iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ
年: 2019年

こんばんのNHKBSの竹内まりやの特番はよかった。相変わらずかわいい。ご夫婦で実にいい雰囲気を醸している。
心がオッサンやオバサンになるとボディもそうなる。呟いたり、妬んだりする前に、全てのことで感謝せよ。少年少女の心を保つこと。だから僕の漢詩の号は靑心堂一石だ😎
極私的には世界はオレ/アタシ中心に回ってると思ってるらしきオッサン/オバサンはご遠慮だ。GYMにこの種がけっこうたむろしてる。あ、キ業界にもか😅
いよいよあと二日で2019年も終わる。またひとつ年を重ねるわけで、これも名曲ね✨

時空間なるものは一種のファンタジーなんだと分かるね。その中に幽閉されて人生を送るのがニンゲン。喜んだり悲しんだり、愛したり憎んだり、リッチになったりプアになったり・・・。まことにソロモンが言うが如し:
すべては空の空だ。
そうフェイクなのだ。浮世狂言。アウグスティヌスが言う通り、究極のリアリティにタッチしない限りと人は真の平安と喜びを味わうことはできない。
時空間を超えるにはブラックホールに落ちる必要があるのだが、フェイスはこれを<今・ここ>で可能にするのだ。フェイスはシンギュラリティを超える✨
いま、フェイスとは願われるサブスタンス、まだ観測していないことの現出である。-Heb 11:1(私訳)

いつもの再建主義の富井氏の論。
- 要するに、旧約が終わったので、イスラエルのエルサムが世界の中心でなく、クリスチャンの体が神殿であるゆえに、エクレシアが世界の中心。だから物理的神殿も不要。
- 聖書の預言はすべてイエスの初臨により成就しているから、これから終末を迎えることはない。それはAD70にすべて成就した。
- 地上にイエスがいる必要はない。地上には聖霊がおられ、イエスは天におられる。キリストが再度地上を歩むとは聖書にはない。
- これらに反する教えはユダヤ人による陰謀である。
なるほど・・・。極私的には、彼がなぜユダヤ人が神殿において旧約の儀礼をおこなうことがないと主張するのか不明であった。彼らはいまだに旧約に生きており、ナザレのイエスではない”メシア”を待ち望んでいるとするのが普通の理解だ。彼は自分のミニストリーはユニークであり、世界で唯一であると言う。確かにその通りであろう。
結局、ポイントは「AD70年に旧約が裁かれて完全に終了している」とするドグマがあるわけだ。よって「新約の事実が世界を席巻すべきである」と。そのために「再建主義はサタンの欺きをとん挫させるべく働く」のだと。
旧約は確かに終わった。すべてが新しくなった(2Cor 5:17)。が、現在の経綸では、それは霊的リアリティであり、信じた者がフェイスにより経験することできる(Heb 11:1)。イエスを信じないユダヤ人は、したがってその恩恵にはあずかれない。依然として旧約の世界に生きることになるのだ。だから第三神殿の再建が悲願であり、それが今なされようとしている。何もおかしくはない。
そして彼らはヤコブの苦難を経て、イエスの再臨(再臨は一度だけ!)において、初めて彼らはイエスこそがメシアだったと気付く。
その日、わたしはエルサレムに攻めて来るあらゆる国を必ず滅ぼす。わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。-ゼカリヤ12:9-10
その日、主は御足をもって/エルサレムの東にある/オリーブ山の上に立たれる。オリーブ山は東と西に半分に裂け/非常に大きな谷ができる。山の半分は北に退き、半分は南に退く。-ゼカリヤ14:4
この聖句も再建主義においては成就しているわけだ。果たしてオリーブ山が南北に避ける事態がAD70において起きたのであろうか?

前から指摘しているとおり、現経綸においてはいのちの木の路線と善悪を知る路線が並行している。イスラエルとエクレシアの関係もこの3D視点から見ないと、いわゆる置換神学に陥ることになる。一度、ドグマにハマるとそれに突き進むしかなくなるの典型であろう。

光の二重性はわれわれの五感によるモデルを逸脱する。モデルが先にあるのではない、存在が先にあるのだ。 存在と五感による世界モデルは必ずしも一致しない。神学におけるYahawehの「三一性」にしても、「自由意志VS確定意志」にしても、単なるモデルのレベルのギロンに過ぎない。光は視覚、音は聴覚・・・という具合に対象に応じたセンサーによりYahaweh存在そのものに触れることが重要。それが霊(スピリット)だ。あなたのリッパなオツムではないのだよ。
この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。-1コリント1:21
神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理[1] … Continue readingをもって礼拝しなければならない。-ヨハネ4:24

これはなかなか深い。一度フェイスを持ち、聖なる霊を経験した者が堕ちると、しばしばダークサイドの存在となる。善と悪は同じ平面の表裏だから。罪とは善と悪を知ることである。
一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。―ヘブル書6:4-6
純粋な人がしばしばあちら側に落ちることはよくあること。アダムにある純粋さは罠になる。 われわれは死と復活を通して産み出された新しいいのち(ZOE)の平面に生きるのだ。
生きるとはキリストである。-ピリピ1:21

油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。-箴言4:23
これは口語訳、KJVでは―
Keep thy heart with all diligence; for out of it are the issues of life.
この”out of”はヘブル語”מו”、すなわち「メム・ヌン」。メムは水すなわち血を現し、ヌンは種すなわち子孫を意味する(ピクトグラム)。血をとおして現れる種(DNA)である。”issues”はゲート、出口、ポータルだ。すなわち心はいのちの出口。先にも紹介したが、ハーバードの研究でも見方を決めるの心の状態である。個人的な内的世界像はまさに心の反映、心は鏡のようなもの。心が歪めば世界像が歪む。
そしてその内側の世界像はその人の言葉を通して表現される。
まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。-マタイ12:24
ゆえに箴言は続く―
曲った言葉をあなたから捨てさり、よこしまな談話をあなたから遠ざけよ。あなたの目は、まっすぐに正面を見、あなたのまぶたはあなたの前を、まっすぐに見よ。-箴言4:25-26
目が歪めば、見方(認知)が歪む。見方が歪みは判断を歪め、判断の歪みは行動を歪める。故に-
あなたの足の道に気をつけよ、そうすれば、あなたのすべての道は安全である。右にも左にも迷い出てはならない、あなたの足を悪から離れさせよ。-箴言4:26-27
認知の歪みを避けよ。まっすぐに見ること。そのためには―
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。-箴言3:5-6
心とは魂と霊の相互作用のあり方(☞霊の機能と魂・体との相互作用について)。

オドロキ?! アナテマ=呪い。
tomi 2019/12/22(日)10:26
支援停止者にはアナテマを宣言します
支援を停止した人は、私が書いたあらゆる文章を読まないでください。御言葉をまっすぐに伝え、神の国のために働く働き人への支援を停止することは、神に対する敵対行為。
アナテマを宣言します。
http://www.millnm.net/cgi-bin/wwwboard.cgi

TODAY'S CELEBRATION Dec 22, 2019:イエスのパースンを実体化する聖霊
MSGタイトル:イエスのパースンを実体化する聖霊 引用聖句:H …
- MSGタイトル:イエスのパースンを実体化する聖霊
- 引用聖句:Heb 11:39-40;John 14:7;14:17-21;16:13-15 etc.
- 2020年1月5日(日)のセレブ(12月29日はありません)
・場所:ワークピア横浜ユーフォニー
・時間:14.00-18.00 - プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(25日13:00-17:00)
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

NEW DVD発売:『FAITH CAMP 2019 SEMINAR』の二回のレクチャーを編集した映像。YouTube公開のものに手を入れてます。定価3,000円。注文はオンラインショップにて。

観てきました。これって、やはり聖書が原型。はじめて聖書の話を聞いた時、それって『スターウォーズ』じゃん?と思ったものだ。だからぼくはルーク。
以下、ネタバレしますので、まだの人はスルーでヨロシク!
レイがパルパティーン・シスの孫だったと。両親はシスに殺されたが、シスはレイに自分の王座を渡すべく、レイに自分を殺させて復讐を促す。ここで自分で復讐すれば、闇の王座を得ることになるが、レイは踏みとどまる。イエスも悪魔に自分を拝すれば世界を与えると誘惑されたが、御言葉により拒絶した。復讐を自分ですることなかれと聖書も言う。同じモチーフだ。
一方のカイロ・レンも悔い改めて本心に立ち返りハン・ソロの息子としてのアイデンティティを再獲得する。これはルカ書15章の放蕩息子と父親の話と同じ。カイロ・レンに殺されたハン・ソロは、彼をマイ・サンと呼び、受け入れる(この辺りはエディプス葛藤だ)。カイロ・レンも最期に自分の生命をレイに与えて、自分は死ぬ。まさにこれもイエスの十字架と同じ。レイはカイロ・レンの犠牲により復活したのだ。
カギはフォースのパワーを如何に用いるか。それは闇の力ともなり、光の力ともなる。まさにフェイスと同じだ。われわれにとっては
フォースを使え・・・ではなく、フェイスを使え!
だ。21歳の夏、元カノと新宿スカラ座で第一作目を観た。あれから40年以上。ようやく完結したらしいが、今や孫までもハマっているわけで、おもへばとほくへ・・・ではある。ラストシーンの砂漠が当時を思い起こさせてくれた。

あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。-マタイ22:29

こうして自分が見て、内的世界像を作り、それに基づいて意思決定をして、行動を起こし、その実を刈り取る。そして人は満足したり、フラストレーションを覚えたりする。それはすべてあなたの心が生み出しているのだ。
目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。-マタイ6:22
Anna Antinori lead author of the study, explains that we’re constantly filtering out what sensory information to focus on. For example, you might well be subconsciously ignoring the noise around you or the feeling of a chair against your back. And this then determines what we perceive. “The ‘gate’ that lets through the information that reaches consciousness may have a different level of flexibility,” she says. “Open people appear to have a more flexible gate and let through more information than the average person.”
This isn’t the only study that connects personality with perception. As the researchers note in The Conversation, an earlier study shows that those who score high in openness are less likely to experience “inattentional blindness.”
Though the research suggests that personality affects the way we filter conscious experience, it’s not clear exactly how this process works. The authors speculate that overlapping neurochemicals in the brain may link perception to personality. “Thus the abundance of the same neurochemical, or lack thereof, may affect both one’s personality and low-level vision,” adds Antinori.

年末の恒例のライブ。本年も楽しみました。クリスマスは所詮世のイベント。それになりに楽しめばよろしい。極私的にはこの雰囲気は実に好きなのだ✨




再建主義の富井氏のこの記事も、彼らの「信仰」の本質を明らかにしているので採録しておく。
新生とともにクリスチャンの肉(生まれながらの性質)に起きる変化は、復活も、聖化も、すべて「法的」であり、「実際的」ではない。
聖書に「クリスチャンになったら生まれながらの性質は『実際的に』変えられ、聖くなった」と記されていない。
性格が変わったりするのは「聖霊による」という点は同意だ。が、富井氏においては、Yahawehエロヒムの三一性も、法人と同様の契約的なひとつであり、現在は契約的にキリストが天地の全権を得ており、クリスチャンも契約的に再生され、父と子は契約的にそのうちに住むとする。
かくのごとく、彼の聖書理解のフレームは「契約的」VS「実際的」であることはすでに分かった。私の理解は「経綸的」VS「本質的」、あるいは「善悪路線」VS「いのちの木路線」である。


そして彼の論に対しては次の聖句を挙げれば、御言葉自身が論破してくれる。
いま、フェイスとは願われることのサブスタンス(実質)であり、まだ見ていないことの現出(立証)である。-Heb 11:1(私訳)
現在キリストはいのちを与える霊(1Cor 15:45)として、霊のサブスタンスであり、実際的に私たちのうちに聖霊によって住まわれる。聖霊は霊のリアリティを実体化するお方、すべて時空間を超えた永遠のサブスタンスは聖霊にあって実体化されるのである。これがフェイスである。
フェイスとはI-AMの実体化である。-Dr.Luke
追記:古い人と肉の違いや、再生の意味は、人間の構成が体・魂・霊からなることを認めないと理解不能となる。富井氏は一時、この三つの構成を認めていたが、その後、無視しているようである。

<おまえは奴隷だ。誰もが生まれながらに束縛され、においも味も感触もない心の牢獄に幽閉されている。>
フェイスはこの五感のカプセルを超える。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。―ジーザス
赤い錠剤と緑の錠剤、どちらを選びますか?

tomi 2019/12/17(火)23:07
聖書に逆らうならば、永遠の命を失うことを覚悟されたし
私の使命は、聖書的な教えを宣べ伝えることである。それゆえ、教えに関して一切の妥協をしない。
反論者は、真摯に私の疑問に対して答える責任を負っている。
聖書的ではない教えを唱える人は、異端として認定せざるを得ない。
私にとって、教えにおいて妥協することは、生きる意味の喪失であるから、絶対に譲らない。
聖書に逆らうならば、永遠の命を失うことを覚悟されたし。
私はこれまで聖書に基づいて再建主義の諸問題を指摘してきたが、富井氏からは回答がなされていない。このお言葉はまずご本人にお返ししたいと思う[1] … Continue reading。
再建主義など、一度ドグマにハマって人生を懸けてしまうと、誤りは絶対認められなくなる。こうして行くところまで行くしかなくなる。おかしな神学や教義は人生を失う。そもそもキリスト教はやめておけ。

「内なる、霊的な美に注意せよ。それは表情に反映するから。」-ドロレス・デル・リオ
彼女は1920年代のメキシコ出身の女優。聖書の「力(=フォース)」には何種類かあるが、デュナミスは美徳だ。聖霊派がよくやる念を込めた悪霊追い出しや、金歯金粉、天使の羽根が舞うことなどではない。長血を患う女がフェイスによりジーザスにタッチしたとき、この美徳が流れ出て、彼女を癒した。われわれの内なるキリストこそがデュナミスである。
召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力(デュナミス)、神の知恵たるキリストなのである。-1コリント1:24
またエペソ1:19-20には4種類の力が出ている。
and what the transcendent greatness of His power (dunamis) for us who are believing, in accord with the operation (energeo) of the might (ischus) of His strength (kratos), which is operative (energeo) in the Christ, rousing Him from among the dead and seating Him at His right hand among the celestials…-Eph 1:19-20
デュナミス、エネルゲオ、イストュス、クラトス。これについてはマイメッセをどうぞ。
聖霊様充満~、油注ぎ~とヒステリックに叫ぶ人たちに注意せよ!すでに油は注がれている、【頭】に。キリストの頭首権に服することこそが、油塗られるカギだ(Ps 133:1-5)。

ニッポンキ業界の「君は愛されるために生まれた」、「愛こそすべて」、「愛・アイ・あい」と叫ぶ病理を極私的にはラヴ・オブセッションと呼んでいる。常にそう叫んでいないと不安なのだ。なぜ?
それは愛のサスブスタンスが実体化されていないからだ。Yahawehエロヒムの愛は霊のサブスタンスであり、それは魂の感情において実体化され、さらにボディのハートにおいて経験的に感じることができる。このとき、ブレイン-ハート・コネクションがカギとなる。生理的にも良い神経伝達物質やホルモンが分泌されて、体の状態も健やかにされるのだ。
われわれのフェイスは「我はナントカを信ず~」といったお題目ではない。またバルトのような空理空論の言葉遊びでもない。それは実体であり、実質であり、五感の領域に現出する(=感覚化)ものである。
いま、フェイスとは願われるサブスタンス、まだ見ていないことの現出である。-Heb 11:1(私訳)
上のビデオはニューサイエンスのGregg Bradenの説く最新のサイエンスにおけるブレインとハートの関係に関する知見である。まことにサイエンスは聖書を後追いしているのだ。
では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。-ローマ10:8-9
Dr.Lukeのクリップも参照のこと。

これまで繰り返して言ってきて、今回のメッセでも触れたが、バイブレーションの影響は医学レベルでも実証されている。超音波で大脳の回路を書き換える実験が報告されている。
昨年11月号のNatureに超音波を脳研究や治療に使う可能性についてのレポートが掲載され(Landhuis Nature 551:257, 2017)、それまで考えたこともない超音波(ものの振動)で脳が操作できるという話には驚いた。この中では、超音波を使ってナノ粒子を活性化して、中に詰めた薬剤を遊出させる方法など、なるほどと納得できる技術の紹介もあった。しかし超音波を脳に照射することで皮質神経細胞の興奮を刺激でき、これを使ってピンポイントの脳操作を期待する研究が増えていることも報告されていて驚いた。電流や磁場ならともかく、超音波がなぜ神経興奮を誘導できるのか、誰も説明できておらず、本当に磁場照射や電流に匹敵する方法に発展するのか、誰でも疑問を持つ。
今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文は超音波照射は脳神経細胞に直接作用するのではなく、聴覚を通して効果を及ぼすことを示した研究で6月6日号のNeuronに掲載された。タイトルは「Ultrasonic neuromodulation causes widespred cortical ac-tivation via an indirect auditory mechanism(超音波による神経操作法は間接的に聴覚メカニズムを介して皮質の広い範囲を活性化することに起因する)」だ。
最初はこの研究も、超音波による神経操作法(UNM)のメカニズムを明らかにしようと計画したのだと思う。超音波を照射した時に脳全体がどう変化するかモニターするため、すべての皮質神経細胞の興奮をカルシウムセンサーの発光でモニターできるように遺伝子操作したマウスを用い、頭蓋を薄くして発光を検出しやすいようにして超音波への反応を調べている。
すると予想に反して、照射により最も早く興奮する場所は聴覚に関わる皮質野で、他の領域の興奮は後から起こってくることを発見する。同じ興奮パターンが、視覚野をねらって超音波を照射しても起こるため、マウスには聞こえないと考えられる波長の超音波でも、その効果はまず聴覚を通して脳内に伝播していると考えられる。これを確認するため、脳の左右別々に照射を行うと、照射した場所ではなく、反対側の聴覚野から活動が始まる。これは聴覚神経の走行と一致することから、超音波もまず内耳を通って脳の興奮を誘導していることが確認された。
次に、聞こえる普通の音と、超音波を聴かせて比較しているが、興奮の強さや時間経過はほとんど両者で変化がないこと、さらには内耳の機能を抑制したマウスを用いて超音波照射を行うと、脳の興奮がなくなることから、超音波も何らかの形で耳で聞くというプロセスを通してだけ脳に伝わることが明らかになった。普通の音や、光刺激と同じで、超音波を照射してもマウスの運動が止まることから、マウスは超音波を音として認識していることも確認できた。ここからは私の解釈だが、おそらく聴覚系が反応しても、聞くと認識しないだけで、脳は超音波にも反応するのだろう。
以上の結果は、これまでの超音波による脳操作実験の全否定になっているといわざるをえない。超音波が膜電位にどう影響するのか明確でない以上、個人的にはこの結果の方が納得できる。すなわち「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という結論だ。しかし、試験管内で培養している神経を超音波で興奮させるという論文もあり、今回の実験からはこの実験を否定することはできない。さあどうなるか?幽霊か現実か結論するためには、もう少し時間がかかるかもしれない。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた[1]この原語の意味は、”バイブレート”していた。。-創世記1:2
天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても、その響き[2]この意味は”弦”、振動、バイブレーションだ。は全地に/その言葉は世界の果てに向かう。-詩編19:2-5
ワーシップにせよ、異言にせよ、霊のバイブレーションに満たされるのだ。思い(マインド、ヌース)の刷新により(Rom 12:2)、ついにはブレインの書き換えにまで至り、キリストのブレインが書き込まれる。こうして聖霊のメモリーによって生きることになる。
その日(聖霊が来る日)には、あなたがたにわたしを現す。わたしが生きるのであなたがたも生きる。-ヨハネ14:19-21
かくしてエクレシアとはキリストの充満(Eph 1:23)[3]「満ちているところ」とか「場」と訳すのが邦訳だが、誤訳である。キリストの「充満」そのものである。、すなわちキリストである。