ニッポンキリスト教を生む写本と邦誤訳-プラットホームの重要性-

2016年6月9日のFBの投稿記事を採録しておく。

聖書の写本、これ、ヤバいことになっている。邦語訳は写本以前に、訳語自体が恣意的でとてもではないが、そのまま信用できない。写本もアレキサンドリアあるいはバチカン系列はアウト、どうもビザンチン系列がもっとも信用が置けそうで、私は基本的にe-SwordにKJVとStrongなどを組み合わせて調べている。ギリシャ語やヘブル語は白文では読めずとも、文法が分かれば、種々のツールで理解可能。この点、教養時代にドイツ語で苦しんでおいてよかった。英語だけではちょっと不十分。

例えば、ちょっと光る部分をひとつ―エペソ5:1。ここは普通、「神に倣うものとなりなさい」とあり、これでさんざん自力で頑張ってクルシチャン化する人が多いのだ。倣えるわけがない!それは犬が人間のフリをしようとするようなもの。いのちの階層が異なるのだから、元から無理。

が、ここに使われているギリシャ語を見てみると、「神の写し(要するに、コピー)になりなさい」といったかなり大胆な表現! WOW!!! われわれは新人類。神の種(DNA)をインヒュージョンされた存在。その霊的DNAが発現するのだ。神は肉を通して表現される(1テモテ3:16)。

かくして聖書は宗教の本ではない。道徳や倫理や人生論や神学の本ですらない。それはiPS現象などと同じ生命現象の書なのだ! 日本語の世界だけに閉じ込められるといわゆるニッポンキリスト教というかなりやっかいなマトリックスに生きざるを得ないことになる。霊的世界にアプローチする場合、言語による不公平は明らかに存在するのだ。が、先に紹介したようなツールを神は用意して下さっているわけで、まことに涙が出るほどに感激する次第。

さらに追記すると、プラットホームの選び方がカギとなることを指摘しておく。それはちょうど舞台のようなもので、PCやスマホで言えば、どのOSを選ぶかと言うことである。iOSかAndoroidか、はたまたLinuxか・・・。写本や聖書翻訳はこのプラットホームであり、その選び方でいわゆるキ業界で言う「信仰の歩み」が決まる。新改訳などの問題は思い入れ、つまり自分たちは純粋な福音主義に立つ者であるとして、彼等のマトリックスを原語よりも優先して、意訳するのだ[1] … Continue reading

さらにさらに追記すると、いわゆるキリスト教会の活動の動機が問われる。今、いわゆる成功モデルとされるボクシの動機は何か? 彼らの動機は、表向き人々を地獄行きから救い出すとするものの、それはオブラートであり、内にあるのは、これだ。

さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう。-Gen 11:4

かくして会員数千とか、三千とかを誇り、高速道路からも見える高い会堂を建てることがボクシの実績となる。いわゆるキリスト教会の会堂の典型を見てみよ。彼らはとにかく高くしたいのだ(苦笑)。

エデンの園で人類が喪失したものは、アイデンティティ(Identity)、YHWHの供給(Provision)、保護(Protection)、そして委託(Assignment)だ。私はこれをIPPAの喪失と呼ぶ。これを主から分離されたまま自力で再獲得する営みが人の生であり、それが社会を、そして歴史を構成する。

ボクシたちも同様である。いわゆる伝道や牧会の動機がIPPAの再獲得になっている。その動機がプラットホームとなり、そこに乗せられる人々(信徒)もその動機に自ずと巻き込まれる[2]キリスト教界のみでなく、世の中そのものにも言えることであり、その意味で、世は浮世狂言であると言える。。彼等もIPPSの再獲得をそのプラットホームの上で行い、それが達成されているような疑似満足を覚えると、その教会の教勢は強まるわけ。そのためにリック・ウォレンの『パーパス・ドリブン』など、諸々の教えや手法が用いられる[3] … Continue reading

しかし、真に聖霊の導きに繊細な感受性を有する者は、そのプラットホームのいかがわしさを覚え、そこにいることに違和感を窒息感を覚えるようになる。ここから本当の主ご自身と真理の探究が始まる。ニッポンキリスト教の現状にそのような感覚を覚えることは霊的に正常であり、幸いなことと言える。が、しばしば彼らは自分に問題があるからとして、自分をそのプラットホームに適合させようとする。これを認知的不協和の最小化と呼ぶが、カルトのマインドコントロールの原理である。真面目な人ほど苦しむのだ。

このようにして構成された偽りの要塞がニッポンキリスト教である。それはかの戦争時に目に見える形をとって表出した。

からし種は樹木化してはならない。

主は言われた、何をどう聞くかによくよく注意せよ。その聞いた言葉はとして、あなたの心の中に撒かれ、根を張り成長する。いずれ、小さなアイデアは思想主義して体系化され、政治屋により社会において施行されるとき、共産主義国家がなしたような億単位の虐殺も行われるのだ。

人生は、そして社会は、そして歴史は、この撒かれた種としての言葉が成長した実である。われわれが内に育てる種はもちろん主のロゴス。そのロゴスから生み出された存在がニュークリーチャー。

このとき、喪失したIPPAはキリストにあってすべて得ていることが分かるであろう。あとはそのサブスタンスを発掘し、実体化し、経験、享受することである。これがフェイスだ。

いま、フェイスとは願われる実体(サブスタンス)、まだ見ていない事実(プラグマ=成し遂げられた事)の現出(エビデンス)である。-Heb 11:1

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References

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1 コロサイ2:19などはその典型である。原語は「神の成長を成長する」。リベラル系の田川訳や岩波訳は正確に訳しているのなんともな皮肉である。人の熱心や純粋は罠になるものである。
2 キリスト教界のみでなく、世の中そのものにも言えることであり、その意味で、世は浮世狂言であると言える。
3 オバマの祝祷もしたベストセラー作家でもあるリック・ウォレンについてはその高ぶりを見て、神に打たれると予言したが、二年後に息子が拳銃自殺。その後、現在は自己免疫疾患で一日中痛みで苦しんでいるようである。クリスラムなどの欺瞞を提唱した罪は深い。

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