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Tag: 背教

終末の教会に対するエレミヤ氏の警告

爽快な季節。肌に触れる空気が冷たく、これがまたなんともキモチガイイ♪

さて、30年近い私の信仰の友、エミレヤ氏。初期から終末の教会のあり方に対して警告を発している。必ずしもすべてに同意しているわけではないが、そのメッセには耳を傾けるべき部分が多い。再度紹介しておきます。

eremiya.png

 かつて(90年頃)のエレミヤさん

私自身もこの10年近く、クリスチャンの振るい分けが起きることを語ってきている。昨日もある方に対するサタンのリクエストが承認された。彼は神にチャレンジし、霊的領域を挑発しているために、自らサタンに足場を提供してしまった。自分の何かを主張するために、一線を越えてしまったのだ。そのチャレンジをサタンは受けたが、彼は主の血潮の守りもなく(おそらく彼自身、その必要も感じていないであろう)、丸腰の状態。ヨブやペテロと同じ霊的メカニズムである。

すべての事はまず霊的領域で起きる。それがこの物理時空間に時系列的に起きるのだ。五感の中でだけ生きるならば、それは大いなる霊的盲目にあって深い損傷を招くことになる。人の前で生きるのでなく、神の前で、サタンの前で生きる必要がある。

追記:注意すべきは神が自ら試練を与えることは決してない(James 1:13)。こちらに足場(topos)があるのだ(Eph 4:27)。神はそれに対する警鐘をいろいろな形でなされるが、頑なにそれを拒むならば、サタンのリクエストが承認されてしまう。それはたいてい自分にとってもっとも自信がある領域、あるいは自分の能力や才能をひけらかす領域であることが多い。ヨブもペテロもまったく同じ罠に落ちたのだ。ましてや主の血潮を侮るならば、これはもはや何をかいわんやである。

終末のふたつの教会-40年前のWilkersonの預言

2011年、突然の交通事故で召された同氏の40年前の預言。終わりの時代にはふたつのスーパー・チャーチができると。背教の教会とスーパーナチュラルなエクレシア。私がこれまで訴えてきたことではないか、WOW! 

キーワードはやはり、スーパーナチュラル&オーガニック。それはこの五感を超えた世界のリアリティーに生きる者たちの集合体。人の手のわざが入らないオーガニックな存在なのだ(Mark 4:26-29)。いわゆる地域教会としていかなる形態を取るかとか、運営システムはどうかとか、そのような小賢しい人の要素は一切入らない。

このコントラストは実に興味深い。しかし、神はなぜデイヴィッド・ウイルカーソンを取り去られたのであろうか?

20160505-2.jpg

わが民よ、彼女から離れ去れ!

ここにはサタンの深みが存在する(Rev 2:24)。

背教の道をあえて選ぶアメリカ

背教の道-カトリックはユダヤ人の伝道をすべきではない

おフランシス様の暴走が止まらない。この人物、NWOとNWRの使徒として、見事にその役割を演じている。

-Catholics should not try to convert Jews, Vatican says in landmark document

実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。-Rom 9:3

 

内部からの崩壊の中に生きる鍵-フェイス!

いや、実に気持ちのイイ走りだった。この刺すような冷たい空気のピリピリ感がたまらない。

トロイの木馬。いわずもがな、トロイア戦争においてギリシャ軍が用いた戦術。トロイアは城壁の内部に敵の侵入を許してしまったのだ。最近ではPCウイルスにも同様の名のものがある。そして今、敵の策略は同じ。いわゆるキリスト教会の内部に自らの分子を侵入させ、クリスチャンを相互に打ち合いさせているのだ。一部のニッポンキリスト教徒たちを見れば分かるであろう。自分の趣向に合わない、あるいは自分のオツムで理解できないむきを、カルトだ、異端だと断罪し、自らを"神"とする連中である。これも終末の大きなしるしである。

わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。
人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。
彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。
わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、彼らの時がきた場合、わたしが彼らについて言ったことを、思い起させるためである。これらのことを初めから言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。-John 16:1-4

欺かれることのないように。彼らは父をもイエスをも知らない輩なのだ。そしてこの現象はニッポンキリスト教に限る現象ではない。アメリカでも同じ。すでにGODの存在を認める人々が71%から63%に下落し、サンデーサービス参加者も現象、無神論者や懐疑論者が増加している中で、クリスチャンは相互に攻撃し合っているのだ。

-Christians Are At War With One Another As Americans Leave The Church In Droves

クリスチャンを自称する者の2/3が他の宗教でも永遠のいのちが得られるとし、50%がノンクリスチャンでも永遠のいのちを得るとする。カトリックの68%、プロテスタントの65%、オーソドックスでも59%がそれを認める。福音派とモルモンでは31%、そしてなんとエホバの証人は5%が認めるに過ぎない!?これ、なんというパラドックス!かくして時代は欺瞞と背教の時代。その先導はカトリック。黒と白が逆転しているのだ。

わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし、苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。-Isa 5:20

そう、同性愛結婚も認知され、ハッピーハロウィンが盛大に行われるこの時代。倒錯の時代なのだ。今後、救いはただイエスの名によるのみとかする者たちが偏狭・排他的・狂信者とされる傾向がますます強まるであろう。神に至る道はいろいろ、すべての宗教は神へ続くと、おフランシスが宣言したとおりの背教の時代。五感の世界に留まる者たちはつまづくであろう。この主のことばを真に見る必要があるのだ。

わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。-John 17:14

私たちはニュークリチャー。新生命体。世のものではないのだ!タイムマシンで自分が縄文時代にワープしたことを考えてみよ。それと同じことが、今、ここで、起きている!そのとき、縄文人として生きるのか、縄文人の知識と能力、そして資産だけに頼って生きるのか?ノー!終わりの時代、覚醒せよ!フェイス・アウェイクン!まことに

わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。-2Cor 5:7

目ではなく、フォースを使え!ではなく、フェイスを使え!

聖書予言の布陣どおりに

2003年頃のバイブルカレッジで、イザヤ17章(Isa 17:1)のダマスコへの預言がこれからの世界情勢の鍵になると講義した。つまりシリアだ。まもなくブッシュがアフガンとイラクに侵攻した。今般、ロシアが巡航ミサイルも飛ばすほどに介入。そしてついに中国も。このシェミタの終わり9月はまことに「何事」かが起きたのだ。

-HERE COMES CHINA: Beijing Sending Troops To Join Russian War In Syria

東の王(日の出る方から来る王)が動いたわけだ。さらにトルコを防衛するためとしてNATOが動く。

-Nato chief says prepared to send troops to defend Turkey

すべての起点はシリア。つまりダマスコだ。現在、われわれはイザヤ17章の予言の成就を見ていることは間違いない。オバマはすでにプーチンに飲まれているが、なお、彼は自分の役目を果たすであろう。アメリカはすでに予想以上にモスレムの侵食を受けている。

-ISIS Plan to Conquer America

かなり前に書いたことがあるが、モスレムはある地域に移住するとコミュニティを作り、その地域のもっとも高い処において、この地域はアッラーのものであると宣言するのだ。そしてじわじわとその地域に、平和裏に入り込み、ついにはその地域を専有する。まことに、「自分が宣言することはそのとおりになる」との霊的法則を知っているのだ。かつてロンドンにてレンターカーを借りる際、エッジウェアStに入ったが、なんとそこはすべてモスレムの店だらけ。モスレムの雰囲気は一言で言うと死の感覚。生命の自然な躍動感が感じられないのだ。

この数年来、現在起きている事象は霊的領域での相克の反映であると書いている。つまりカインの霊とアベルの霊、神に受け入れられた者と拒絶された者の葛藤だ。これがますます顕著に現れているのだ。敵はカトリックという、普通の人から見ればクリスチャンの本家本元と、アメリカという自由と平等、民主主義の理想国家に自分のコマを配置している。まさにトロイの木馬だ。これからキリスト教は背教に落ちる。否、すでに落ちている。真に御言葉というレンズを通して見ていないと容易に欺かれることであろう。

 

背教の道、NWRへ

神は、名前は違えども、みな同じ。信仰もいろいろ。宗教の違いを乗り越えて、みんなひとつになろう。

法王、私は自分の名によって来た、と宣言

わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。
互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。-John 5:43-44

今回の法王のUNでの演説、これは極めて重大である。彼は宣言した:

Mr President,

Ladies and Gentlemen,

Thank you for your kind words.  Once again, following a tradition by which I feel honored, the Secretary General of the United Nations has invited the Pope to address this distinguished assembly of nations.  In my own name, and that of the entire Catholic community, I wish to express to you, Mr Ban Ki-moon, my heartfelt gratitude.

私は私の名において、また全カトリック・コミュニティの名において来た、と。こうして彼らは互いに誉れを受けているのだ。法王の称号は"Vicarius Filli Dei"、意味は「神の代理」。しかもご丁寧にその数字は666。しかるに聖書にはこうある:

神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。-1Tim 2:5

法王は自分の名によって来た神の代理。これが今回のUNでの演説による明確な結論だ。さて、あなたはこの者の本質をどう判断するだろうか?

-Transcript

フランシス、イエスの十字架は失敗だった、と・・・

-The Shocking Message Pope Francis Preached At New York’s St. Patrick’s Cathedral

“The cross shows us a different way of measuring success. Ours is to plant the seeds. God sees to the fruits of our labors. And if at times our efforts and works seem to fail and not produce fruit, we need to remember that we are followers of Jesus Christ and his life, humanly speaking, ended in failure, the failure of the cross.”

普通はこの後、しかし、霊的には勝利を得た、とオチがつくのだが、それがなかった模様。人は心にあることを口が語るもの。状況証拠は揃ってきている。不法の者の出現の。いつから文鮮明化したのだ!?文も自分は来臨のキリストと主張したが、フランシスもいずれ・・・。否、すでに彼は「神の代理」を自称。時間の問題だろう。

-Transcrpit

なお、彼は最後にザ・レイディに、私たちが任された任務をお委ねしましょう、と締めくくっている。ザ・レイディとは?

■参考:これはすでに紹介しているが、フランシスは、教会(もちろんカトだ)の外における個人的なイエスとの関係は危険であると声明を出している。

UNでのフランシスの演説

-Transcript

議会での気の抜けたようなわかりにくい英語での演説と、そしてUNでの母国語での演説。表向きはカゲキな内容ではない。環境保存と世界平和がキーワード。そしてAgenda2030についても言及。これは真綿でくるむ策だ。つまりこの路線が今後の世界のパラダイムになる。時代の霊は環境・平和・協調・共存、そして信仰の統一へ、だ。人間による、人間のための、人間のAgenda。

上の写真はグランド・ゼロにおける各宗教の代表者との祈りの場面。フランシスが先導している。すでにWHでの発言のとおり、彼にとってはキリストのユニーク性は無視。神々(gods)はどんな名前であれ、みな神(God)なのだ。彼においてはTHEは不要。今後、「救いの名はイエス以外には人類に与えられていない」などと宣言することは彼のAgendaに反すること、もっと言えば排他的にして狂信的な原理主義カルト、という風潮になるであろう。時代の霊の動きはここをターゲットにしている。なぜか。あの者は自分の運命を知っており、その運命を共にする者たちをひとりでも多く得たい故だ。

地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。-Matt 10:34

真理と平和、どちらを選ぶのか?これは獣の刻印を受けることと直結する選択である。サタンの手法はまず小さいな嘘に私たちを同意させることだ。蟻の一穴ダムを崩す。主は言われた、何をどう聞くかによくよく注意せよ、と。あなたが同意する事柄はあなたを支配する。なぜ?あなた自身が自分でその権威に服したからだ。これが獣の刻印である。それが付けられる場所をよく見てみよ、額と右手だ。マインドと行為を象徴する。

レビ記では、右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に血を塗り、その後油が注がれた(Lev 8:23-30)。それはわれわれの聴力、行動、歩みを聖別し、聖霊が注がれることを象徴する。信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉(レーマ)による(Rom 10:17)。私たちは絶えず何かを聞いている。そして同意している。TVのニュース、CMや健康番組はもとより、自分の脳内に浮かぶ映像、言葉、考え、印象などなどだ。もちろん正確な情報を得ることは必要だ。が、同意するか否かはまた別のこと。もし同意するならばそれはあなたを支配する。

刻印を得ることはまさにわれわれのマインドにおいて起きる。マイナンバー制度を物理的に拒否することは日本に居住する以上不可能だ。それはマイナンバー制度を受けたら永遠の救いを失うことはない。が、もしそれがキリストを拒否することと絡んできたら、われわれは覚悟するべきであろう。かつてのローマ時代、ローマ皇帝を神とするか、否か、が問われた。

ちなみに法王の公式の称号は「VICARIUS FILII DEI」、意味は「神の代理」。そして数字の合計は666。こういった話はしばしば都市伝説のネタとされるが、これも霊の仕業。こうして何気にわれわれのマインドを侵食するのだ。法王は神の代理!あなたはこれに同意するか?いずれ、彼は神となる。すでにエルサレムではその座が設けられ、その予行演習が行われているのだ。

エバを誘惑したヘビの手法を見よ、「神はほんとうにそう言われたのですか?」とマインドに小さな疑問の種をまく。それを受け取ると、それは成長するのだ。サタンは最初からその本質を現すことはない。人々に親しみやすく、穏やかで、柔和にして、包容力を醸し、世界を安心させるのだ。欺かれない者は幸いである。

また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。-Rev 2:24

繰り返すが、物を隠すのにもっとも適切な場所は・・・誰もが見ている公共の場である。

■参考:教会歴史について

背教の時代-NWR法王の面目躍如

あえてヨムキプールにHWを訪れたおフランシス様いわく、聖書とコーランは同じもの。いや、ここまではっきりと言われると・・・。

-Pope Francis At White House: “Koran And Holy Bible Are The Same”

“Jesus Christ, Jehovah, Allah. These are all names employed to describe an entity that is distinctly the same across the world. For centuries, blood has been needlessly shed because of the desire to segregate our faiths. This, however, should be the very concept which unites us as people, as nations, and as a world bound by faith. Together, we can bring about an unprecedented age of peace, all we need to achieve such a state is respect each others beliefs, for we are all children of God regardless of the name we choose to address him by. We can accomplish miraculous things in the world by merging our faiths, and the time for such a movement is now. No longer shall we slaughter our neighbors over differences in reference to their God.”

要するに―イエス・キリストであれ、ジェホバであれ、アラーであれ、これらは明確に同一の存在を描いているに過ぎない。その違いを強調して流血の歴史が起きた。呼ぶための名称の違いはあれ、みな同じ神の子として平和を達成する必要があるのだ・・・。という次第。

一方、サウジのハジでは巡礼者が700名以上圧死。このモスレムのパワーはいったいどこから・・・。

-Hajj Stampede: Saudi Arabia Says 700 Dead, 800 Injured in Mina, Near Mecca

シャミタが終わり、ヨベルにはいるが、時代はまさしく激動。着々と終末の様相を整えている。ネオ・ホモサピエンスよ、覚醒せよ、と主は言われる。

-致命的な傷は癒されるのか?(日本語吹き替え)

追記:参考までに言うと、カトリック&ルーテル(すでにカトリックとの合一を宣言している)の「十戒」は聖書のそれとは異なる。違いが分かるだろうか?

わたしのほかに神があってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の妻を欲してはならない。
隣人の財産を欲してはならない。

そして、なんとおフランシス様は心臓にふたつの穴のある赤ちゃんを奇跡的に癒してしまったとか・・・。

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