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神の御心-いのちと統治

アダムには地と天における生物を治めることが命じられ、その権威を与えられた(Gen 1:26)。しかし彼は失敗し、権威を失った。時至り、最後のアダムとしてイエスが十字架で旧創造を終わらせ、復活により第二のアダムとして血によって贖ったその権威をわれわれエクレシアに与えられた。

また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました
神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。-Eph 1:19-22

そして命じておられる、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(Mark 16:15)。この造られたもの(Gk.ktisis)とは人間だけではない。全被造物のこと、英語では"every creature"である。すなわち、エペソ書にあるとおり、キリストはすべてのものを足の下に置いたのである。全被造物は呻きをもって神の子の出現を待っている(Rom 8:22)。一言で言って、福音とはイエスの御名の下に服させることだ。ゆえにわれわれは自然界をも統治する権威を有していることになる。これが下にある竜巻にイエスの名をもって命じる根拠である。ガンに対しても、花粉症に対しても、腰痛による足のシビレに対しても同様。

神の国はいのちと統治とかねてより言ってきた。いのちの面は相当に追求もしたが、統治の面は最近ようやく実際的に開かれてきた。われわれは新しい創造物、New Creatureであり、キリストと共に天に座しており、すべてのものを統治する権威を有している。クリスチャンのポテンシャルは計り知れないものがあるようだ。

続・語り出された言葉の力

不思議だ。花粉症がほとんど出ない。例年だとこの時期はもう地獄の苦しみなのだが。しかも今年は昨年よりも多いとのこと。とにかく12月のあれ以来、不思議なことばかりだ。しかし自分的にはいまだ半信半疑なのだ。私たちの口から出る言葉の力。まことに

死と生は舌(ことば)の力にある。どちらかを愛して、人はその実を食べる。-箴言18:21

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。-John 14:12-14

私たちのFaith(信)とは宗教ではないのだ!善と悪の平面上にはない*1。それは霊的領域に関わり、願う実体をそこからこの時空間に現出させる。その鍵は私たちの口から語り出されることばにある。

ちなみに2011年3月8日、私はここで"MAR. 11 2011, THE DAY IT'S COMING!"と語ってしまった*2。何かが来ることがわかったが、あれほどのものとは。こちらに最近の地震の状況図がある。注意するに越したことはない。

ファイル 4796-1.jpg

*1:神の御心を生きるためにビクビクする人たちが多い。御心から外れないようにとか、神に受け入れていただくためにとか、もっと言えば、裁かれないようにとか・・・。が、父は言われる、あなたはすでにわたしの心にかなう子、またわたしのものはすべてあなたのものだ。あなたはわたしに何を願うのか。わたしはあなたが喜ぶのを見たいのだ、と。
*2:当日の午前の記事では地震への警戒を書いている。

霊と魂の相克

ベニー・ヒンについての最近の発言を紹介しているが、やはり過敏な反応が出るようだ。最近注目しているビル・ジョンソンについても、アメリカでは偽預言者・異端・カルト・ニューエイジとかなり批難がある。さらには、ニール・アンダーソンについてすら、同様の批判が行われている。もっと言えば、英国のコリン・アーカートについてもだ。ここまでくると極私的には批判している側の資質を検討する必要があると思うのだ。ご存知のように私についても一部のニッポンキリスト教徒からカルトだ、異端だとされているわけで。

そしてこれはイエス自身が遭遇した事態なのだ。つまり、この地上に神が人となって現出され、水の上を歩いたり、パンを増やしたり、病人をことごとく癒し、死者を生き返らせたり、自分の肉を食べ、血を飲めと言ってみたり・・・、こういった事態がそのものが人の常識やパラダイムを揺すぶるのだ。人は自分の世界観やパラダイムに脅威を覚える場合、批判や攻撃性を見せる。メッセでも語ったが、聖書なる書物自体が元々ヤバイことを証している。キリスト教はその中の自分が受け入れることができる要素だけをつまみ食いして、いわゆる神学や文化や伝統を構築してきた。それはトランスフォームされていないマインドでも受け入れられる要素だけに基づいている。

たとえば、その体系の中では五つのパンで五千人を養うことは、神であるイエスにはできても、人間である自分たちには不可能とするのだ。ところがビル・ジョンソンなどは、いや、イエスはあくまでも人として業を行った。だから私たちもそれと同じ業、さらにはもっと大いなる業がなし得るとチャレンジする(John 14:12)。ここで人は自分のパラダイムにチャレンジを受けて、不安を覚えるのだ。そこでいろいろと議論を始め、さらには攻撃すら行う。これがトランスフォームされていない私たちのマインドの性向であり、パイサイ人や律法学者がしばしば行ったことだ。かくしてイエスは悪霊に憑かれているとか、果ては狂っているとまで非難されている。神のものはかくのごとく生まれながらの人間の魂にとっては決して受け入れらない。それは彼らにとっては愚かなもの、狂っているものだから。彼らの攻撃性の強さと彼らの内的不安とは正比例する*1

生まれながら(Gk.魂的)の人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、霊のことは霊によってわきまえるものだからです。-1Cor 2:14

かくして私たちのマインドは神に敵対するか(=肉におかれた思い)、神に服するかのどちらかに置かれる(=霊におかれた思い)。もし自分の魂のマインドを変えることを拒むのであれば、それはすなわち十字架を拒絶することであるが、それ以上の霊的進歩は止まる*2。もし十字架により自分の魂を否み、マインドのトランスフォーメーションを受けるのであれば、信仰は拡大され、さらに豊かな霊的領域に入りゆくことができる。十字架は自我を砕くとか叫ぶ場ではない。御言葉の真理と自分のマインドのどちらを選択するかを問われる場なのだ。絶えざるトランスフォーメーションによってのみ、神の深みへと入り込むことができる。神の深み!それは奥義また神秘である。

まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。-1Cor 2:9-10

*1:内的に安息している人は性急な結論は出さないものだ(1Cor 4:5)。
*2:この場合、延々と他者を批判また攻撃する、否、しないと自分を保てなくなる。

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