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ブログ・スクリプトをWord Pressにチェンジしました。明日(2017年3月10日)以降、このページは更新しません。新しいブログに移行します。

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Entry

Tag: 一石

春の詩を二題

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立春も過ぎまして、春めいてきました。で、春の詩を二題。

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春風を愁う  一石
玄天に 春意(しゅんい)動き
淑氣(しゅくき) 晴空に滿つ
却(かえ)って恨む 花の涙を含むを
愁(うれ)え教(し)む 粉を送るの風
(五絶・仄起式・上平声一東韻)

これは花粉症で苦しんでいた頃に詠んだもの。今は癒されております。

次は巨匠王維のもの。並べるのはちょっと・・・ですが

shakshu.jpg酒を酌んで裴迪(はいてき)に与う
酒を酌んで君に与う 君自ら寛(ゆる)うせよ
人情の翻覆(はんぷく)は波瀾に似たり
白首の相知(そうち)も猶を剣を按(あん)じ
朱門の先達は弾冠(だんかん)を笑う
草色全く細雨を経て湿(うるお)い 
花枝動かんと欲して春風寒し
世事(せじ)浮雲 何ぞ問うに足らん
如(し)かず 高臥して且つ餐(さん)を加えんには

ここまで生きるとけっこうこの境涯が共有できるわけ

漢詩:愁天-一石

20161123-1.JPG

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愁天   一石
清爽たり 金風の裏
愁いを添ゆ 黄葉の天
歳華 相待たず
処士 飛仙を望む
(五絶・仄起式・下平声一洗韻)

千樹眠亦望生―一石

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千樹 眠りて 亦 生を望む   一石       
秋雲 寂寞として 人に逼(せま)るの寒
葉は落ち 蕭條として 白露 摶(たん)たり
繁枝 借まず 揺落(ようらく)盡(つく)す
閒(しず)かに眠る 千樹 為に懽(かん)を承(う)く
(七絶・平起式・上平声十四寒韻)

白露過ぎに

このところKingdom Fellowshipのサイトの方のメンテに集中していたが、ようやく形が着いたところ。若い人たちはPCやキーボードが使えないとか。スマホとパッドが主流なわけで、サイトも今までのような古典的な作りでは置いてきぼりにされる。

・・・というわけで、レスポンシブ対応でマルチメディア指向仕様にしました。記事もかなり読みやすくなっておりますので、よろしくです。またこのブログもスクリプトをWordpressに変更しようかと、今いろいろやっているところです。

で、本日は9.11。あれから丸15年。世界は変質した。その後、3.11を経て、一挙に終末モードが深まっている。が、われわれは落ち着いた生活をつつましくもスーパーナチュラルに送りたいと思っている。最近、FBの方にウエイトが傾いていて、すでに白露(7日)を過ぎたのだが、一応、ここでもご披露しましょう。李白を意識しております。

(この宿は20年来のお気に入り、下賀茂温泉の南楽。おススメです)

 

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hakuro.jpg

 

 白露     一石
 幽庭の風樹 客心驚き
 涼夜に紗窗 白露生ず
 蟋蟀(しつしゅつ) 憐れむに堪えたり 天宇淨なるを
 星河 揺落し 詩情を 動かさん

 ※紗窗=きれいなカーテンのある窓、蟋蟀=こおろぎ
(七絶・平起式・下平声八庚韻)

李白の原詩はこちら、スケールが壮大

廬山の瀑布(ばくふ)を望む 李白
日は香炉を照らして紫煙を生ず、
遥かに看る瀑布の前川(ぜんせん)に挂(か)かるを。
飛流直下 三千尺
疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと

 

晩夏熟想

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晩夏に熟す想ひ 一石
晩夏 清風の夕(ゆふ)べ
殘炎に 秋意(しゅうい)何(いくばく)か
濤聲(とうせい)に 幽興(ゆふけふ)熟し
暮懐に 金波 瀉(そそ)ぐ
(五絶・仄起式・下平声五歌韻)

 

■直訳:立秋も過ぎ、暦の上では晩夏。海風がさわやかな夕暮れ時。残暑も残るが、秋の気配を感じられる。波の音に風流な感覚も熟しつつ、暮れ時の懐に黄金に光る波が寄せてくる。

■釈意:私の人生も夏の終わりに差し掛かるが、爽やかな命の風を味わいながら、まだ夏の暑さの余韻も残しつつ、人生の秋を迎えつつある。波の音にも自然の妙味を覚えて感動し、人生の暮れに向かうわが心にも、依然として金色の輝きの波が押し寄せているのだ。

浮生

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20160626-2.jpg

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浮生       一石
流鶯 碧樹に 前盟を話す
藍花 空林に 世情を遺(わす)る
遥かに覊懐(きかい)を想うも 人 已(すで)に遠し
新荷 滿目にして浮生を樂しむ
(七絶・平起式・平下八庚韻)

獨鳥意不窮-一石

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花叢 翠柳 春風を擅(ほしいままに)す
荷葉 依依として 趣 同じからず
流鶯 伴を求め 鳴く聲 響く
獨鳥 池に臨み 意 何ぞ窮らん

(七絶・平起式・上平声一東韻)

 

花が咲き乱れ、緑の柳の葉も茂り、春風に自由気ままに揺れ動いている。
蓮の葉も一枚一枚の趣はみな異なりつつ、生き生きと開いている。
あちらこちらを飛び回る鶯は伴侶を求めてしきりに鳴き響き合う。
そんな春の華やかな雰囲気の中で、一羽の鳥が池の中に、
何かもの思いに沈むように佇んでいるが、
その気持ちをどうして理解してあげることできるだろうか。 

 

事都てマトリックス

観る番組がないTV、たまたまドッキリ番組を観たが、これがなかなか教訓的。3ヶ月以上にわたり、お笑い芸人を映画監督にしたて、本物の俳優やス タッフをそろえての撮影から、完成試写会まで。本人はまったく気づかず、"監督"としてあれこれトラブルを抱えたりしつつ、制作過程で一喜一憂。すべて舞 台はフェイクなのだが、本人にとってはそれがリアリティー。最後に試写会でスタンディングオベーションを得て、得意絶頂の場面でネタバレ。脂汗をタラタラ で、なんとか持ちこたえた。

これ、けっしてお笑い番組ではない。この世がまさにソレなのだ。映画のタイトルは「LIQUID(リキッド)」、反対に読むと「ドッキリ」。しかし気がつ かない。まことにマトリックス。この世は聖書ではCosmos(コスモス)と言うが、これは真のリアリティーではない。ヤラセの世界なのだ。その中で成功 したり失敗したり、アレコレ五感のカプセル内での経験をしつつ、年を重ねる。たとえばそもそも「色」などはない。あるのは電磁波。聖書ではサブスタンスというが、それが色として感知され る。それは大脳が作り出したものにすぎない。これをクオリアという。まことに色即是空。

かくして五感のクオリアに閉じ込められた人は、時に自分の勲章を誇ったり、あるいは自死したり・・・。自己実現なる幻想を追求している。何がどうなると満 足するのだろうか?もっとも頼りとするカネも、そもそも発行額は80兆、が、普通預金口座の数字を足すと400兆!?個人金融資産1,400兆とか言われ るが、それはフェイク。現ナマはない。しかも800兆がアメリカにむしられている。まことにおめでたいニッポン人、福島の真実も含めてすべては知らぬがホ トケ。古のソロモンは言った:

わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。-聖書

究極のリアリティーは? あなたは赤と青と、どちらのカプセルを飲みますか? 2016年、その選択の結果がけっこうシビアに問われる年となる。

 世事 都て訛たり  一石
 當年 風貌 細腰(さいよう)多し
 浮客 時を痛む 髪(はつ)己(すで)に皤(しろ)し
 何(なん)ぞ人生に耐えん 胡蝶の夢
 今に到り識(し)る可(べ)し 事都(すべ)て訛(か)たるを

謹賀新年

マトリックス

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Dr.Lukeの一言映画評

英国のベストセラーの映画化作品、『リピーテッド』。主演は私のfavoriteなニコール・キッドマン。年齢を重ねても実に可憐だ。

クリスティーンは、事故の後遺症により毎朝目覚める度に、前日までの記憶が失われてしまう特殊な記憶障害を負っている。夫のベンは、結婚していることや夫である自分のことすらも忘れてしまう彼女を、献身的な愛で支えていた。ある日、ベンの留守中に医師を名乗る男から電話がかかってくる。少し前から夫に内緒で、クリスティーンの治療にあたっているという医師は、「数週間、あなたは毎日の出来事をひそかに映像日記として撮影してきた」と言い、その隠し場所を告げる。そして、日記を再生したクリスティーンは、記憶障害の原因が、誰かに襲われて瀕死の重傷を負ったことだと知る。夫の言葉と違う医師の言葉。一体誰を信じればいいのか?クリスティーンは“昨日の自分からのメッセージ”を頼りに、謎を追っていくが、辿りついた真実は、想像もできないものだった。

人のアイデンティティーは記憶に基づく部分が大きい。ところが一日しか記憶がもたない彼女が徐々に真実を知っていくのだが、何がリアルで何かフェイクか、こちらも分からなくなる。彼女の"夫"により彼女の記憶は操作されているのだ。操作されて真実と思い込まされるとそれに感情は反応し、行動も乱れる。たとえそれがフェイクであってもだ。われわれも同じ。自分のアイデンティティーを記憶に基づいて確立する人は、あの者によって操作されて欺かれているのだ。自分はダメだ、自分は愛がない、自分は深刻な罪を犯した、自分は神から見捨てられた・・・・。これって、リアル?アブソリュートリー・ノーだ。

われわれのアイデンティティーは記憶によるのではない。真理による。すなわちわれわれは新創造、われわれは神の瞳のリンゴ、われわれの病はすでに癒されている、われわれのあらゆる必要は満たされている、われわれは神の子である・・・。自分はそう感じないと思う者はあの者によりマニュピレートされている。感じる・感じないは関係ない。聖書にそう書いてあるからだ。これがすべて根拠。天のサブスタンスは永遠の現在の事実。これが真理だ。繰り返すが、そのサブスタンスを、今、ここで、現すこと。これが信仰だ。この世はすべからくフェイク。真理はただ聖霊にのみ存在する。前に詠んだ漢詩を再録しておこう。

 
 
 

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