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トップ > 2015年03月13日

神の子となること

電気屋さんのコメントにある「神の子は神」に触発されて、ちょっと検討してみたい。

アダムは吹き込まれた神の霊によって生きる魂とされた(Gen 2:7)。が、その霊は罪のために死んだ(Eph 2:1)。イエスを信じた私たちは神の子となる権利を得て(John 1:12)、霊が御霊によって生まれた存在だ(John 3:5-6)。その霊の中には聖霊が住まい(John 14:16)、同時に御父と御子が住まわれる(John 14:23)。こうして三にして一なる神が私たちを住まいとする(Eph 2:22)。この意味で私たちの霊は神に由来し、神のいのち(ゾーエ)を得て、神的な存在あるいは神の子と言える。神の新創造(a new creature)である(2Cor 5:17)。

一方、魂(思い・感情・意志)は旧創造に属する体の大脳とシンクロして働き、アダムにあった頃の罪の痕跡・傷などを受けている。そのため、霊の内なる神が魂を通して十分に表現されない。特に思い(マインド)が真理を拒絶し、神に敵対することが多い。よって栄光から栄光へと御子と同型化されるためには(2Cor 3:18)、マインドがトランスフォームされる必要がある(Rom 12:1-2)。このトランスフォームの原語は"metamorphoo"であり、変貌の山で主が変貌されたのと同じ単語だ。神の栄光を現すためにはトランスフォーメーションが必要なのだ。そして肉体についてはもろに旧創造であり、これはかの日に瞬時に変えられる(1Cor 15:51)。これが神の子たちの現れ、究極の望みである(Rom 8:19)。

このように見ると、私たちの霊は神的存在であり、神ご自身が住まわれている。が、この霊を神と呼ぶことは極私的には抵抗がある。ウイットネス・リーなどは魂の造り変えを「人が神になること」としている*1。ただし、神格においてではなく、いのちと性質においてであると留保しているが。カトリックでは「受肉の延長」なる神学があり、神化と称する。東方ではもろ神化である。キリストは二性一人格とされ、そのパースンは父の懐のいた御子そのものである。私たちはそのお方と同型化される過程にあり、いずれ直接にお会いするときにはイエスに似る者とされるとある(1John 3:2)。「似る」は"homoios"であり、Strongによると"similar"である。つまり魂は御子のパースンそのものとされるわけではない。性質を共有するのだ。あえて「神になる」と表現する必要はないであろう。

しかしながら、内なる神が語る言葉を私たちのマインドが把握して、私たちの口から語り出すとき、それは神のレーマを語り出すことになる。ゆえにその言葉は何かをなし得るのだ*2。癒し、しるし、不思議、奇跡などを。私自身が自分の免疫系にイエスの名によって命じることによりこれを経験し、今や30年苦しんだ花粉症が跡形もなく消えた。さらには切断した指が再生されるとか、いわゆるcreaive miracleが報告されている。あるいは歯のクラウンが金に変わるとか。この種の話はかつての私は敬遠していたものだが・・・。この意味でクリスチャンは神的能力を得ている。事実、使徒行伝ではそのような証が満載であり、パウロのハンカチやペテロの影に触れるだけで病人が癒されていたとある。

ナチュラルとスーパーナチュラルの関わり。これは実に興味深い。ナチュラルな世界の法則を一旦停止して神が介入されることが奇跡である。対して癒しはすでに成し遂げられた十字架の業を適用することだ。もちろん聖霊が働いてくださるわけだから、これも神の介入があると言える。リベラルや高等批評などの立場ではとても認められないことであろう。私は別にカリスマ派や聖霊派を名乗っているわけではなく、あくまでもサイエンティストの立場から追求しているところなのだ。が、とにかく花粉症が消えている事態には、ある意味、自分自身でも困惑を覚えている。え!?何が起きたわけ?と・・・。

*1:一部のカリスマ系の人々もクリスチャンは「小さな神(little god)」であるとして、異端あるいはニューエイジ系とされている。Bill Johnsonなども同様に批判されている。
*2:このような理解と実行をWord of Faith運動として、一部の人々は異端だと断罪している。

DOMINION

今朝、与えられた言葉だ。最初のアダムと最後のアダムにして第二の人であるイエスについてはDr.Kさんがちょうど書いておられる。最初の人アダムは

われわれのかたちに、われわれに似せて人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう。-Gen 1:26

主なる神は土のちりで人を造り(=body)、命の息をその鼻に吹きいれられ(=spirit)た。そこで人は生きる魂(=soul)となった。-Gen 2:7

と創造された。つまり外的にも内的にも神の様を持ち、さらに神の霊を吹き込まれた存在。その時点でアダムはすでに神的な存在とされていた。神はこの時空間にご自身のような存在を置かれたのだ。ご自分を目に見える形として表現され、かつ全被造物を治める代理権威を与えた。いわばご自分の像であり分身だ。これが第一の人アダムであった。「治める」とある原語は"râdâh"、英語ではdominion、すなわち統治・支配である。しかし彼は失敗した。

そこで神のロゴスなる御子、つまり神のサブスタンスがマリアの胎に宿り(Heb 1:3)、肉体をとって地上に現出された(John 1:14、ここの原意は「幕屋を張った」)。彼は神であり、人である存在。が、あくまでも人として地上を生きられ、ご自身のアイデンティティーをその言葉と業によって証明され*1、最後のアダムとして十字架につけられた。その尊い血を流し、最初の人アダムの失敗と罪を贖い、旧創造を終わらせた。そして復活した。第二のアダム、復活の初穂として。かくして最初の人アダムが失ったすべてを贖われ、信じる者は神の国に霊によって誕生させ、そのうちに神が住まいを得られ、ご自身の得たすべてを嗣業として与えられた。私たちは新しい創造、十字架以前には存在していなかった種である。つまり私たちは最初の人アダム以上の存在なのだ。

神はモーセをパロに対して神(=Elohim)とされた(Exo 7:1)。パロはこの世の君、サタンの型であり、モーセは解放者キリストの型である。同時に私たちの型でもある。私たちキリストの復活のいのちを得ている存在はサタンに対して神とされているのである。クリスチャンはしばしばサタンを恐れるが、事実は逆。サタンはこの真理に目覚めさせないように偽りによってクリスチャンを拘束している。クリスチャンは天使をも裁く存在だ(1Cor 6:3)。われわれが霊から語り出す言葉は内なる神が語る言葉、レーマである。この言葉は霊であり、いのちであり、統治する権威を帯びている。私たちが信によって語り出すとき、霊的領域のサブスタンスがこの時空間に現出する。かくしてわれわれは神的能力を有する存在なのだ・・・。

と、ここまで語ると、そろそろ魂的な人のマインドは耐えられないと推測される(1Cor 2:14)。Dr.Lukeはやばいことを言い出したと言われる頃合と思われるので、一旦筆を置くことにしよう*2

*1:これは私たちの模範でもあった。彼の業、それ以上の業を私たちがなすために(John 14:12)。
*2:神が人になった、などの言明もノンクリスチャンには相当にやばいものだ。クリスチャンにとってはある意味当たり前なのだが、逆にこれが当たり前としてスルーされてしまう点がやばい。受肉の奥義はまことに深い。

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