質的にキリスト教は病んだ人間を生み出す。
善であれ、悪であれ、十字架から離れたそれらは同じ平面上にある。たまたまの力学でどっちに転ぶかの問題に過ぎない。何度も繰り返しているが、ナザレのあのイエスご自身はキリスト教の開祖でもなければ、教祖でもなく、ましてキリスト教を組織するために来られたのでもない。彼は私たちを善と悪の平面からいのちの平面へと解き放つために、ご自身の身体を裂いて、そのうちにあったいのちを解き放ってくださったのだ。真のいのちの福音にとって最大の敵は、実はキリスト教そのものなのだ。
キリスト教は小沢氏の言うように行き詰っているどころか、すでに自己免疫疾患に罹患し、自分を自分で食い潰している。ソドム・エジプト化したそのギョウカイにはまもなく神の御手が置かれるだろう。心ある人々よ、可及的速やかにそこを離れよ!
追記:この件、けっこうあちこちで物議をかもしているようです。が、Dr.Luke的にはキリスト教がいかに罵倒されても、関係ないというところがホンネ。イエスご自身については弁明の機会があればいくらでもするつもりであるが。キリスト教は、ニーチェが言うとおり、邪教です。よって、ニッポンキリスト教からも、離れよ、ではなく、逃げよ、逃げよ、と言いたいところだ。ロトの妻のようにいのちを損なう苦味だけの塩の柱にされないように。