a pause...
- 2011/06/02 21:16
- Category: 音楽
how will it be this summer...? let it be...?
Dr.Luke的日々のココロ
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でも、あった・・・解説はしないので、ご自分でリンク先を読んで下さい。
今年、グリーンランドの春の夜明けは1月13日のはずだったが、何と2日も早く1月11日だったことをはすでに書いた。そしてまた太陽にまつわる面白い現象が・・・なんと「真夜中の日食」(意味分かります?自己撞着だよ、フツウは・・・)
・A Rare Eclipse Of The Midnight Sun
・Midnight sun eclipse in northern part of Norway June 1
10月21日、墓から死体がよみがえる、とキャンピング。
・Harold Camping: Dead Bodies Will Surface from Graves on Oct. 21 Doomsday
・Japan’s government, threatened with more HAARP attacks, pays 60 trillion yen to Feds
ペレス大統領、自分たちの世代の間にエルサレムはすべての信仰と宗教教義のための平和の都市になると・・・。
・Peres: Jerusalem will see peace in our time
・・・間違いなく滅びる(これはアリエルティ)
再建主義の富井氏の紹介していた研究所。よく分からんことをのたまっているのだが・・・。先の東大病理医学博士様と同じかも・・・?
なんと雪が・・・
いつもの物理学者井口博士の見解:
いよいよ我々日本人の命運も死神菅直人に取り憑かれたことで風前の灯火となったようである。私も含めて大半の日本人はもうそれほど長くは生きられないだろう。そんな状況下、いつ死ぬかもしれないという状況であるから、私も今のうちに究極の話題をメモしておこうと思う。それはあのアドルフ・ヒットラーが残したと言われる究極の予言である。・・・
もちろん私は進化論は採らないが、この国を含めて、世界はすでにカタストロフィへのティッピング・ポイントを超えた。一つひとつの現象を紹介するのも大変なのだが、こちらを見るとよくまとめて下さっている。今世界でトンでもないことが起きていると分かる。特に、昨年のチリ、そして3.11はなどはElenin(C/2010 X1)との関係が濃いゆえに、すでに書いたとおり、今年の秋辺りを中心として、この"天のしるし"の動きには十分なる注意が必要であろう。
大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。-Luke 21:11
現在、私たちはすでにいわゆる「日常性」を超えた様相に置かれている。霊の世界の様相や相克が、そのままダイレクトにこの時空間に現出するのだ。逆に御霊に導かれた(「自分勝手な」ではないことに注意!)私たちの祈りもダイレクトに霊の世界を直撃する。私たちの祈りが世界を動かすのだ。
そして私たちは、その日、一人ひとりが神の裁きの座の前に立つための備えをすべきモードに入っていることを知るべきだろう。その時、神に何を申し開きをするのだろうか?
それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。・・・こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。-Rom 14:10-12
なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。-2Cor 5:10
鍵は、今ここで、私たち自身が用いる秤である。それには私たちの生き方のプロトコルも含まれる。誰の秤あるいは知恵・資源などによって生きるのか。自分の秤による者、神から独立し自分の才能や資産に頼る者、憐れみを示さない者・・・。特に憐れみを示さない者は呵責のない裁きがなされるであろう。ましてや偽りの証言する者、神の主権を侵す者に対する裁きはいかなるものとなるだろうか。
それらはすべて自己(セルフ)によって生きることの表現である。これは自己(セルフ)を神とすること、究極の偶像礼拝の罪であり、自ら(セルフ)を礼拝することだからだ。それこそがサタンの本質的欲求なのだ。ニッポンキリスト教はまさにセルフ教、恐るべき病態にあることに気がつかない。このギョウカイ、必ず裁きを受け、崩壊するだろう。否、すでに。
あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。-James 2:13
今後、さまざまな現象や事象の現われの中にあって、いわゆるキリスト教徒たちも含めて、それぞれの心のあり様が露わにされつつ、信仰の篩い分けと洗練が粛々と進展していく。ある者は十字架や血潮そして御言葉を侮り、自ら落ちていく。ある者はそれらによって救われる。かくのごとく神の国は神の主権による究極の神聖政治にして二分化社会なのだ。
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。-1Cor 1:18