Utility

Calendar

< 2015.3 >
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
- - - - - - -

WORLD CLOCK

COUNTER

    Access.....
    Yesterday......
    Today.............

KF_SITE

FOR MEMBERS

KF_PODCAST

YOUTUBE ARCHIVE

OUR WORSHIP

TWITTER UPDATE

INSTAGRAM UPDATE

PRAY FOR ISRAEL

KINGDOM FAITH(UK)

NEW LIFE CHURCH(UK)

QRcode

BIBLE SEARCH

Entry Search

Recent Entry

Recent Comment

未承認
2017/08/07 18:42 未承認
Re:聖書をキリスト教から解放せよ!
2015/04/22 09:49 菊千代
Re:「当たり前」が崩れる時代
2015/04/20 07:42 Luke
Re:出版への状況
2015/04/20 07:41 Luke
Re:出版への状況
2015/04/19 21:55 toshi

Recent Trackback

PJ 高橋清隆氏の記事が出ていました。
2008/06/25 20:45 AAA植草一秀氏を応援するブログAAA
負のレガシー
2008/06/18 16:03 リチャードの日記
キリスト者とインターネット
2008/06/18 09:21 キリスト教 プロテスタント 聖書 信仰
キリスト者とインターネット
2008/06/18 09:12 キリスト教 プロテスタント 聖書 信仰
産声を上げたKFC、、、、、
2008/05/05 12:10 thelongstreamingully

タグ一覧

Link

Entry

トップ > 2015年03月22日

日々キリストにありて

ファイル 4821-1.jpg


ニール・アンダーソンによる黙想


 なるほど、あなたがたパリサイ人は、杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっぱいです(ルカ11:39)。

タルムードは古代のラビたちの書いたものですが、幽閉されたラビ・アキバの物語を記録しています。ラビ・ヨシュアが彼のもとに水を持ってきましたが、番兵がその水を半分こぼしてしまいました。洗うためにせよ、飲むためにせよ、あまりにも量が少なく、もしラビ・アキバがその水を宗教的洗浄のために用いると、水が足りないために死に直面することもありました。彼は考えました、「手を洗わずに食事する者は死に値する罪を犯すことになる。私は罪を犯すくらいなら、渇きで死んだほうがましだ」と。
 イエスはそのような考えを厳しく指弾しました、「目の見えぬ手引きども。あなたがたは、ぶよは、こして除くが、らくだはのみこんでいます」(マタイ23:24)。主は宗教的実行厳守に注意を置くとき、律法のもっとも重要な要点(たとえば、義とか憐れみなど)がおろそかにされることを指摘されたのです。これは神の永遠の法則を無視することになるのです。イエスは人々に自分の心を清めること、また手だけを清めるような指導者にならうことがないようにと注意されました。
 神の律法は人を解放し、保護するものです。それは悪しき者から私たちを守るために制限を与えます。指示を与える規則の一つひとつについては、神が与えた個人個人の能力によるのです。それらは私たちを目的からそれることがないようにガードし、組織を乱用する者から守るためのものです。
イエスが示した模範は次のとおりです:もし人々が、人生をより困難にしまた組織の目的に資することがない伝統的な実行に従うように命じられた場合、私たちは宗教的良心の問題として関わる必要はないのです。イエスはそのような伝統には従われませんでした。同時に弟子たちが従わないことについても擁護されたのです。

 主よ、私に律法は殺し、御霊はいのちを与えることを思い起こさせて下さり感謝します。今日、その自由の中に生きるように助けてください。

TODAY'S CELEBRATION 【Mar 22, 2015】

UPしました。

タイトルアイデンティティーにあるパワー

聖書箇所:ガラテヤ6:15;ルカ17:21;詩篇104:30;1コリント14:32など

3月29日のセレブ

 ・場所:横浜エスカル2F会議室
 ・時間:1300-1700
 ・Web:Kingdom Fellowship®

アイデンティティーについてはかつてかなり語りましたが、ここへきて新たな地平が開かれている次第。

ポータルが開く鍵-intimacy

イエスは言われた、わたしの名によって求めるものは何でもかなえてあげよう、と。これが実現する鍵は、「わたしの名によって」だ。祈りの最後にあたかも札をつけるように、「この小さき者の祈りを私たちの救い主イエスのお名前によって祈ります」と唱えることでは必ずしもない。その真の意味はintimacyだ。聖霊による主イエスとの交わりが深ければ深いほど、イエスの名によっての実質、サブスタンスが増し加わる。私たちのマインドの有様がキリストのマインドと一致するようになる。

イエスは父との関係において完全にひとつであったから、ラザロの復活のとき、あれだけの大見栄を切ることができた。「父よ、わたしの願いを聞き届けてくださったことを感謝します。いつもわたしの願いを聞いてくださることを知っています」と。この関係を主イエスと私たちに平行移動するとき、私たちの祈りもこれと同じ結果を生む。intimacy-人との関係も同じだが、まして神との関係においては本質的である。

追記:わたしの30年来の花粉症は跡形もなく消えた。毎朝、今日は出るんじゃないかと思っているのだが、本日のような晴天の花粉日よりでも、マスクを外していたが、出ない・・・。うーっむ。

Access: /Yesterday: /Today: