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Entry

Tag: ニュークリーチャー

マインドのトランスフォーメーション

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アダム系思考では無限ループに陥るだけ。ニュークリーチャーとしてのキリスト系思考へとシフトすること。それはナチュラルからスーパーナチュラルへの転機。

思い(マインド)を刷新することによって形造り直され・・・ローマ12:1

私たちはキリストのマインドを持っている。-1コリント2:16

なお、わが漢詩の号は一石。つまりEin Stein。で、生ける石でもあるわけ。フェイスを知る前につけたのだが・・・。

Dr.Lukeのワンショット―エロヒム属の誕生

ジーザスこそニューエイジを開始された

感情はDNAを変える。911の際、コレクティブ・エモーションにより地磁気にスパイクが生じた・・など、興味深い知見の数々。彼自身も腫瘍が消失した経験を持つ。

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スピッリトとマインドは物質と相互作用する。彼はニューエイジ系であるが、ニューエイジはバイブルをパクリ、クリスチャンがオツムの空転現象的神学に落ちたのだ。かくしてキリスト教徒はジューシーさの抜けた筋張った味気のないステーキを食わされている。

実はジーザスこそがニューエイジを開始され、ニュークリーチャーを生み出したのだ。そのニュークリーチャーたるわれわれの有するポテンシャルは無限!空疎なキリスト教のマトリックスからエクソダスせよ!失ったものをゲットバックせよ!ジューシーなフェイスを!

実はクリスチャンこそ、真のニューエイジャーなのだ!

私たちは神のDNA操作で生まれた存在

エクレシアって何?

いまさらながらだが、キョウカイなる訳はもう手垢が着き過ぎで、エクレシアと言いたいことは前々から書いている。が、改めてエクレシアって何?・・・よく言われるのは、建物でもなく、教団や教派や宗教団体でもなく、召し出された人々の集合体。確かに、そうだ。

パウロ・・・が、コリントにある神の教会、〔すなわち〕キリスト・イエスにおいて聖められた者たち、召された聖なる者たちに〔この手紙を書き送る〕―私たちの主イエス・キリストの名を、いたるところで呼び求めているすべての者たちと共に―・・・-1Cor 1:1-2(岩波訳)

しかしながら、それは地上の五感の世界のオハナシに過ぎない。エクレシアの霊的定義とは―

この教会はキリストの体、すべてのものをすべてのものの中に満たす方の充満である。-Eph 1:23(岩波訳)

ここを通常の邦語訳では、「・・・満ちているところ」とか「」としてしまう。これがワナである。エクレシアとはキリストの充満である(岩波訳注参照)。つまり、キリストである。See? 

さらにこうある―

なぜならば、からだが一つでありつつも多くの肢体をもつように、また〔逆に〕からだに多くの肢体がありつつも一つのからだであるように、キリスト〔自身〕もまたそうだからである。-1Cor 12:12(岩波訳)

この節を用いて、しばしば、「私たち教会はキリストのからだであるから、それぞれに機能が違っているが、みんなで争わず一致しましょう・・」的な説教がなされる。つまり、キリストは頭であり、エクレシアはそのからだであると。さて、パウロはそう言っているであろうか?

ここをよく読んでほしい。「キリストのからだの場合もまたそうだから」とは書いていない。「キリスト〔自身〕もまたそうだ」とある!前者ならば確かによくキリスト教でなされる説教となるであろう。が、パウロはここでキリストご自身とからだを区別していないのだ!つまりエクレシアはキリストなのだ。これがエクレシアの霊的アイデンティティーだ。はあ?と言われる人にはひとつ質問しよう:あなたのからだは誰か?あなた自身であろう?胴体と首を切り分ける人があろうか?それは死を意味するのだ。それらは同じいのちを共有し、同じ血液によって維持されている。

エクレシアとは霊的かつ宇宙的生命体である。それはZoeそのものであり、われわれはその霊的生命体の中にバプテスマされたのだ。

主に接合させられる者はしかし、〔主と〕一つの霊なのである。-1Cor 6:17(岩波訳)

RWPはこうコメントする-

One spirit (hen pneuma). With the Lord, the inner vital spiritual union with the Lord Jesus

しかもキリストは二千前に十字架につけられたのではない。

 And all those dwelling in the earth will worship him, those of whom the names had not been written in the Book of Life of the Lamb having been slain from the foundation of the world.-Rev 13:8

この「世の基が置かれる時から」を「いのちの書に名前の書かれていない者たち」にかけるのが通常の邦訳であるが、これは「屠られた小羊」にかかるべきである。つまり小羊は世の基が置かれる時からすでに屠られていたのだ!これが時空間を超えた霊的サブスタンス。それが神のフェイスにより時空間の中で実体化されたのがあの二千前の十字架である。霊の世界はこの時空間を超える!フェイスは永遠のNOWの実体化である!すべてはすでに完成していたのだ。これが神のフェイス。ジーザスはそのフェイスを持てと言われるのだ。

フェイスを持て。-Mark 11:22

これは通常、「神に対する信仰」と訳されるが違う。対格ではなく、属格。つまり、「神フェイス」。WOW!!! 神はすべてを語り出すことにより創造された。それはフェイスのパワーだ。イエスは言われた、

わたしが話した言葉(レーマ)は霊であり、またいのちである。-John 6:63

このフェイスに生きる者たち、つまりエクレシアとはキリストの充満そのものなのだ。それはキリストであろう?なぜ?キリストのいのちの息吹を吹き込まれた存在だから。この体(Body)と魂(Soul)はアダム由来であるが、それはわれわれのまことにアイデンティティーではない。われわれは新しい創造、すなわち神から生まれた霊であり、エロヒム属のもの、ヤーヴェ家の一員なのだ。ゆえにジーザスは詩編を引いて言われた―

そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々(エロヒム)である』と書いてあるではないか。神の言葉(ロゴス)を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。-John 10:34-35

ここで、YHWHを「」と訳し、Elohimを「神」と訳したことが罠になると繰り返している。そのままにせよ。神のロゴスを受けた人は、もっと言えば、神のロゴスから生まれた者たち(1Pet 1:23)はエロヒムである、とジーザスが証言したのだ。YHWHは父・子・聖霊なるお方であり、もっとも高きエロヒム。われわれはその神格を共有しないが、同じZoeのいのちを共有するエロヒム属なのだ。

が、YHWH(父・子・聖霊)なる神(エロヒム)は私たちの内に住まわれる。聖霊だけが内住されるのではない(John 14:23参照)。かくして神の霊から生まれた子供、God-OSをインストールされた私たち、つまりエクレシアは神をエミュレートするのだ(Eph 5:1)。キリストは父をエミュレートされた、すなわち彼は自分からは何もせず、父が語ったことを語り、なさることをなした。そのキリストを聖霊が私たちのうちにおいて実体化、すなわちエミュレートする。かくして私たちをとおして、父がエミュレートされるのだ!ゆえにジーザスは言われた-

はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。-John 14:12-14

YHWHエロヒムはこうして自己増殖されるのだ。これこそが神の国の増殖に他ならない。まことにこのとき、

天の父よ、御名があがめられますように。御国が来ますように。御心が天になるとおり、地にもなりますように・・・との祈りが成就するのだ。

Glory be to God!!!

エロヒムとは何か?

先入観による既成概念をひとまず置いて、虚心に学びましょう。これまで見えなかった世界が見えてきますwink

Elohimを「神(God)」あるいは「神々(gods)」とした時点でマトリックスに陥る。同様にYHWHを「」とか"LORD"とした時点でやはりマトリックスに落ちるのだ。私が「私たちの霊はElohimだ」とか「私たちは神属だ」というと抵抗を覚える人はそのマトリックスにハマっている。日本語(あるいは英語)マトリックスからヘブル語の世界に立ち返る必要がある。

 

Dr.Lukeの聖書物語―フェイスの覚醒

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永遠の昔、宇宙の開闢以前、時間も空間も存在しない頃、エロヒムという超生命体が存在しました。エロヒムはいろいろな種類があるのですが、その最も高きエロヒムの名はYHWHと言われました。このYHWHには父と呼ばれる存在、子と呼ばれる存在、聖霊と呼ばれる存在の三つのパースンがありました。

YHWHはある時、ご自分たちと同じ形と様に人なる存在を創造し、アダムと名付けました。そのわき腹の骨からエバというパートナーを造り上げましたが、彼らはYHWHの言いつけに反した行動を取りました。それは罪と称されました。

YHWHは彼らを愛していましたので、放置はできず、かといって彼らの罪を見逃すこともできず、子と呼ばれるYHWHが人となり、ご自分の中に人類を包含して、十字架において処罰しました。そして復活しました。エロヒムはこの物質的法則に拘束されていないのです。それを超えるスーパーナチュラルな存在だからです。

そのことをフェイスする人には復活のいのちの息(霊)を吹き込むことにより新しい人類を生み出しました。これがエクレシアと呼ばれる新生命体、ニュークリーチャー、スーパーヒューマンです。こうして同じエロヒムの霊を受けて彼らもエロヒム族とされ、YHWH家の家族の一員とされたのです。そしてYHWH家はエロヒムのいのち(Zoe)を増殖し、この地に繁栄するのでした・・・。

ところが人はエロヒムに対して勝手に「神」あるいは"God"(バビロニアルーツの名称)と名付け、YHWHに対しては「」とか"LORD"と名付けてしまいました。それがために、新しい創造エクレシアがエロヒムであり、YHWH属(族)であることはとても受け入れられないのです。自分たちのイメージする「神」や"God"とずれてしまうからです。人は自分が自分のマインドが生み出したマトリックスの中に生きていること自体に気がつかないまま、キリスト教という自分たちが信じると称する宗教体系を構築し、正統な神学とか教理なるものをひねり出し、その中に拘束されているのです。エロヒムから見たら、自作自演としか見えないことでしょう。(つづく)

 

私たちはニュー・クリーチャー(ニュー・スピーシーズ)

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今回のメッセでは先週の内容をバックアップするものとなった。下に紹介したDr.Dollarのメッセでもほぼ同じことを語っていることに少々驚いているところだ。いわゆるキリスト教の教義や神学から見ると、ヤバいとみなされるであろう。が、聖書は元々ヤバいことを語っているのであり、人間のマインドに神をはめ込むことなどは到底不可能と知るべきである。

「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」とあるとおりです。-1Cor 2:9

私たちの体と魂は地のもの、それは五感の領域の存在であり、神の国に入ることはできない(1Cor 15:50)。が、私たちの霊はすでに完全であり、それは神聖なもの、神の種(DNA)を宿す神から生まれた存在、つまりエロヒムである。注意してほしいのは最も高きエロヒム、父・子・聖霊の3パースンズにいますYHWHではない。

天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊-Heb 12:23

私たちはすでにこの完全なる霊を有している!神から生まれ、神のDNAを宿す、完全な霊こそがエロヒムの本質である。それはYHWHのファミリーである。こうしてジーザスはわれわの長子となられた(Rom 8:29)。肉の兄弟であっても、人格はそれぞれ異なるが、同じDNAの系列を共有している。それが発現するとき、同じ性質と同じ能力を発揮する。そしてわれわれ、ニュー・スピーシーズはさらにコロサイ書(AMPC)によるとこう定義されている―

For in Him the whole fullness of Deity (the Godhead) continues to dwell in bodily form [giving complete expression of the divine nature].

というのは、のうちにこそ神性の全充満<というかた>が肉体の形をもっていつまでも宿られる<神性の完全な表現がなされている>からです。

And you are in Him, made full and having come to fullness of life [in Christ you too are filled with the Godhead—Father, Son and Holy Spirit—and reach full spiritual stature]. And He is the Head of all rule and authority [of every angelic principality and power].

そしてあなたがたはのうちにあり、満ち満ちた者とされる<満ち満ちたいのちになる>のです。≪キリストにあってあなたがたもまた、、すなわち聖霊に満たされ、霊的に完全な身たけに達するのです≫。また、は、すべての支配と権威<あらゆる天使的主権と力>のかしらです。

これは『AMPC(詳訳聖書)』におけるVincentの注に基づいた訳である。いのちとはもちろんZoeであるが、私たちはYHWHの三位格(3 Persons)とはもちろん異なるが(親と子の人格が異なるのと同じこと)、同じ成分と性質を有するエロヒム、つまり神属(族)である。カギは何か。「キリストにあって」だ。私たちのアイデンティティーと経験はすべてGodhead(神格)の全充満を宿す方との一体化による(Rom 6:8)。このロマ書の「一体とされる」の原義は"sumphutos"、語源は"soon(結合)"+"phuo(育つ)"であり、KJVでは"implant together"と訳される。こうしてキリストと結合されて、インプラントされるとき、私たちもまたGodhead、すなわち父・子・聖霊によって満たされ、霊的に完全な身たけに達するのだ。

考えても見よ、いかにして神の完全な身たけに達することができよう。それはスーパーナチュラルなのだ!それは体と魂の五感によらず、シックスセンスである霊から神のエネルギーによって生み出されるフェイスによる。弟子たちは、神のわざを行うために何をすべきかと聞いたが、ジーザスはこう答えた―

神がつかわされた者を信じることこれが神のわざである。-John 6:29

フェイスは神のわざであると!まさにスーパーナチュラルであろう。ここの「わざ」の原語は"ergon"、energyの語源だ。神のエナジーがそれを生み出す。信じます、信じます、信じます、とお題目を唱えることは無意味。あるいは「使徒信条告白、我はナントカやカントカを信じず・・・」もナンセンスとは言わないが、所詮宗教のお題目に過ぎない。ジーザスは、フェイスはあなたの何かではなく、神のわざだと言われるのだから!

かくして私たちは神格によっても満たされる。私たちの霊から生まれたフェイスは、魂と体において実体化され、Godheadが私たちを通して現出するのだ。これが肉において現れる神であり、これが敬虔(eusebeus)の奥義だ(1Tim 3:16)。敬虔を日本語のマトリックスで考えてはならない。かくして私たちは神のエミュレーターとなる―

 あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。-Eph 5:1

この「倣う」も日本語で考えると、顔を引き攣らせたいわゆるクルシチャンか偽善者を生み出す。この原義は”mimētēs"、つまりエミュレートするの意味。前にも指摘したが、Windowsマシンのハードにおいて、Mac のiOSを走らせることができる。これをエミュレーターと言う。するとハードはWindowsマシンであるが、その表現・機能・能力・資質・属性などのスペックはまさにMacなのだ。お分かりだろうか?私たちの肉体と魂は人間だ。が、神のDNAを宿す霊は神のスペックを有している。それはGodheadによって満たされており、キリストの身の丈に至るのだ(Eph 4:13)。そもそも神の新創造である新しいひとりの人、エクレシアはキリストの充満そのもの(Eph 1:23)。

こうしてわれわれの体と魂という、いわばハードウェアに、神の霊、しかもGodhead(三神格)がOSとしてインストールされて、私たちがGodheadに満ちるとき、私たちを通して神が現出する。WOW!!! これが、われわれはエロヒムである、という意味である。ある種の人々が言うように、人性と神性が混ぜ合わされて(mingling)神化されるのではないから注意してほしい。あるいはニューエイジのように十字架の死と復活を経ずして、もともと神(god)であるというのでもない。われわれの本質はすべてキリストとのsumphutosによるのだ!キリストの属性・経験・資質・能力・資産などはすべて私のもの。御子を得た者はすべてを得ている(Rom  8:32)。私たちはいのちと敬虔にかかわるものはすべて得ている!(2Pet 1:3) すべては私たちのもの!(1Cor 3:22)  聖書をマジ受けしたら、これはヤバいのだ! 哲学やその影響下で組織されたキリスト教神学などに騙されてはならない。パウロはこう警告している―

だれもあなたがたを、彼のいわゆる哲学<主知主義>という内容のない欺き事<むだな空想、全くのたわごと>によって、戦利品として運び去る<あなたがた自身を捕虜とする>ことのないようにしなさい。〔それは〕人間の言い伝え<〔霊的な世界よりはむしろ〕物質的な世界についての人間のいろいろな観念>に従うものであって、宇宙についての初歩的な<基本だけの>教えに従い、キリスト<メシア>〔の教え〕を無視する粗雑な教えに過ぎないものです。-Col 2:8(詳訳聖書)

要するにニッポンキリスト教にありがちなオツムの空転現象に陥るな、ということである。繰り返すが聖書は生命現象の書、あるいは霊的いのちの取り扱いマニュアルである。神は十字架以前には存在していなかったまったく新しい種を生み出されたのだ。

霊のことは霊によって理解する!

あなたがたはエロヒムだ!

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今週のメッセはいわゆるキリスト教(特にニッポンキリスト教)の神学オツムにはかなり刺激的だと思う。あるいは挑発的か。われわれの真のアイデンティティーに覚醒せよ! われわれは神の新創造、ニュークリーチャー、新生命体、スーパーヒューマン、そしてエロヒムである! WOW!

そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々(エロヒム)である』と書いてあるではないか。神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。-John 10:34-35

ニッポンキリスト教や英語圏キリスト教のマトリックスから解かれよ!エロヒム・ヤハヴェはエロヒムの会議で裁定するのだから。知ろうとせず、闇の中を行き来する、ことのないように!

【賛歌。アサフの詩。】神は神聖な会議の中に立ち/神々の間で裁きを行われる。
 「いつまであなたたちは不正に裁き/神に逆らう者の味方をするのか。〔セラ
弱者や孤児のために裁きを行い/苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。
弱い人、貧しい人を救い/神に逆らう者の手から助け出せ。」
彼らは知ろうとせず、理解せず/闇の中を行き来する。地の基はことごとく揺らぐ。
わたしは言った/「あなたたちは神々なのか/皆、いと高き方の子らなのか」と。
しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する。
神よ、立ち上がり、地を裁いてください。あなたはすべての民を嗣業とされるでしょう。-Ps 82:1-8

Dr.Lukeの一言映画評―『復活』

ハリウッドにジーザスをテーマにした作品が多々あるも、この視点からの描かれたものはないかもだ。復活が意味すること。人は死者の復活というこれまでのパラダイム(マインドの構築した世界観)に反する事態に対して、いかなる反応をするのか。すでにジーザスは復活した。この事実を妄想とするのか、偽りとするのか、それとも自分のパラダイムを否定して事実とするのか。要するに福音とは、自己を否むこと、自分の十字架が要求されるのだ。

しかし、復活は単に事象としての奇跡で終わらない。ただ単に「われはキリストの死と復活を信ず」と唱えても、それは宗教に過ぎない。が、神はキリストの死と復活により新しい創造を生成した。神は新人類、すなわち新生命体(ニュークリーチャー)を生み出したのだ。そのわき腹から流れた血と水、そして聖霊によって新しく生み出された存在、つまりエクレシア。エクレシアとはキリストの充満(Eph 1:23)。邦訳によくある「キリストが満ちておられる”ところ”」ではない。キリストご自身の充満!それはキリストのいのち(Zoe)そのもの、新生命体だ。

キリストは復活された週の最初の日の晩に弟子たちに現れ、ご自身の息を吹きかけて言われた。聖霊を受けよ、と。それは復活のいのちそのもの。アダムは神の息を吹き込まれて生ける魂とされたが、弟子たち、つまりエクレシアは第二の人類の初穂であるキリストの息を吹き込まれ、そのいのちの充満とされたのだ。これがニュークリーチャー。われわれも時空間(五感の領域)を超えて、キリストと共なる死と復活にあずかり、その新しい生命に参加させられている。十字架は単に歴史事実だけではない。神はすべてのみわざを永遠のNOWにおいてなされる。なんというミラクル!ハレルヤ!

わたしたちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。-Rom 6:4

神の霊的遺伝子工学―神の種(DNA)のインヒュージョン

今、ある方が案の定、私の最近のメッセにコメント欄でクレームをつけておられる。「私たち(の霊)は神(の霊)だ」について反応しているようだ。まあ、これも想定済みで、福音派の方とかであれば、いわんやではある。いわゆるニッポンキリスト教の神学レベルで私は論じ合うつもりもないし、ここではただ御言葉を語るだけにしておく。

  • 霊から生まれるのは霊である。
  • 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。
  • 神から生まれたすべては(注:「人」ではない)、罪を犯しません。神の種がこの内にいつもあるからです。この存在(注:「人」ではない)は神から生まれたので、罪を犯すことができません。
  • 神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。
  • 相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる(注:原文に「ただの」はない)、ということになりはしませんか。
  • エクレシアとはすべてのことをすべてにおいて満たす方の充満(注:「ところ」などではない!)。

神の霊から生まれたのは人の霊? そもそもアダムの霊も神の息が吹き込まれたもの。神はご自分の霊を分けたのではないでしょうか? その霊が死んでいたが、神から生まれて人の霊が再生された(再誕とかも言うようですが・・・・)。神の霊から人の霊が生まれた? 神がご自分の霊を分け与えてくださったのは人の霊? 御霊が生み出すのは人の霊? 神から生まれたすべては(前に指摘したとおり、「人」ではない)罪を犯さない。それは人の霊? 

まあ、あえて言葉を弄してたとえ話をすると、遺伝子工学では細胞体の中に、古いDNAを除いて、新しいDNAを組み込むことが可能である。すると新しいDNAの形質(形状や能力や性質)を発現するようになる。神は人の霊の内に神の種、すなわち神のDNAを組み込んだ、と言えば納得してもらえるであろうか。だから神属の人類である。罪を赦されたあわれな罪人などではないと何度も語っている。またウィットネス・リーが唱えるような「人性と神性が混ざり合って(mingling)人が神になる」のでもない。「○○性」はDNAの発現形質に過ぎないのだ。

「神のDNAをinfusionされた人の霊は、単なる"人の"霊、それとも"神の"霊か?」という問題なのだ。これがニュークリーチャー、神の新しい創造新人類だ。それまでは存在していなかった種である。それはまったく新しいのだから! 今までの概念には存在してない存在なのだ。新しく定義するしかないわけ。ヤクザが堅気になるとか話ではないのだ。新しく人生やり直すとか、それはどこにでもある単なる宗教だ。

要するに、伝統的なキリスト教の神学とか、教条とかを超えたまったく新しい生命現象(宗教ではない!)が起きたのだ、と何度も語っているのだが、古いマインドはそれを理解することができない。だが、遺伝子工学をすこしでも理解できれば別に不自然はないのだ。神はまったく新しい霊的遺伝子工学を行ったのだ! マインドを変革されよ! ナチュラル・マインドを脱ぎ捨てよ! それはスーパーナチュラルな現象だから! 

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エイリアンなるジーザスとわたしたち

わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。-John 17:14

正確に言えば、イエスが世の者ではないのとジャスト・セイムに私たちも世の者ではない。われわれは世に置かれているが、世の者ではない。すでに過去のメッセージでも語ったが、われわれはエイリアンなのだ

イエスは何のために来たのか。父の心を行うため。それは天を地にもたらすこと。つまりこの物理的時空間に霊的かつ神的領域が介入するのだ。だから天は裂かれた(Mark 1:10)。そして人として何が成し得るかをデモンストレーションされた。彼と同じことがわれわれにもできることを告げながら。彼のわざはすべて内なる父の言葉、つまり父のバイブレーションの反映であった。彼がそのバイブレーションを語り出すとき、創世記で神が語ることによって万物を創造されたと同じ事が起こった。そしてそれがわれわれにも可能であると!

わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。
わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。-John 14:12-14

ジーザスは100%人かつ100%神。が、彼はアダムにあって生まれた人類とは異なる。彼は十字架の前にすでにわたしはよみがえりであると宣言された(John 11:25)。彼はすでに世の基が置かれる前からほふられていた(Rev 13:8)。フェイスは時空間を超える!イエスは復活の様で復活の領域を生きていたのだ。そして私たちもキリストと共に葬られ、復活した。今や私たちはニュー・クリーチャー、新生命体、キリスト属の人類である。これはアダム系の人類とは本質においても、機能においても、在り方においても全く異なる存在である。十字架以前には存在してない新しい種属である。つまり神属人類。われわれは神の霊を分け与えられた存在、つまり神属の者だ。人ががんばって聖化されて神になるのではない!すでに生まれが神属であり、神の領域にある存在なのだ。

確かにこの肉体はいぜんとして旧い創造のもの。うちには罪が住まう。が、その罪はわれわれに対する支配力はすでにない(Rom 6:14)。ただ、罪(Sin)のいざないに同意するとき、この体は個々の罪(sins)を犯す。が、血潮がある!イエスの血は絶えずわれわれを清める。神の前にはわれわれの罪(sins)は残されていない。過去・現在・未来すべての罪が、だ。血を宣言して、その事実を適用するのだ。告白とはhomologeo、神と同じことを語ること。

私たちが赦された罪人にすぎない、ではない!それはわれわれのアイデンティティーではないのだ。騙されてはならない。サタンはわれわれの行いを指摘する。彼は告発するもの、中傷するもの、彼は生まれながらのウソつき、盗み・殺し・滅ぼすもの。が、神がなされた事実をけっして無効にはできない。われわれが彼の主張に同意するならば、彼は我々に支配力を持つ。彼の偽りを拒絶せよ!

われわれはエイリアンである。われわれはイエスというポータルをとおり、霊的な天の領域に自由に出入りできる存在。まことにスーパナチュラル。そのためにはフェイスを使え。そのフェイスはからし種のサイズ、つまり量子サイズで十分。Dr.あいこ氏も指摘しているが、クオンタム・フェイスは大いなるリープ、飛躍を生む。信仰とは何か?と日本語で考えるなかれ。御霊にたずねるのだ。フェイスを教えてください!と。御霊はあらゆる真理へと私たちを導いてくださる。

フェイスの覚醒

時代のキーワードはまさにコレだ!

追記:イエスはつねにカイロスの中に生きていた。それは永遠のNOW、復活の領域。イエスがクロノスの中で経た十字架の死と復活により、イエスは霊の体を得たのである。私たちは神の国に生まれるためにボーン・アゲインする必要があるが、イエスは必要ない。が、物理的存在としては霊の体を得る必要があったのだ。

 

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