「クリスチャンになっても罪人である自分の本質が変わるわけではない2」と再建主義者

先に再建主義者の富井氏の理解は経綸的な理解に過ぎないと指摘したが、今回見事にそれを立証して下さった。この発言は致命的に重要。本質的な霊の生命の誕生、そして霊的実質と魂・体複合体としての肉の相違を見ていないのだ。だから必至で律法を守れ~とやるわけだ。

これで再建主義者の本質は見抜けたと考える。

誰でもイエスを主と告白する人(クリスチャン)は、イエスにあって神の子であり、イエスにあって罪人ではありません。

私も同じです。

しかし、私はクリスチャンとなった後でも罪を犯します。

ですから「実質」罪人です。自分の本質には変化はありません。

ただ、「法的な立場」が変わったに過ぎないのです。

私は、「キリストにあってのみ」 神の子であり、義人です。

もしキリストへの信仰がなければ、私は、ノンクリスチャンと同じです。

警察官が警察を辞めたら普通の人に戻るのと同じです。

警察官に権力があるのは、「法的な立場が付与された」からです。

クリスチャンになったら、「キリストなしでも、実質的に神の子・義人になった」という立場は、キリスト教ではありません。

元警察官が警察官と同じように国家権力を振るえないのと同じです。

本質的アイデンティティと物理的領域におけるパフォーマンスの違いだ。アダムとエバもいわゆる原罪は持っていなかったが、誘惑により罪を犯したのだ。すなわち罪を犯す否かは本質を決定しない!

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