iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ
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マトリックス(HB:rechem)とは子宮、その中はもっとも安心で快適な場。狭い参道を通り世に出されることはサブコンシャスの領域に喪失感とトラウマを生む(オットー・ランクの「出生外傷説」)。
人はそれらを補償し、再獲得するために自分にとって快適な領域を作ろうとする[1] … Continue reading。正常ならば家庭や共同体、さらに社会的地位。病理的になると麻原やジャニー喜多川の組織。彼らのマイ・ワールドはまさに彼らにとってのマトリックス。キ業界のナントカ先生のキョーカイやキョーダンなども同じだ。
そこは自分が安心できる快適な空間であり、「神」として君臨できる領域だ。問題はそのマトリックスに巻き込まれ、マニュピレートされ搾取される人々が必ずいること。明確なカルト組織までいかずとも会社などでもこの種の現象は起き得る。
さらに「高い塔を建て、有名になって、散らされないようにしよう」とする動機は必ず聖霊と本質的に対立する。それがニコライ派であり、よってイエシュア自身が憎みかつ戦うとまで言われるのだ。ここで「ニコライ=ニカオ(管理・支配する)+ラオス(一般人・民衆)」であり、啓示録の七つの教会のエペソ(好ましいの意)においてすでに侵入し、ペルガモ(結合・結婚の意)で確立している。ペルガモにはサタンの座が据えられているのだ。
真の安心できる快適な領域とは良き地なるキリストご自身であり、他に求めることはまさに偶像礼拝である。つまり麻原やジャニー喜多川のみでなく、キ業界の教職教団制度も立派な偶像である。
ゆえに終わりの時代、裁かれて打ち倒される前にセコンド・エクソダスせよ、と主は語っておられる。残りたい人はご自由にどうぞではある。それは各自の決断に任されているゆえに、かの日に言い逃れはできない。
かくして現代はふるい分けの時代である。

今年のノーベル賞の受賞テーマの一つがエンタングルメント(量子もつれ)の立証だった。波動関数を共有するふたつの量子が時空間を超えて相関するというものであるが、これで局所的実在性が否定されたのだ。つまり時空間に存在するものであれば、相対性理論によって支配されるので、互いの情報は光速を超えて伝達することは不可能。ところが量子もつれの状態にある量子は高速を超えて互いに関係し合うことができることが証明されたのだ[1]このためアインシュタンインはSpooky(気味の悪い)減少だとため息をついた。
白いキリスト教神学の論争にカルバンVSアルミニウスなるものがある。救いは神の定め(確定論)によるのか、人間の自由意志によるのか(偶然論)と争って、互いに異端~とやりあっている愚かなテーマである。これについてはかつて再建主義の故富井氏とディスカッションしたことがある(⇒ログ)。
結論を言えば、判断不能。人間の認識能力には確定と偶然を識別することは不可能なのだ(⇒過去関連記事)。さらにいわゆる自由意志なるものが幻想であることも分かってきている。
では救いとは何だったのか。かつてこんな記事をモノしたことがあるが、さらに進んで議論したい。
エンタングルメントなる現象は確定していない2つの量子状態の重なりが観測によって確定するとするものだが、スピリチュアルな経験もまったく同じ。救われた状態と救われてない状態が霊的領域では重なりとなっており、私がフェイスした瞬間に救われた状態が私において確定する。フェイスは聖霊のプロンプトに私が応答した結果である。自由意志と思っているものは実は後付けなのだ。
われわれはキリストとスピリチュアルな波動関数を共有し、エンタングルメント(もつれ状態に)されている。よってイエシュアは言われた、「地で解くことは天でも解かれており(完了形)、地で縛るものは天でも縛らえれている(完了形)[2] … Continue reading」(Matt 16:19)。それは時空を超えたスピリチュアル・リアリティあるいはサブスタンス。YHWHのわざは天地創生のときより完成されている(Heb 4:13)。われわれは肉体にておいてはこの物理的な五感領域に生きているが、霊においてはすでにキリストとともに御座についている(Eph 2:5)[3]だからパウロは肉体的には離れている者を霊においてっ裁くことができたのだ(1Cor 5:3)。。まさにエンタングルメントである。
重なり状態にある量子は観測によってひとつの状態に確定する。それと同様にあらゆる可能性の重なり状態としてスピリチュアル・サブスタンスは存在しているが、それをフェイスはこの五感の領域において確定する。それがわれわれの経験である。
いま、信(フェイス)とは願われる実質(サブスタンス)、まだ観測されていないこと(プラグマ)の現出(エビデンス)である。-ヘブル11:1(私訳)
キリストとエンタングルメントし、御子の信(pistis)のうち(en)に生きるってこんな安楽はないでしょう。
生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子の信のうちで、生きているのである。-Gal 2:20(改)
邦誤訳の問題点はすでに指摘しているが、たとえば「洗礼」なる訳語も大変にまずい。これは単なる儀式だ。真理はバプテスマ、それは浸し込むこと。我々はキリストにインプラント(Gk.sumphutos)されたからキリストとひとつ(Rom 6:5;1Cor 6:17)。
そもそもフェイスは霊(2Cor 4:13)(☞過去記事群)、エンタグルメントによりキリストと私はその霊を共有している。「使徒信条告白~」なんてものは単なる式文に過ぎない。
かくして私たちはキリストとバイブレーションを共有しているだけでよいのだ(☞バイブレーションについてhこちらの記事群を参照)。
その時、聖霊は霊の感光またプロンプト(促し)を与えてくださり、それに応答する形(これを自由意識と思っている)で私たちが語り、また働くとき、天のサブスタンスが地に実体化する。まさに天になるとおり地にもなるのだ。このメカニズムはフォティーゾと言われることはすでに説いている。
キリストと私たちはその人間性、死と復活、昇天、そして着座を共有しているのだ。この事実をサタンは隠しておきたい。だから信仰に励め~、聖化~、奉仕伝道、献金、会堂建造、教勢拡大、日本民族総福音化の決起集会~と騒ぐわけ。ほとんど喜劇のレベルではあるが、以下自粛。

あなたがたはこの世と同じ姿かたちにさせられてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形造り直され、〔その結果〕何が神の意思であり、善きことであれ、そして〔神に〕喜ばれることであり、完全なことであるのかを、あなたがたは吟味するように〔しなさい〕。-Rom 12:2(岩波訳)
メタノイアはメタ+ノウス、メタは「超越的」あるいは「ある方向へ」の意味、ノウスはマインド、思いである。すなわち主の方向にマインドの方向を変えることだ。この意味で「悔い改め」は不適であると何度も指摘している。「悔い」の意味などはない。
神のみこころに添った悲しみは、【悔いのない】、救いに至る【悔い】改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。-2Cor 7:10
って、自己矛盾でしょう。正確には「悔いのない思い改め」だから。新改訳は田川さんの言う通りなのだよ。
自分の生き方や信条や個性や感じ方などをあくまでも主張する人々がいる。オレはオレ、私は私であることが大切だと・・・。彼らを見ているとひたすら種々の活動や主張に次から次へと没頭し、それはある種強迫的ですらある。それに没頭していないと自分のアイデンティティーが保たれないかのように・・・。一言で言えば、霊的に空疎なのだ。
私たちは絶えず自分の十字架を負う必要がある。それはまずマインドを絶えず変えること。電子マネーの意味が理解できないおじいちゃんのように、現ナマのマトリックスに絡め取られていると電子マネーが使えない[1]薬剤師の奥さんいわく、あるおじいちゃんが電子マネーで支払うと言うので、3千円チャージしてもらったら、お釣りをくれと求められたと。。理解もできない。これが自分を自分のマトリックスに幽閉する人々のあり方だ。自ら捨てない者は決して霊的富を得ることはない。そしてその空疎さは周りにはわかってしまう。霊のあり方は決してごまかせないのだ。彼らは活動することによってその空疎を補償しようとするのだが、かえってそれが空疎さを証明していまう。
神のバイブレーションと共振すること(Ps 19:1-3)。これは神の声を聞くことであるが、魂(Soul)―特にナチュラルなマインドが邪魔をする。いわんや、自分を主張すればするほど、神との距離が離れる。まことにジーザスの声を聞く者は生きるのだ(John 5:25)。私たちの霊的有用性は、活動ではない、聞くことだ。聞けばフェイスが息吹かれる。それは霊を受けることである。そして語り出すのだ。その語り出された言葉は無意味に返ることはなく、必ず言い送ったことを成し遂げる(Isa 55:11)。それは神の業である。ジーザス自身がそのように生きたのだ。
神に属する者は神の言葉(レーマ)を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。-John 8:47
マルタはジーザスの足元に座るマリアに憤りを覚え、ジーザスに訴えた。が、彼は、マリアは大切なことをしているのだと言われた(Luke 10:40-42)。それは―ジーザスの声を聞くこと。聖霊は自分勝手に語るのではなくジーザスの言葉を語り、ジーザスを栄光化する(John 16:13-14)。かくして、私たちの有用性はどれほど聞くことができるかにかかっている。

今晩は中秋の満月だ。美しく月が光っている。ちょっと宇宙に思いを馳せてみた。

一部のクリに「宇宙は存在しない」とか、「地球が平らだ」とかのたまうむきがある。ほぼ相手にするまでもないのだが、これまでサイエンスの先人に対する冒とくである。またキリストの名を貶めることにもなる。
さて、もっと突き詰めると、「存在って何か」ってことにぶち当たる。量子論のレベルで、ベルの不等式がアスペにより否定されたことによって、局所的実在性が否定された。いわゆるエンタグルメント現象である。量子コーチなるものはせめてこの程度の知識は得てからにしてほしい。
すると次のような主張も重みが出るのだ。
EMAN氏はこう述べている(https://eman-physics.net/quantum/bell.html):
舞台裏に何がある
我々の生存,いや我々だけでなく,全ての存在の舞台となっているこの宇宙.その舞台裏に,離れた 2 点間の状態を「同時」に操る仕組みが存在している.この「同時」というのは,我々が考える時間の概念を超越した意味での「同時」だ.なぜなら時間は,現在の理解の枠組みでは,この宇宙という舞台の一部であるから.・・・
個人的な思索
私は物理を離れたところでふと思う.私は宇宙の片隅にいるちっぽけな存在に過ぎないが,私が取った行動,決断,思いの全てが,即座に全宇宙のあらゆる場所に何らかの影響を与えているのではないだろうか.この宇宙は巨大で複雑な「生き残り頭脳ゲーム」のようなもので,私は普段の生活で何の気も無しに重要なレバーを引っ張っていることがあるのかも知れない.
あるいはこんなことを思ったりする.
私は今ここにいて,この小さな身体が私の全てだと思っているが,この私という存在は,全宇宙が複雑な組み合わせによって,この場所に作り出した影のようなものに過ぎないのではないだろうか.私をここに生かすために全宇宙規模で複雑な計算が行われている.私の本体は全宇宙であり,私の意志はどこか別のところで全宇宙を用いて決定されているのかも知れない.
この「仕組み」とは何か?聖書ではこう答えている:
” Through faith we understand that the worlds were framed by the word of God, so that things which are seen were not made of things which do appear. ”-Heb 11:3(KJV)
「信によって我々は、此の世が神の言葉によって整えられたのだ、と理解している。すなわち見える事象は(表面に)現れた現象から生じたわけではない。」同田川訳
「 信によって、この世が神の言葉によって造られたこと、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。」同岩波訳(信に訂正)
世とはアイオン、言葉はレーマだ。つまり神のレーマは時空間を超える存在(サブスタンス)。これが時空間においてフレーム化(物質として実体化)されたと言うわけ。
まさにベル不等式のほころびはこの時空間を超える「仕組み」-マトリックス-を想定せざるを得ないのだ。
なお、フェイス(pistis)を「信仰」などとすることなかれ。それは五感を超えるスーパーナチュラルにしてスピリチュアルなシックスセンスである。「使徒信条告白~、われはナントカを信ず~」なんてものではないからさ。私たちニュークリーチャーは時空を超えたスピリチュアル領域でキリストとエンタグルメントしているのだ。

先に世界経済フォーラムのサイトの2017年時点の記事においてCovid-19という名称を用いているとの報告を紹介した。
今回、この記事では2017年時点でモデルナがワクチンのテストを開始していたと告発されている。
これが何を意味するかは明らかでしょう?
なお、イスラエルがコロナ回復者から抗体を分離し、デルタとオミクロンに有効であることを確認したとのニュースも紹介しておく。RNAワクチン接種が打ち損にならないことを願う次第。

これは聖書の終末論でも啓示されているとおりであるが、最近では、かつて陰謀論とされてきたテーマが表で議論されるようになってきた。すでに紹介している馬淵大使や林千勝氏などの著作が秀でている。
今回のふたつビデオは視聴マストと思えるので、貼っておく。
まさにマトリックスの世界であり、表向き観ている現象はフェイク、ヤラセなのだ。かつて私は現代は壮大なフェイクを見せられていると問題提起したが、まさにそれが実証されつつある次第。
私のダニエル書と啓示録の解き明かしシリーズもぜひご覧ください。最初だけ貼っておきます。

先の途中経過のつづき[1] … Continue reading
極私的には日本は米の超長期対日工作による<開国=政治的去勢>、<原爆=軍事的去勢>、<バブル崩壊=経済的去勢>、そして<原発事故=倫理的去勢>を受けてエディプス挫折しているゆえに自立は不可能と言ってきているが、西氏も同じことを述べている。
ところがマッカーサー自身(のみならず欧米連合国)は日本を恐れていたのだ。だから徹底的に日本を破壊した。日本人もマッカーサーにすり寄ることが生存の担保であることに気づき、魂を売った。吉田茂はすべてを飲み込みつつマッカーサーまんせーを演じた。すべての元凶は東条に象徴される軍隊にあるとして、彼らをスケープゴートとして自らは責を逃れたのだ。
マッカーサーは自由と民主主義を唱えつつ、焚書坑儒、教職追放など、自分の物差しに合わない者たちをパージした。その矛盾が共産主義者に対する態度に明確に表れている。共産党自体も当初自衛権を持たないのはおかしいと主張しつつ、現在は今の様だ。
また平和主義による非武装の方針は朝鮮戦争や中共とソ連の脅威に対して欺瞞的に方針転換をした。だから米本国からも「分裂病」と評され、ついには解任に憂き目に合う。大統領への野望も潰えて、彼は言う、日本は自衛のために戦ったのであり、侵略戦争ではなかった、東京裁判は誤っていた、と。
現在のニッポンは自我の分裂状態にあるが、それはマッカーサーの自我分裂の延長であることが、本書で分かった次第。岸田さんなどのニッポンの政治家を見てるとその言葉と行動の乖離は明確であるが、これは彼個人の病理と言うよりはGHQによるWGIP(洗脳)による結果であると言える。
さらにニッポンキ業界や日教組がいかに共産主義者と親和的であったかも理解できる[2] … Continue reading。常々に主張している通り、ニッポンキ業界はニッポン社会の合わせ鏡であるのだ。このままだと、キリ新が言う通りニッポンキ業界がニッポン社会での限界集落であるならば、ニッポンは世界の中でのそれになるだろう。否、溶解し蒸発しつつあるのだ。
今、覚醒しないとほんと手遅れになる、と改めて危機感を新たにした。

cont.
聖書的視点から見ると、バベルの塔の再建を目録む勢力が存在するのだ。そこに「ユダヤ的なもの」あるいは「旧約聖書の歪曲」を見ることができる。国境も民族もYahawehエロヒムが定め、各地にエロヒムを配置していることはDr.Heiserの指摘していることだが、その方の意志を無効にすることこそ、彼らの本質的動機なのだ。
十字架に基づかない「統一」、終わりの時代、その方向への動きが加速する。

なお、本書と共に林千勝氏の著書も並行して読まれるとさらに世界史の裏、あるいはマトリックスが見えてくる。あえてまとめると、馬淵氏は「DS(ディープステイト)」を、林氏は「ロスチャイルド」をキーワードにしてそのマトリックスを解読していると言えるが、聖書的にはもちろん悪しき者のシカケである[1]サタンには思惑(noema)と方法(methodeia)がある。前者は2Cor 2:11において、後者はEph … Continue reading。そしていわゆる白いキリスト教もその中に組み込まれていることは多くの人が気づいていない。すでにペルガモの教会にはサタンの座が据えられているのだ(Rev 2:13)。
また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。-1John 5:19

バイデンの対中政策がトランプのそれと酷似してきた。それはバイデンの変心によるのではなく、裏の勢力DSが一貫しているからだ。彼らの目論見は世界統一政府。そのために戦後中共を育て、ソ連を利用したが、ソ連は不要となったため崩壊。今、中国が同様に使い捨てにされる様相を呈してきたのだ。このあたりの歴史の真実は、元ソ連外交官馬淵氏の著作に詳しい。例えば-

本書を読むと自分の生きてきた時代において目撃した様々の事件がすべてつながるのだ。これは必読書。
まずはバイデンネタから―
バイデン氏の対中政策、トランプ氏とうり二つ
— ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 (@WSJJapan) June 11, 2021
バイデン米大統領の対中政策の方向性がここ1週間で明らかになりつつある#バイデン #トランプ #米中https://t.co/bMdjLKpTuH
次はPB黒字化を叫ぶ財務省のMCと騙されている政治屋と国民様に対して、経産省が反対向きの舵を切ったということだ。これを「高圧経済」と呼ぶらしい。バイデンの200兆を超える大規模財政政策に感化されてのことだと三橋氏の見解だ。これを機にMMTが認知されることを期待する。そのためにマネーの本質の理解がマスト。伊藤元重氏などはこの因果関係がまったく逆、つまり裏返っているのだ。MMTはそれを裏返して、正常に戻すものと言える。国民の余剰資金で国債を買うのではない。国債を発行するから国民の余剰資金が生まれるのだ。
バイデンも経産省も風向きが変わってきた。面白いね、世の動きは。これでMMTが認知されるればニッポンにも希望が出る。バブル時代は政府も黒、土地と株は上がったが物価は+2%の実に理想的経済状況だったのだ。それをルサンチマンの声で潰したことが失われた30年を招来した。https://t.co/cI1zT8aXJW
— Luke Karasawa(唐沢治) (@Doctor_Luke) June 11, 2021
時代はLGBTQなどが当たり前になりつつある倒錯、つまり裏返しの時代。いわゆるマイノリティーがマス社会の秩序に介入し、その機能をマヒさせる事件すら起きている。コロナのためもあり、昨年は新生児数84万、今年は80万を切る予測もある。家庭をもって子供ができればセレブと言われる風潮ですらある。なぜか。これも緊縮財政がもたらしたもの。が、一方で裏返しが再度裏返されて正常化される場面も生じているのだ。ここに今後のニッポンに対してわずかならが希望の光が見え出した昨今である。
すべてはマインド・マトリックスに従って生み出される。誤ったマインド・マトリックスは貧困を生じ、正しいそれは繁栄をもたらす。マインドのトランスフォーメーションこそがニッポンの再生の鍵である。

elohimを「神」とか”GOD”と訳すと「elohimは三位一体の唯一の神であり、他に神はない」と刷り込まれる。これが白いキリスト教神学の根幹であるが、もともとのヘブル語マトリックスからは逸脱していることはすでに何度も述べている。
今回、Dr.Heiserが次のようなツイートをしている:
What made Israel’s faith distinct in ancient times was the uncompromising belief that their God was ‘species unique.’ Yahweh was an elohim, but no other elohim was Yahweh, or ever could be. – The Façade (The Façade Saga Book 1) pic.twitter.com/7F8DhKT27I
— Michael S. Heiser (@DRMSHPhD) March 9, 2021
YaHaWeHは an elohim である! つまり other elohim が存在するのだ(彼らはYaHaWeHではない)。YaHaWeHは最も高き elohim であり、El Elyon である。英語や日本語で読む限り、白いキリスト教神学のマトリックスからはエクソダスできない。そしていわゆるキリスト教なる偽りの宗教体系が構築される。はっきり言っておくが、私はキリスト教徒などではない!
今日、フェイクが蔓延し、何が真実で、また何が偽りかの弁別が困難な時代だ。まことに終わりの時代の兆候が明確になってきている。その偽りから解かれる道は、まずキリスト教から解かれることである!

CLIP:Do We Live in a Simulation? Chances Are about 50–50
これはScientific Americanの記事。われわれは …
これはScientific Americanの記事。われわれは誰かのコンピューター・シミュレーションの中に生きているのだろうか。可能性は五分五分と。
Gauging whether or not we dwell inside someone else’s computer may come down to advanced AI research—or measurements at the frontiers of cosmology
聖書的にはYahaweh Elohimのマトリックスに生かされているのだが、サイエンスがこういったテーマを論じるようになってきたのだ。極私的には所詮世は浮世狂言である。

そう、街は大きな鳥かごなのね、みんな飛べないの
人間の心理とは事に面白いものだ。貧困者がMMTを否定し、財務省の緊縮財政を是とし、クルシチャンが自分を縛る宗教の儀式や伝統を擁護する。かつて人質が誘拐犯に心理的な共感を覚える事件が起き、それをストックホルム症候群と呼ぶ。
1973年8月、ストックホルムにおいて発生した銀行強盗人質立てこもり事件(ノルマルム広場強盗事件)において、人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行った。
人は、突然に事件に巻き込まれて人質となる。そして、死ぬかもしれないと覚悟する。犯人の許可が無ければ、飲食も、トイレも、会話もできない状態になる。犯人から食べ物をもらったり、トイレに行く許可をもらったりする。そして犯人の小さな親切に対して感謝の念が生じる。犯人に対して、好意的な印象をもつようになる。犯人も人質に対する見方を変える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ストックホルム症候群
悪魔は全世界を欺く者(Rev 12:9)。まことに世界(οἰκουμένη)は欺かれている。緑のタヌキが当たり前に当選するこの国。この世界には言わずもがなキリスト教なる宗教体系も含まれる。すなわちフェイクである。このフェイクの鳥かご(=マトリックス)の中で、ある価値基準に従って生き、その基準を満たすべく努力する。それがまったくハマルティア(的外れ)であったとしてもだ。
それどころか、自分を束縛し、自由を奪う者を擁護すらするようになる。自分の属する教団や牧師を懸命に守ろうとする。それはソレがその人のアイデンティティーの一部に組み込まれたことを意味する。つまり自分を擁護しているだけなのだ。自分の歩み、自分の達成、自分の記憶・・・・etc. われわれエロヒム属はキリストの達成と記憶により生きるのだが。
こうしてそのマトリックスの中で延々と過ごすことになる。啓示録12:9の全世界の単語”οἰκουμένη”の語源は”οἰκέω”であり、Strongによると-
to occupy a house that is, reside (figuratively inhabit, remain, inhere); by implication to cohabit: – dwell.
すなわち、居住する領域、つまりこの五感の領域である。この五感の領域はわれわれの五感のセンサーによって感知され、電気信号に変換され(コード化)、大脳においてデコード化されて知覚として内的に実体化される。これをクオリアと呼ぶ。このクオリアの集合体の体系-マトリックス-がその人にとってのパーソナル・リアリティーであり、その最大公約数的部分がいわゆる常識的世界観である。これが共同体とその文化や慣習からズレると、人格障害として、社会や他者との摩擦を生じるようになり、無意味なトラブルを生じる。
人はみなこのマトリックスの中に閉じ込められている。だから、コロナ怖い、マスクしよう、マスクしない奴は非国民だ、経済を止めても自粛、国が何もしなくてもひたすら忍耐・・・。ついに5月の消費動向指数は実質▲16.5%と脅威の数値を記録した。

失業率が1%上がると、自殺者数が2,300人程度増加する。今はUber Eatsなどのギグ・ワークにより日々食つなぐ若者が増加している。が、彼らは止まれない独楽のようなもので、長期の人生設計は描けない。こうして自分の体と魂を売っているのだ。まことにバビロンの商品は、金・銀・宝石・・・・・奴隷・人の魂とあるとおりだ(Rev 18:12-13)。
キリスト教も同じ。鬱病になる牧師は多いことはもはや常識だ。さらに自殺する牧師も増加しているようだ。コロナ騒動で食うに困る牧師も出ているらしい。そして彼らを援助することが近喫の課題とか叫ぶ向きもある。愚かしい、まずいラーメン屋のオヤジを誰が援助するだろうか。店をたためば良いのである。簡単な事だ。
(2021.06.05追記:ついに『牧師のリジエンスー逆境でも燃え尽きない再起力』なる本が出てしまった😱)
信徒も「かみっさまわ~」とヒスるワンパタンの説教を聞かされて、毎日曜日のお勤めをこなすことにより自分の信仰のアリバイを作っている。ある有名牧師が自分は50年間ただの一度も日曜礼拝を休んだことがない~と豪語していた。ま、ご勝手にどうぞだ。それも今回のコロナで見事にストップされた。日曜礼拝などに出る出ないはフェイスとは関係ない。聖書は「集まることをやめるな」と勧めているが、それは宗教儀式を守れと言うことではない。
ニッポン社会とニッポンキリスト教は合わせ鏡だとずっと指摘しているが、どちらも経済的デフレに霊的デフレで縮小するだけ。なにしろキリスト新聞がこのように証ししているくらいだ。

キリ新は絶滅危惧種、教会は限界集落。極私的には廃墟になるべしと前から言っている。まことの主の業はその廃墟から芽生えるのだから。キリスト教なるマトリックは消え去るのみ。かくして、鳥かごから飛び立ち、ケージから逃れる方法はフェイス。
いま、フェイスとは願われるサブスタンス(実質・実体)、まだ観測されていないことのエビデンス(証明・現出)である。-Heb 11:1(私訳)
エレミヤ16章にあるとおり、宗教の捕囚からの第二のエクソダスをせよ!

ここでも、メッセでも繰り返し指摘しているが、Elohimを「神」とか”God”と、YHWHを「主」とか”LORD”と訳してはならない。特に”God”は元々バビロンのいわゆる神の名称である。もとより「神」は日本の概念であり、聖書の原語におけるElohimやYHWHからは相当に離れている。
このElohimが霊的生命体の”residence”あるいは”domain”であることはDr.Heiserがその著書 “The Unseen Realm: Recovering the Supernatural Worldview of the Bible “において解き明かしていることはすでに私のセミナーでも紹介している。
これらの概念の差はいわゆるキリスト教の歴史の中で構成されたキリスト教神学が元凶であり、それはオリジナルの聖書のマトリックスとはかけ離れた人造のマトリックスである。
最近ではこのことが徐々に広まりつつあるが、たまたま発見したこのチャンネルは私とほぼ同じ見解である。
まずはElohimに関して-
最も高きElohimであるYHWHについて-
そして新しい霊的生命体としてのわれわれについて-
特にこのビデオでは、先に書いた通り、われわれが二つの領域-霊的領域と物理的領域-に生存する存在、デュアリティに生きていることを指摘している。
要するにクリスチャンとはキリスト教徒などではないのだ。教団や教派に属し、正統なキリスト教の教義を信じて、毎週日曜日の午前の正当な礼拝に出席して、立ったり座ったり、牧師の説教と祝祷を受けてお勤めご苦労様です、と。これは単なる宗教のマトリックスのプロトコルに過ぎない。
聖書は生命現象の書である。われわれはエロヒムの霊をインプラントされたニュークリーチャー。うちにはYHWHが住まい、特にキリストが生きて下さる存在。つまりYHWHのエミュレーターである(Eph 5:1)。
鳥のヒナは孵化したときに始めた見たモノを親鳥と刷り込まれる。ニッポンキリスト教で”生まれた”者はそこで初めて見たモノを「信仰」と刷り込まれる。これで延々とキリスト教の中で生かされることになる。
終わりの時代、YHWHエロヒムはこのような宗教のマトリックスからご自身のZOEをインプラントされたエクレシアを解き放とうとされていることを感じる。まことに一度言語の罠にハマるとそこから抜け出ることが困難であることは、ザイセイハタン論者がMMTを理解しないか、あるいはあえて拒絶することからもわかる。たとえそれが滅びへの道であったとしても。
真理を知り、真理はあなたがたを自由にする、ことを身を以って体験した者は幸いである。

このビデオで紹介されている消費税減税に関する数値、元々は緊縮派の土居氏が減税は高額所得者に有利になるとして作成したものだが、事実は逆だ。同じデータを見ても、マインドのフィルターを通過するときに解釈は180度逆向きになるの好例。ニンゲンのマインドの働きとは実に不可思議なもの。
ここで稲田氏が減税論者に対して差し向けた「無責任だ」と言う発言は、何も稲田氏オリジナルの言説ではありません。これは、増税派が皆、使う「レトリック」です。
この発言の背後にあるのは、次のような思想です。
(1)財政破綻すると将来、大変なことになる。
(2)消費税率が低ければ、将来財政破綻してしまう。この二つが正しいと「断定」できる場合においてのみ、減税論者を「無責任だ」ということが正当化されます。
しかし、そんな断定は万に一つもできません。
緊縮財政論者のマインドに構築された、「国債発行は国の借金、すでに一千兆を超え、このままではデフォルトして財政破綻する~」という思想はすでに要塞化している。つまり事実に反するがそれを見ようともせず、あるいは見ても認めず、「緊縮~」と自滅の道を走り続けるのだ(もしかすると、あえて日本を弱体化したい勢力の仕掛けもあるかもしれないが)。
彼らの公理は「国債は借金だから返済する必要がある」という命題[1] … Continue reading。数学の場合は公理をどう選ぶのもの自由であるが、経済は実体科学であり、実体を反映していないのであれば、それにもとづいて構築された理論体系は「偽」となる。
国債は見かけは借金であるが、返済の要はないのだ! そもそも紙幣(発行残高は110兆)そのものが日銀のB/Sの貸方に計上される負債(借金)である。また銀行が貸し出しする際には紙幣は不要。つまり、その仕分けは<貸付金/現金>ではなく、<貸付金/預金>と書くだけ(キーボードを打つだけ)。無から有を生み出すのが信用創造である。だれかが借金するからマネーが生まれる。経済主体が全てが借金を返済したらマネーは消失するのだ! この事実を指摘しているのがMMTである。
かくして政府と日銀は統合政府として連結決算を行えば、次のように国債は消えて、マネー化される。

ここにある徴税権とは究極的には国民が生み出し得る価値のことであり、インフラも含めて国富と言える。国富に見合うか、あるいはやや超えるマネーの発行はマイルドなインフレをもたらし、名目GDPを増加させる。つまり需要に対して供給能力が追い付く限りは、緊縮財政論者が言うハイパーインフレなどは起き得ない[2] … Continue reading。
実は私自身もかつては財政破綻論者だった。上記のような信用創造のメカニズムとマネーの本質は理解していたが、政府と日銀が統合できることを知らなかったからだ。これを知った時、私の内の偽りの要塞は砕かれた。そして自由を得た。財政破綻の悪夢から解放されたのだ! まことに-
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする
とあるとおりだ(もっとも国債の場合は霊的真理ではないが・・・)。
かくして、緊縮財政論者のマインドにより、我が国は30年に及ぶデフレから脱出できないで、貧困化の道を歩んできた。今の若者は結婚して、安定した家庭を持ち、子供ができたらセレブであると。土居氏などの「専門家」たちが偽りを垂れ流し、国民が無批判にそれに同意する時、その偽りが国を支配する。その実はすでに明らかであろう。

原則は霊的なことも、経済的なこともすべて同じだ。マインドの中に構築された要塞がその人の人格や人生を決定する。国のレベルでも集合的マインドのうちに構築された要塞が国柄や国の行く末を決める。かのハラリ氏も、人類は共同幻想を共有する認知革命により生存していると指摘しているが、この共同幻想が致命的な偽りである場合、事は深刻となることは歴史が証明してる。
- 閉鎖社会の共同幻想に思う(@KFCサイト)
メタノイアを「悔い改め」と訳することはいつもながら不適切。こういった邦語訳の罠でニッポンキリスト教が構築されることは常に指摘している。「悔い改めよ~」と叫ぶボクシが実はメタノイアしていないのだ。それはマインド・シフト(転換)。語源は”meta+noieo”、文字通り、マインド(nous)をメタ(=トランスファー)することだ。ここで宗教的な倫理や道徳と絡めるとややこしいことになる。単純に言って、すべてのことにおいてYHWHエロヒム視線の価値判断をすることだ。
まことに窒息して死に至りつつあるこの国において必要なことは、メタノイアだ。マネーの真実に覚醒すること。これまでの古い価値観、経済モデルから脱却すること。ニッポン社会の合わせ鏡のニッポンキリスト教も同様である。明治以降、大先生たちが構築してきたこの業界の価値観や神学モデルから解かれること。これが宗教の捕囚からの第二のエクソダスである。
主は言われる、それゆえ、見よ、こののち『イスラエルの民をエジプトの地から導き出した主は生きておられる』とは言わないで、『イスラエルの民を北の国と、そのすべて追いやられた国々から導き出した主は生きておられる』という日がくる。わたしが彼らを、その先祖に与えた彼らの地に導きかえすからである。-Jer 16:14-45
それはマトリックスのシフト。
肉(五感の領域の諸事)に仕えることができない者は霊に仕えることはできない(Luke 16:11)。そもそも神の計画と訳される単語は”oikonomia”、英語では”dispensation”、すなわち「分配と管理」、YHWHエロヒムによるエコノミー(経世済民)なのだ(Eph 1:10 etc.)。

私は20年、ニッポンキリスト教なるマトリックスをエクソダスせよと訴えてきている。根拠はエレミヤ書にあった―

キリスト教にある生き方と霊のリアリティに生きることはまさにこのカリカチュアのとおりである。

ついには・・・・



かなり以前にディスカッションしたことがある富井健氏。これまで再建主義の旗手富井健氏をフォローしてきたが、これは論敵としてではなく、個人的にも関心を持つ人物だったからだ。現在のキリスト教の在り方に対するするどい批判などはきわめて共有できる。東京外語大を出て、英語、ロシア語に堪能、ソ連に勤務してその末路の悲惨を目撃、精神を病んだ模様。河合塾で英語講師を務め、90年代に日ユ同祖論に覚醒し、ラッシュデューニーを信奉して現在に至ると、極私的には理解している。
当初、彼は、尾山礼二の教会の教職者の頃は、いわゆるディスペンセイション主義を信奉し、千年期前に携挙と再臨があるとするプレ・ミレの立場だった。が、それによれば、世界はサタンの支配下にあり、何をどうしようとも滅びへと運命づけられているゆえに、仕事や家庭を築いても無意味であると感じ、世の仕事や家庭を設けることから一切退かれた。個人的にも教会裁判を受けて、ディスペンセイション主義を捨て、ラッシュデューニーの再建主義(ポスト・ミレ)に転向。現在まで、身体の衰えや経済的困窮にあらがって孤高の歩みをされている。
ディスペンセイション主義はイエズス会のラクンザの発明したサタンの教えであり、イルミナティから資金援助を受けたプリマス・ブラザレンのJ.N.ダービーやスコフィールド・バイブルのスコフィールドらにより主にアメリカ大陸で広まったとする。最近では統一教会と関係のあるティム・ラヘイやハル・リンゼイが活躍していると・・・。
AD70年に携挙と一回目の「再」臨があり、旧約のシステムは裁かれ、ユダヤ人は散らされた。彼らの多くは金融を支配するユダヤ人として世界を陰で動かしているが、それらは山羊派であり、羊派のユダヤ人は日本列島に逃れて、秦氏や物部氏が神社信仰の形で原始キリスト教を保存している。神はこの日本に真のエルサレム、ひいてはイスラエルを復興されて、十二部族もすでに回復されている。現在われわれが経験する「個人的携挙」は死の後に霊の体を得ることである。かくして日本から始まり全世界が福音化された後、キリストは二度目の「再」臨をされる。
この事実を山羊派のユダヤ人は知っており、イルミナティなどを通して開国以降様々の陰謀を仕掛けて、真の神の国イスラエルである日本を亡ぼそうとしている。現在の終末的様相はすべて彼らのシカケによる陰謀である。天皇制はユダヤ人によるものであり、神社はもともとキリスト教の信仰であった。日本こそ世界の中心であり、まことのキリスト教国である!
・・・・というのが彼の脳内マトリックスであろう。
極私的には、別にディスペンセイション主義の立場ではないが、プレ・ミレである。前艱難携挙説ではないが、再臨も携挙も一度限りの事件と考えている。そして携挙と再臨を待ち望んでいるが、仕事もし、カネも稼ぎ、マンションも得て、家庭も築いた。主の再臨ですべてが無に帰するとして、むなしくなることもなかった。むしろますます人生は楽しくなっている。
結論は、別にディスペンセイション主義そのものが問題なのではない。それが聖書の啓示として正当か否かは別の問題である。問題は受け取る側のメンタルの問題に過ぎない。富井氏はそれを聞いて、すべてがむなしくいと感じ、世の在り方から自ら退いただけなのだ。プレ・ミレを採っている私はそのようには反応しなかった。これは前から言っている通り、私のサイエンティストとしての姿勢も影響しているかもしれないが[1] … Continue reading。
主は言われた、何をどう聞くかによくよく注意せよ。それは自分の内側にどのような世界観を構築し、そのマトリックスにおいて、そのプロトコルに従って生きることを意味するからだ。これが各人の人生を構築するのだ。
References[+]
↑1 | 一応断ると、私はプレミレに立つが、それは今までのところプレミレを捨てる理由がないからだ。再建主義の主張を詳細に調べても、それを棄却するところまではいかない。もし今後、十分なるエビデンスが与えられれば、私もポストミレに変わるかもしれない。これは数理統計学的思考。すなわちある仮説を立てる。この否定の仮説(帰無仮説)を立てる。帰無仮説の上で今起きている事象の確率計算をして、それが5%未満のとき、帰無仮説を捨てる。これで危険率5%で当初の仮説を否定し得ないとするわけだ(これを「「統計的に5%の有意水準にある」と言う)。 私の仮説はプレミレ。帰無仮説はポストミレ(この際、ア・ミレは除いておく)。聖書と世界の諸現象からポストミレが成立する確率を推定すると、今のところきわめて低い。よって、なお判断ミスの危険(これを第一種の過誤と呼ぶ)はあることを承知の上で、プレミレは否定できないとしているのだ。これがサイエンティストの思考法なのだ。なお、第二種の過誤とは帰無仮説が間違っているのに棄却しない誤りのこと。 |
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85歳✨ 年齢は単に地球が太陽の周りを回った回数に過ぎない。これに服すると老化する。マインドの持ち方でこれだけ差がつくのだ。
もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだにも、いのちを与えるであろう。-ローマ8:11

<おまえは奴隷だ。誰もが生まれながらに束縛され、においも味も感触もない心の牢獄に幽閉されている。>
フェイスはこの五感のカプセルを超える。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。―ジーザス
赤い錠剤と緑の錠剤、どちらを選びますか?

私は聖書の真理は日本語で考えてはならないと繰り返し語ってきている。日本語マトリックスによるバイアスが生じるからだ。これでニッポンキリスト教なるタコツボができることは繰り返さない。使う言葉をシフトせよ!
このクリップは実に面白い。まさにはじめに言葉(ロゴス)があった(John 1:1)。言葉は私たちの経験を作り出すのだ。どの言葉を使うか、これがあなたの、そして私の人生を決定する。サンドラ・ブロック似の彼女は認知科学の研究者だ。日本語のトランスクリプトもあるので、ぜひご一覧を。
ちなみにこちらはDr.Lukeによるクリップ。ご一緒にどうぞ。

ATPはミトコンドリアの二重膜(マトリクックス)において生成される。それはリン酸基を三つ持ち、その結合エネルギーを解放することにより政体エネルギーとなる。ATPは酸素呼吸する生物に共通のエネルギー媒体であるため、エネルギーの通貨と呼ばれる。
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体では食物が消化・代謝され、ミトコンドリアのマトリックスでATPが作られエネルギーとなる。同時に再合成されて体を作る。ATPはエネルギーの通貨。これは全自動のメタボリックプロセスである。
同様に御言葉を食べる時、霊と魂のマトリックスである心において消化・代謝され、霊の通貨であるフェイスが生じ、同時にキリストが生成される。御言葉にはYHWHの息(霊)が吹き込まれており、スーパーナチュラルなパワーが蓄積されている。心のブロックが解かれるほどに、心は自由に御言葉を代謝し、霊のエネルギーを生産する。それを語り出すとき、心に映った天のサブスタンスが地において実体となり、神の国が現わされる。