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Tag: 祝福

恵みとフェイスの領域の拡大

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今回のメッセで恵みとフェイスは相伴って働くことを語った。恵みの領域においてフェイスは自由に働く。例えば、どんなに自分の髪を引っ張って、フェイスによって空を飛べ~と命じても飛ばない。これは恵みの領域と関係がないから。ペテロは言っている、いのちと敬虔に関わることはすべて与えられていると(2Pet 1:3)。

キリストのうちにいのちがあり、恵みと真理(実体)に満ちていた(John 1:4;14)。私たちは彼から恵みに次ぐ、恵みを受けたとあるとおり(John 1:16)、恵みはいのちの領域において、いのちの御霊の法則に従って働く(Rom 8:2)。

しるしと不思議も恵みの言葉を証しするために主がなされる(Acts 14:3)。この意味でいわゆる一部の聖霊派のようにしるしと不思議だけを切り離して求めることはあまり意義がないのだ。フェイスと恵み、恵みとフェイス。恵みの領域が拡大されるならば、フェイスの領域も拡大する。逆もまた真なり。

フェイスはサブスタンス(Heb 11:1)、その霊的サブスタンスの領域をどれだけ委ねていただけるか、これは私たちの側の条件による。小さなことに忠実な者は大きなことを任せていただける(Luke 19:17)。あるいは世の不正の富を忠実に管理するならば、霊的な真の富を管理させていただける(Luke 16:11)。自分に任されている領域を知ること。これは恵みによって計り与えられたフェイスの度量を超えないことである。

わたしは、わたしに与えられた恵みをとおして、あなたがたの間のそれぞれに言う。正当な限度を超えた高い思いをいだくことなく、むしろ、神が各自に分与した信仰の度量の程度により、健全に思いを用いるべきである。-Rom 12:3(私訳)

ここの「健全に」とある単語は2テモテ1章7節(2Tim 1:7)の「健全な思いの霊」と同じ語源をもつ。この単語は邦訳ではしばしば「慎んで」、「慎みの霊」、あるいは「自制の霊」などと訳されるが、「健全な思い」が適切。カギはここでもマインドの使い方。しばしば勝手な思い込み、つまり勝手なマインドの使い方をフェイスと勘違いするむきがある。これが個人預言とかの形となり、実質的には聖書が禁じる口寄せと同じ様相を呈する。シーザーが喝破したように、人は聞きたいことを聞き、見たいことを見る。それが聞けるまで、あるいは見ることができるまで、追及する。かくして占いやタロットカードやオイジャボードなどに人気が集まるのだ。

人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない。-Prov 10:22

フェイスは何の努力も要らない。神は人の汗を嫌う。

頭には亜麻布のターバンをかぶり、腰には亜麻布の短いズボンをはかねばならない。汗が出るようなものを着てはならない。-Eze 44:18

神の祝福、God's favorに生きるならば、恵みの領域が広げられ、するとフェイスの領域が拡大し、何の苦労もなく、私たちは富む者とされる。それは魂の健全性と密接に関係しているのだ。

愛する者よ、あなたの魂が繁栄しているように、あなたがすべての面で繁栄し、健康であるようにと祈っています。-3John 1:2

病は気から、精神が病を生み出す。特にマインドの状態がカギ。健全な精神に健全な肉体が伴う。マインドをいかに管理するか、ここに霊的経験のすべてのカギがある。

 

フェイスの働く土壌を整える

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最近、私たちの間で癒しが次々に起きていることは何度か書いた。近いところでも、かなり重かった花粉症が癒されてしまったとか(証するまでに時間を要したそうだ)、痛風の激しい痛みがセレブレーションの中で消失したとかの証がなされている。別に特にそのために祈るわけでもないが、聖霊が触れるとき、自然と癒されてしまうのだ。

が、明らかに癒されない人もいることも事実。なぜか? この差については実にクリティカル。メッセでも語ったが、ザカリヤとマリアの応答の違いは重要である。

そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」-Luke 1:18

彼は信じなかったので口が塞がれた。彼の心は、要するに、現代的に言えば、「俺はもう年を取ってるんだ。これまでも祈ってきたけど与えられなかった、信じろったって、今更何だよ。証拠を見せろ」だ。み使いの言葉に挑発的に応じている。対して、

マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」-Luke 1:34

これは素直な戸惑いの反応である。ザカリアとは霊が異なるのだ。そしてマリアはこう言う、「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」と。

主の言葉に対する応答は自然と明らかにされる。口では「アーメン」と言っても、霊が真に服していないとき、こちらはその人からは拒絶あるいは挑発あるいは反発の霊を受ける。「そんな理想論言っても、あたしは癒されていないのよ、なんとかしてよ!」的な霊である。その人の内に御言葉が浸透することができず、跳ね返されてしまうのだ。メッセージを語るとき、そのような反応をきわめて具体的に感じるのだ。マインドはその人の大脳に限局しているわけではないと前に書いた。その場を共有しているのだ。

前にSalt氏が「癒されないのは信仰がないとでも言うのか!」的な抗議をしてきたが、それはそのとおり。フェイスがないのだ。それは結局、その人の心の状態、さらには霊の状態に問題があるのだ。御言葉と御霊が浸透していない。むしろザカリアのような挑発的な態度を取る。癒されない人は頑とした固いものを感じる。自分で握りしめており、その力みが伝わってきて、じわ~と醸される神の愛の温もりがない。御言葉に対する応答も何か他人ごとで冷たいのだ。対して癒しを受ける人は砕かれている。受ける印象が柔らかく、ちょうど細かく製粉された小麦粉に触れる感覚。あるいは完全に主に明け渡している。死んでも主のみ心ならば幸いと、手放した解放感を感じる。

フェイスが働く心の培地が整えられる必要があるのだ。御言葉をどれほど知っているかとか、聖書の解き明かしができるとか、それらはほとんど関係ない。細かく砕かれた小麦粉に手を入れるときのような滑らかで抵抗感のない感覚を生む心。御言葉が育ち、フェイスを生むためにはそのような土壌の手入れが不可欠なのだ。

イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。
ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
耳のある者は聞きなさい。」-Matt 13:3-9

柔らかく耕された、そして空気と水を豊かに含む土壌。そこに御言葉という栄養素を染み込ませる。このときフェイスは自由に働くのだ。まことの耳のある者は聞きなさい。それはそれぞれの自己責任である。

神は大胆なフェイスに応えるお方

私たちのメンバーのあるご婦人はかつて強度のうつ病に罹り、その方の友人の証言によると老婆のような状態になった。医者は次々にクスリを変えて、多量に飲 まされたが改善せず。ある日、医者がパズルのようにクスリをアレコレ並べている姿を見て、あ、この人には治せないと直感。で、大胆にも、「先生には私の病 気は治せません!イエス様が治してくれます!」と待合室に聞こえる大声で宣言したとか。

その頃ご主人が会社で上役と喧嘩して辞めてしまい、雨漏りのするアパートで5年ほど暮らしていたのだが、不思議な主の導きで始めた国際的ビジネスが成功。 本人もなんとうつ病がきれいに治り、母親が「あなたの病気を治すことができる神ならホントの神だ」と言って信じたのだ。

かくして今はお歳の割にチャーミングで肌もつややか。横浜に自宅、軽井沢に豪邸別荘を持っている(ビル・ゲイツの別荘の近くとか)。自宅や別荘の壁にかか る絵画は一枚でマンションが買えるとか! 主の祝福は大胆にその御名を証するとき、願うところをはるかに超えて臨むのだ。「きよく・ただしく・まずしく」 的メンタリティー、宗教の霊から解放されよ!

わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。―エペソ3:20-21

 

オベデ・エドムの祝福

-What an Obscure Old Testament Figure Reveals about Us Gentiles

われわれ異邦人クリスチャンはオベデ・エドムとしてダビデ、つまりユダヤ人に嫉妬心を起こさせる必要があるのだ(Rom 11:11)。彼らがすべてイェシュア・ハ・メシアに立ち返るために!

 

イエスによる祝福の実際-宗教の霊から解かれよ!

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心の貧しい人とは、人に誇るべき何ものも持っていない人であろう。金もない、地位もない、体も弱い、知識もない、おのれにたのむ何もないがゆえに、ひたすら謙遜に、神の前に頭を垂れている人たちである。イエスのまなざしは、いつもこうした弱い人々に向けられていた。イエスの愛は、いつもこうした謙遜な人間たちに注がれていた。(三浦綾子・新約聖書入門より)

私はこの手の「信仰」は好まないと繰り返しメッセでも語っている。果たしてイエスはこのような陰気臭い雰囲気に囲まれていたのだろうか?アブソリュートリー・ノー。第一に「心が貧しい」は誤訳。"Poor in spirit"、つまり「霊が貧しい」である。この誤訳は致命的だ。そこから三浦綾子的自己憐憫ワールドが育つ。それにこのような人々がしばしば頑な心を有していることは、ちょっと福祉や身障者の現場を知っている人であれば自明のこと。それが裏返ると、オトタケ君のような倒錯も起きてくるのだ。

イエスの周囲にはつねに喜びの感情、明るい雰囲気、活気と健全さが包んでいたのだ。要するに晴れやかだった!フェイスのある者は癒され、物質的にも豊かであった。第一に、何度も書いているが、イエスが誕生の際、東方の賢者たち(3人ではないから注意!キリスト教の刷り込みに欺かれないこと)によって捧げられたゴールド、没薬、乳香の価値を考えてみよ!

第二の例。イエスの最初のしるしはカナの結婚においてなされた。そこにあったのは6つのかめ。一つ当たり2-3メトレテス入る。で、1メトレテス=39リットルだ。つまりひとつのカメが80-100リットルだ。イエスが水をワインに変えたが、それは高級ワイン。考えてみよ。皆さんはどのクラスのワインを飲まれるだろうか?1本3,000円?10,000円?

ちなみにロマネコンティは124万円!一番安いのでコルトンの9万円だ。さあ、算数のお時間。100リットルのカメが6つ。その中に満杯の高級ワインが入ってます。全体でいくらになりますか?これだけのワインをその婚礼の出席者がみな飲んじゃった・・・てなことはあり得ない。つまりこのワインは新婚夫婦に対するイエスのギフトだったのだ!その価値は!?

第三に、旧約でもエリシャは夫の残した借金のかたに子供を取られそうな寡婦に何をしたであろうか?残っているのは壺の底のわずかな油。近所からありたっけの空の壺を借りてきて、それに油を注ぐと出るわ出るわ。結局、空の壺がなくなった時点で止まったが、もしまだ壺があれば!?かくしてようやく借金を返せた・・・のではなく、借金を返してまだ余っていた。その余りで余生をくらせるだろうとエリシャは宣言したのだ!これが神の豊かさ!五つのパンと二匹の魚はあえて触れるまでもないだろう・・・。

宗教の霊から解かれよ!神は豊かなお方。われわれはその神から生まれた神の子供たち。自分を空にすればするほど、神は油や高級ワインで満たしてくださるのだ!変な神学を詰め込むな!まことに霊の貧しい、つまり霊の空っぽな者は幸いである!

愛する者よ、あなたの魂が栄えているように、あなたがすべての面で栄え、健康であるようにと祈っています。-3John 1:2

しかも、念押し。イエスは昨日も今日も永遠に変わらないお方!あとはあなたのフェイスに任されるわけcool

DNA Blessings!

先にトラウマがDNAレベルで継承される研究結果を紹介したが、このクリップでも同じことを指摘している。DNAレベルの傷も神は癒して下さり、DNAレベルでの祝福をくださると。まことにアーメンだ。

-David Herzog’s revelation of the "Courts of Heaven"

英語のリスニングがちょっとという方はトランスクリプト(pdf)をどうぞ。

DAVID: Yeah. Well DNA and blood has memories. So yes, it has memories of sicknesses, of sins.You see people that have broken homes because their fathers had it. But then what people don't realize, once you break the curse off your family life, you need to go back and say, now Lord, liberate all the blessings on my ancestors to me, the wisdom they had, the gifts, the talents, the abilities, the inheritances. When you start praying like that, suddenly things start to happen. Even abilities you did not have before that were dormant suddenly start to happen. You start to have business understanding. You learn languages very fast, natural gifts, spiritual gifts, amazing things.

すべて神のわざは栄光の中でなされる。礼拝とは栄光に入ることだ。そのとき立っていることができなくなる・・・。

祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。-1Kings 8:11

 

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