ニッポンキリスト教用語をシェディングせよ

どうもキ業界は辛気臭い。悔い改めよ~、罪を犯すな~とボクシはそれしかセリフがないのだろうか?

・「罪」と訳された原語はハマルティア、的外れの意味。岩波訳では”神から離れて生きる人間の傲慢”とする。「原罪」なども聖書にはないから。

・「悔い改め」と訳された原語はメタノイア、思い改めの意味。岩波訳でも”原意は必ずしも悪行を「悔いて」「改める」の意ではない。認識と心性の方向性を180度逆転し「神」の方向を向くこと”とする。

・「良心」も同様だ。原語はスネイデーシス、その意は「共同認識」だ。つまり主と認識を共有すること。岩波訳では「良心」は不適しとして「内奥の意識」としている。

・「教会」はもはややめたほうがいい。天理教会だの、統一協会だのわけわかめ。エクレシアとは召された人々、召衆だ。

・「信仰」も不適。信じて仰ぐ、これで宗教ができる。ピスティスあるいはエミュナは五感を超えるスピリチュアル・センス。あえて言えば、信、あるいは信力だ。

・「敬虔」も日本語で考えてはならない。原語はエウセベイア、その定義は聖書自身が与えている。「神が肉において現出する」ことだ。日本語では適切な単語がない。

・「恩寵」なる単語もいかにもかび臭い。原語はカリス、これは恵みでよいが、その内実が重要。

・「伝道」なんてのも違和感だ。エバンジェライズ、これもよい単語が思いつかない。

・「牧師」などは聖書にはない。原語のポイメンは牧する者、まあ、牧者か、最近では牧仕などとするむきもあるようだ。僕死にはならないように!

・「聖化」なども不適。メタモルフォーシス、それは昆虫の変態。魂が再構成されることだ。

等々・・・・

かくのごとく、変な倫理道徳観を持ち込んでいるのだ。そこで宗教臭くかつ辛気臭いニッポンキリスト教ができる。それを嫌ってタテノリガチャガチャの「へい、君たちぃ~、かみさまは君を愛してる~、乗ってるか~」的になるか、アンチになって墨を入れて偽悪を気取るかになる。

日本語マトリックスの呪縛は実に深い。繰り返すがエクソダスのためにはまず言語マトリックスをシェディングせよ。

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