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Tag: 繁栄

You shall prosper !

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ちょっと蒸していたが、キモチイイ。しかし、クルーニーはシブイねぇ。わが理想とするオヤジ像。

昨日の銀座のフレンチのシェフの証(奥様):1月にバプテスマ受けてから、主の祝福が増し加わっている。店の売り上げはすでに1.5倍、今も増えており、 もう客がさばけないペース。本人も、自分のキャパを超えており、ジーザスが自分の手を使って料理してくれている感覚とか・・・。

この方はガチガチの無神論者だった。が、主にとらえられると、まっすぐにオンリー・ ジーザス。妬みと嫉妬で彼を落とすむきもあったが、同じ土俵で戦わないで、天の御座にとどまるうちに、相手が自滅していったとか。TVでも紹介され、フラ ンスからもスカウトされていたのだが、それはISで道が塞がれた。が、それが彼をさらに栄えさせる好機となった。

いわゆる「きよく・ただしく・まずしく」的な辛気臭い宗教から解かれるならば、まことに、主の言葉を常に思い起こせ、するとあなたがたはどこで何をするに も栄え、豊かになる(Deut 29:9)。あなたがを攻撃する武器は何ら役に立たない(Isa 54:17)。ニッポンキリスト教では「繁栄の神学」とかレッテルを貼ってやっ かむむきが攻撃してるようだが、繁栄は神の祝福、貧困は呪いだ。もっとも悲惨なのは蒔く種をすら食べてしまうこと。だいたい批判する輩の動機は嫉妬と妬み。カインの霊とアベルの霊の相克なのだ。

御言葉を大切にし、主を愛し従うならば、あなたがたの魂が繁栄しているように、あらゆることで繁栄するのだから(3John 1:1-2)。Glory be to God!

イエスによる祝福の実際-宗教の霊から解かれよ!

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心の貧しい人とは、人に誇るべき何ものも持っていない人であろう。金もない、地位もない、体も弱い、知識もない、おのれにたのむ何もないがゆえに、ひたすら謙遜に、神の前に頭を垂れている人たちである。イエスのまなざしは、いつもこうした弱い人々に向けられていた。イエスの愛は、いつもこうした謙遜な人間たちに注がれていた。(三浦綾子・新約聖書入門より)

私はこの手の「信仰」は好まないと繰り返しメッセでも語っている。果たしてイエスはこのような陰気臭い雰囲気に囲まれていたのだろうか?アブソリュートリー・ノー。第一に「心が貧しい」は誤訳。"Poor in spirit"、つまり「霊が貧しい」である。この誤訳は致命的だ。そこから三浦綾子的自己憐憫ワールドが育つ。それにこのような人々がしばしば頑な心を有していることは、ちょっと福祉や身障者の現場を知っている人であれば自明のこと。それが裏返ると、オトタケ君のような倒錯も起きてくるのだ。

イエスの周囲にはつねに喜びの感情、明るい雰囲気、活気と健全さが包んでいたのだ。要するに晴れやかだった!フェイスのある者は癒され、物質的にも豊かであった。第一に、何度も書いているが、イエスが誕生の際、東方の賢者たち(3人ではないから注意!キリスト教の刷り込みに欺かれないこと)によって捧げられたゴールド、没薬、乳香の価値を考えてみよ!

第二の例。イエスの最初のしるしはカナの結婚においてなされた。そこにあったのは6つのかめ。一つ当たり2-3メトレテス入る。で、1メトレテス=39リットルだ。つまりひとつのカメが80-100リットルだ。イエスが水をワインに変えたが、それは高級ワイン。考えてみよ。皆さんはどのクラスのワインを飲まれるだろうか?1本3,000円?10,000円?

ちなみにロマネコンティは124万円!一番安いのでコルトンの9万円だ。さあ、算数のお時間。100リットルのカメが6つ。その中に満杯の高級ワインが入ってます。全体でいくらになりますか?これだけのワインをその婚礼の出席者がみな飲んじゃった・・・てなことはあり得ない。つまりこのワインは新婚夫婦に対するイエスのギフトだったのだ!その価値は!?

第三に、旧約でもエリシャは夫の残した借金のかたに子供を取られそうな寡婦に何をしたであろうか?残っているのは壺の底のわずかな油。近所からありたっけの空の壺を借りてきて、それに油を注ぐと出るわ出るわ。結局、空の壺がなくなった時点で止まったが、もしまだ壺があれば!?かくしてようやく借金を返せた・・・のではなく、借金を返してまだ余っていた。その余りで余生をくらせるだろうとエリシャは宣言したのだ!これが神の豊かさ!五つのパンと二匹の魚はあえて触れるまでもないだろう・・・。

宗教の霊から解かれよ!神は豊かなお方。われわれはその神から生まれた神の子供たち。自分を空にすればするほど、神は油や高級ワインで満たしてくださるのだ!変な神学を詰め込むな!まことに霊の貧しい、つまり霊の空っぽな者は幸いである!

愛する者よ、あなたの魂が栄えているように、あなたがすべての面で栄え、健康であるようにと祈っています。-3John 1:2

しかも、念押し。イエスは昨日も今日も永遠に変わらないお方!あとはあなたのフェイスに任されるわけcool

神とマインドの場を共有する

「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。-1Cor 2:16

私たちのマインドの場(フィールド)がある広がりを有していることを書いた。いわゆる気配とか殺気、あるいは分裂病者のプレコックス感などはこの場が影響するためだ。ちょうど磁石の周りに砂鉄を置くと見ることができる磁場と同様に、私たちのマインドは場を形成している。初対面で理由はないのに「いけ好かない」と感じたり、逆に何年も知っているかのような親しみを覚えたりすることがあるが、これもその場の影響による。磁石のN極同士は反発し、NとSは引き合うように。

私たちはつねにこのような場の中に置かれ、互いに影響されたり、影響を与えたりする。かつての大日本帝国が無謀な戦争に突入した時も、この国家全体がそのような場に置かれたためだ。個人の意見は封殺され、相互監視体制、一億火の玉・・・といった社会の雰囲気が生まれる。最近もややそのような臭いを感じるところではある。敵はこうして世の中を誘導するのだ。

同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。-Gal 4:3

彼らは空中の権を持つ者と呼ばれる。

わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。-Eph 6:12

この「天」とは第三の天ではなく、第二の天である。未信者の場合、自動的にこの霊の場に置かれ、絶えずその影響下にあるのだ。しかも無意識的に。まさか自分が悪の諸霊の影響を受けているとは思いもしないだろう。こうしてサタンは全世界を欺いている(Rev 12:9)。クリスチャンであっても、神の御言葉に明け渡していない領域、自分が出張る領域は同じ状態である。特に自分のウリにする部分はまずやられている。

自分を放棄し、神に明け渡し、委ねることができた領域は、御霊の領域とされ、神の国の実際が展開する領域となる。それは神のマインドの場であり、私たちのマインドもつねに神のマインドを共有するようになる。自分のしたいことが即神の御旨となる。あえて神の御旨を問うまでもない。マインドが溶け合っているからだ。キリストのマインドがそのまま私のマインドに展開する。Bill Johnsonが面白いことを言っている:

When we submit the things of God to the mind of man, unbelief and religion are the results. When we submit the mind of man to the things of God, miracles and the renewed mind are the results.
(神の事柄を人間のマインドに委ねれば、不信仰と宗教を生む。人間のマインドを神の事柄に委ねれば、奇跡と新たにされたマインドを生む。)

そして神の究極の目的は(宗教的な人々よ、つまづくことがないように!)

God wants our minds to be renewed so that our will can be done.
(神は私たちの意思がなされるためにマインドが新たにされることを願われる。)

なぜ?メッセでも語ったが、創世記を見てみよ。

主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。-Gen 2:19

神はアダムに口出ししてはいないのだ。任せている。さらにかのサウルに対してすら神はこう言われた。

主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう。
これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです。・・・」
サウルがサムエルと別れて帰途についたとき、神はサウルの心を新たにされた。以上のしるしはすべてその日に起こった。-1Sam 10:6-9

ここで「心」とある単語はlabe、Strongによると"the heart; also used (figuratively) very widely for the feelings, the will and even the intellect;"。つまり感情、意志、マインドまでを含む(cf.霊の機能と魂・体の相互作用について)。ゆえに「サウルですら預言者か」と、ことわざになったほどだ。Are U with me?

結論はこうだ:神はマインドが新たにされた人には全権を委ねて下さるのだ!「何でも求めるものはかなえてあげよう」と白紙小切手を下さる。WOW! このことに抵抗を覚える人は、はっきりと言うが、宗教の霊に侵されている。聖書は宗教の書でないし、イエスはキリスト教の教祖でもない。神が天を裂いて、その霊的領域から物理的時空間に介入された証が聖書であり、イエスである。全宇宙を創造された方が、被造物の世界に介入されている、今もだ!

しるし・不思議・奇跡は新たにされた思いにとっては自然なことなのだ。宗教の霊の場に置かれている者は見ることもできないし、求めもしない。そんなことは低級なことだとかのたまって・・・。かつての私がそうだった。今後、ステージ4のガンが当たり前に癒され、むしろ癒されないことが信じられない事態になるだろう。否、すでになりつつある。神の国にガンはないし、神はガンの源でもないし、盗み、殺し、滅ぼすのはあの者の仕業。神の御旨ではない!神の御旨は癒し。私たちの魂が繁栄するほどに、あらゆる面で繁栄し、健やかであることができる(3John 1:2)。SO BE IT!!!

 

デゥナミスを知る

神の国はロゴスにではなく、デゥナミスにある(1Cor 4:20)。Dunamisは力と訳されているが、これも日本語の世界で考えてはならない。もっと豊かな意味を持っているのだ。Thayerによると

Thayer Definition:
1) strength power, ability
 1a) inherent power, power residing in a thing by virtue of its nature, or which a person or thing exerts and puts forth
 1b) power for performing miracles
 1c) moral power and excellence of soul
 1d) the power and influence which belong to riches and wealth
 1e) power and resources arising from numbers
 1f) power consisting in or resting upon armies, forces, hosts

しるし・不思議・奇跡・癒しなどをなす能力はもちろんであるが、魂のエクセレンスと富と豊かさを得る能力も含まれている。私たちの魂は生きてきた過程において、不健全なSoul Tie(魂の結びつき)や傷によって、魂のエクセレンスを失っているのだ。私たちは霊がスーパーナチュラルに再生された新しい創造である。が、この魂は旧い体の一部である大脳とリンクしている。いつも私が言う大脳辺縁系の問題を抱えているのだ。これがクリスチャンの抱えるあらゆる葛藤のルーツである。この魂がエクセレンスを得るほどに、私たちはあらゆる領域で繁栄することができる。ヨハネが祈るとおりである。

あなたがたの魂が繁栄しているように、あなたがたがあらゆることで繁栄し、健やかであるようにと祈る。-3John 1:2

私たちはすでにキリストのマインドを持っている(1Cor 2:16)。が、私たちの旧い大脳の影響により、キリストのマインドが私たちの魂のうちに広がらないのだ。そこでもろもろの問題や病気や欠乏を抱えたとき、旧いマインドの反応をせざるを得ない。私たちはキリストと共に天にいるのであるが、その天的御座からの見方・考え方ができないのだ。こうして袋小路に自分を閉じ込めてしまう。キリストが見るとおり、考えるとおり、私たちの魂の中でキリストのマインドが展開するならば、私たちは常にあらゆる恐れ・不安・葛藤・絶望・無価値感・欝・自己疎外感・焦りなどなどから解放される。ゆえにパウロは勧めている。

兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき理性的な礼拝である。あなたがたは、この世の形に形作られてはならない。むしろ、思いを新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。-Rom 12:1-2

まず、なすべきは体を捧げること。これが理性的な礼拝。その後にマインドのリニュアルによってトランスフォーメーションされる。なぜか。この体が旧い創造に属するから。よって体を主の御手の下にまず置く必要がある。こうして魂がエクセレンシーを回復されればされるほど、私たちの魂は繁栄し、あらゆる領域で繁栄する。体・魂・霊のすべての相において健やかにされる。これが主観的ホーリネスだ。

神のデゥナミスはこれを可能にする。

このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの栄光(原語)は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。あなたはわたしのたましい(原語)を陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。-Ps 16:9-10

追記:魂のマインドで何を考えるかはきわめて重要。私たちの存在を決定するからだ。箴言に次のようにある(邦語訳はいつもどおり不適切)。

For as he thinketh in his heart, so is he:(彼はその魂で考えるとおりの人間だ)-Prov 23:7

ここの「心」とある部分は正確にはnepheshであり、魂が適切。この場合、思いは人格として実体化されるのだ。私たちのマインドのパワーのひとつの証明。

 

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