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Tag: 富

モチベーションがすべて

若い頃はカネが大きなモチベーションだった。クリスチャンではあったが、いわゆる「きよく・まずしく・うつくしく」といった宗教臭い生き方はまっぴらと思っていた。燃えた、そして稼いだ。それがプライドでもあり、パワーの源泉でもあった。若いうちはそれでよいのだ。カッコいい車に乗って彼女を作って、家を買って、家族を養って、と。若いうちはそれでいい。いや、そうであるべきなのだ。矢沢も言っている。若い頃はカネと女がすべて。しかし年を重ねると、カネは便利だが、それだけではないと分かるようになると。女との関係ももっとしっくりしたものになるとも。一度は目一杯稼ぐこと。

極私的には、人として「ひととおりのこと」を終えた今、カネはもはやモチベーションにならなくなった。つまり、カネそのものには燃えないのだ。いや、カネが不必要というのではない。神の国の拡大の為にはおおいに必要だ。つまりカネの位置づけが変わってしまったのだ。私は今、ケタを上げることを求めている。そしてすでに得ていることを知っている。すでに自分にとって必要な分はほんのわずかでよい。神の国の拡大のためにはケタを上げる必要がある。

FB創始者のザッカーバーグが持ち株の99%、5兆円を世界の子供たちのために寄付するとのこと。これ、実に爽快だ。英国のコリン・アーカートも、聖公会を辞め、自立的働きに入った頃は、完全に主に頼る生活を送りつつ、忠実に十分の一を捧げていたところ、ミニストリーが拡大し、本も売れた。そして今や、十分の一を自分のために残すようになった(お分かりですか?90%を捧げても豊かな生活ができるのだ!)。カネに憑かれて、自分のためにカネを取り置くことはその顔を卑しくする。カネはあっても貧相なのだ。

イエスはけっして貧しくはなかった。誕生の際、博士たちが献上した金(ゴールド)はどのくらいか?没薬と乳香も当時高級な香料だ。それらの価値は?イエスの上着はローマ兵が破って分けたが、下着は一枚織りであり、破ることなくクジ引きをした。一枚織りは高級品。宗教の霊から解かれよ、と何度も語っている。イエスは富んでおられたのに、私たちを富む者とするために貧しくなられたのだ(2Cor 8:9)。このコンテキストは物質的な富について語っている。はっきりと言う。貧困は呪いである。イエスはその呪いを終わらせた!持っている者はますます富むようになる。が、得るために得るではない。神の国の法則は、撒くことと刈ること。種をまかずに溜め込んでおいてどうして収穫があろうか。得るためには失うこと。

日本人はもともと清々しい、潔い、凛とした風格を持っていた。江戸を訪れた外国人は、ここはアジアではないと証言した。彼らから見れば、生活レベルは確かに低かったが、貧困はなかった。それが戦後、マモンに取り憑かれたニッポン人に堕し、実に卑しくなってしまった。捨てることを忘れてしまったからだ。捨てる。これはある意味、究極の美徳だ。イエスは自分を捨てた。だからすべてを得た。これこそがまことの富の得方。モチベーションのありか。これがすべてを決める。

富を得ようと苦労してはならない、かしこく思いとどまるがよい。
あなたの目をそれにとめると、それはない、富はたちまち自ら翼を生じて、わしのように天に飛び去るからだ。
物惜しみする人のパンを食べてはならない、そのごちそうをむさぼり願ってはならない。-Prov 23:4-6

 

信仰の領域を固めないこと-霊のバイブレーションで解される

結局、各人の霊的経験の広さと深さと質を決定するのはマインドのあり方次第。たとえば、福音派では手を上げてワーシップができないらしいし、聖霊の働きについても開かれていないらしい。ある集会では、おそらくそこのリーダーの個人的経験からであろうが、癒しを求めると悪霊が働くから、癒しは求めてはならず、神様が送ったものとして受け取るのだとか・・・。はぁ、それでは医者にもかかれないではないか。

前にこのような記事を書いたところ、S氏が激した調子で「癒されないのは信仰がないとでも言うのか、集会の批判も不当だ」と抗議されたが、そのとおりなのだ。信仰があればすべて癒される。これが真理だ。彼らは固められたマインドのあり方を揺すぶられ、神の霊のバイブレーションによってほぐしていただく必要がある。しかも彼は「自分は水の上など歩きたくはない」と宣言してしまった。これでは自分の信仰の領域を固定化するだけ。これは彼のために書くが、もしそのまま主張し続けるのであれば、彼は今の状態から先へと前進はできないであろう。われわれは常に、主が来なさい、と言われたら、水の上に歩き出す体勢でいる必要があるのだ。

私自身もオツムが揺すぶられ、ロックが外される度にチャレンジを受けている。ええ、そんなことがあるわけないだろうとか、まさか、そんな都合のいい話が転がっているとは思えないとか・・・。御言葉はその度に私のアイデンティティーとポジションを思い起こさせてくれるのだ。

たとえば、大川隆法氏は誰も知っているだろう。彼は私と誕生年が同じ。しかも東大。多分キャンパスですれ違ったことがあるかもだ。彼個人の納税額は3億5千万。出す本はいずれもベストセラー。最近ではどの本屋でも彼のコーナーがある。横浜でもあちこちに立派なビルが建っており、白金あたりにもなんとか精舎なるものが林立している。一方、キリスト教会は・・・。いわずもがな、やめておこう。彼は霊の世界の動かし方を知っているのだ。ヘブル11章1節の信仰には定冠詞がない(Heb 11:1)。つまり一般の信仰の定義だ。スプーン曲げの清田クンも言っていた、誰でも信じればできるんですよ、なぜ信じないんですか?と。

カネって不思議なもので、極私的には30歳からそこそこの年収を稼いできた。が、個人としていわゆる世の仕事を普通にしている限り、限界があると知った。神の国のために捧げた分に対しては、主は何倍にもして返してくださった。が、個人でできる分は、せいぜい5億程度を動かせるだけで(通帳に残る数字だけだが・・・)、それが限界。つまりレバレッジ(テコの原理)が十分に効いていないのだ。神の国の前進のためにはケタを挙げる必要がある。霊の原則に乗る必要があるのだ。では、御言葉は何というか。

善良な人はその嗣業を子孫にのこす、しかし罪びとの富は正しい人のためにたくわえられる。-Prov 13:22

神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。-Eccl 2:26

ここに「富のトランスファー(移転)」が約束されている。はぁ、そんなうまい話が・・・これは肉から生まれる観念だ。英国のジョージ・ミューラーは一切の人間的組織に頼らず、庶民の一週間の生活費が1ポンド程度の時代に、150万ポンドを信仰により動かした。庶民の生活費が現在どの程度だろうか。六本木で遊んだりせずに、質素に暮らせば5万円/1週間程度?その150万倍だ!今回のノーベル賞の先生も薬の特許料だけで250億とか。それで温泉療養施設なども作って地域に貢献しているようだ。カネ自体をギンギンに欲しがる人ではない。とても淡白な印象だ。カネはこういった人に集まると生きるカネになる。カネ自体を求める人は顔がすでに卑しい。ジョージ・ミューラーも個人資産は何も持たなかった。が、彼は霊の法則、信仰の法則を知っていた。霊のレバレッジを行ったのだ。

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。-2Cor 8:9

考えても見よ、福音を伝えることはノーベル賞に優るのだ。なぜ?人々の永遠の運命を決定するからだ。そのために神は大いなる富をエクレシアにトランスファーして下さる。否、すでにわれわれは所有している。その天のサブスタンスをキャッシュ化、つまり実体化すること。これがわれわれの信仰である。

ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。-Zech 4:6

ちなみに私の弟は私の祈りによりある本が超ベストセラーとなり、数年間で6億を手にした。天のポータルが開くとこのようなことが簡単に起きる。ポータルが開くならば、なんらの努力も不要で、癒し、必要の満たしなどが与えられるのだ。それも願う以上のところがだ(Eph 3:20)。ARE YOU WITH ME?

「イエスは富んでいた」は冒涜???

本日はちょっとある筋と某所でワインを。久々に生牡蠣に与り、ハッピーだった。六本木のROCHIが管理が大変とかで生牡蠣を出さなくなっていたので、嬉しい限りだ。

・・・・と、気分よく帰宅してみると、メールが・・・。いわく、イエスが富んでいたとか、冒涜であると。うーむ、先の医学不要云々とか、ここまでニッポンキリスト教は病んでいるわけか・・・frown イエスが富んでいたとは、私の言葉ではない。聖書の言葉そのものだ。

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。-2Cor 8:9

この章のコンテキストは献金について。つまり地的な富に関してだ。これで回答としては十分、でしょ!

 

富のトランスファー

善良な人はその嗣業を子孫にのこす、しかし罪びとの富は正しい人のためにたくわえられる。-Prov 13:22

カネというものは実に不思議なもの。ボールを棒で打ったり、転がして何億を得る人々がいる。文化を継承する働きをする教師や研究者などは一千万そこそこ。。医者でも勤務医なら一千数百万、開業医で三千万とかのレベル。総じて、肉を喜ばせる業界にはカネが集まる*1。今、すべての縛りから解かれて振り返ると、極私的にもかなり奮闘はしたが、個人レベルでは二千万ちょっと手前までだ。

だが、これは世のテクあるいは法則を用いてのこと。この12月以降、霊的な世界に深くタッチするようになった。霊のサブスタンスをこの地に現出させるコツが開かれつつある。そこで、私はこの信仰の法則により、富もなおいっそうゲットしたいと思っている(まずは「思う」ことが大切)。もちろんプール付きの豪邸に住み(今の富士山の一望できるRB付き3LDKで満足)、ベンツに乗るためではない(車はFORD車でいい、プリウスは乗りたくないなぁ~)。神の国の前進のためだ。かくしてこの聖句、今、マジで受け止めている。世の富が神の国に移転してくるのだ。それは富に仕えることではない。むしろ富を統治すること*2

かくして信仰の法則は実に単純。

求めよ、そうすれば与えられる。-Matt 7:7

御言葉をこちゃこちゃと弄り回すのではなく、単純に聞いて、信じること。深い霊的解き明かしとか、なるほど・・・と唸らされる解説とか。人生のしみじみした味わいを楽しむとか・・・。まあ、それはそれでどうぞだが、今、ここで、神が語るレーマを聞くこと、これが信仰。神は「アイ・アム」、現在形だ。いわゆる霊的書物とかオツムの中の聖書知識とか、一度、一旦すべて棚卸してしまう必要があると感じているところだ。すべてはまず捨てること、手放すこと、明け渡すことから始まる。

かくして霧に閉ざされた船の中のジョージ・ミューラーのように(彼が生涯で動かした額は相当のものだ)、単純に祈り、神の答えを得て、ドアを開けると晴れていた。まことにこのダイナミックな信仰こそ、私たちの永遠の現在の経験なのだ。

 *1:禁欲的かつ自己抑制的なクルシチャンに申し上げると、一度いわゆる肉の欲を満たすことに没頭すればわかるが、最後は伸びきったゴムひものような状態に陥ってしまう。別に禁欲するまでもなく、もうお腹いっぱいになるのだ。

 *2:イエスは神とカネに仕えることはできないと言われた。カネをゲットするなとは言っていない!いわゆる繁栄を嫌う人々は、嫉妬の裏返しであることを知り、宗教の霊から解かれる必要があるだろう。

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