Information

3_White_logo_on_color1_256.jpg

ブログ・スクリプトをWord Pressにチェンジしました。明日(2017年3月10日)以降、このページは更新しません。新しいブログに移行します。

-DR.LUKE'S iDLE UTTERANCE(http://www.dr-luke.com/wp/)

なお、フレームは以前と同じです。

-http://blog.dr-luke.com

また過去ログはこちらで一覧可能です。

-Dr.Luke's Spiritual Insight(本ブログ)

-過去ブログ2

-過去ブログ1

 

Entry

Tag: 携挙

CLIP:携挙はAD.1年に起きた!?

いつもの再建主義の富井氏の論、これはクリップしておこう―

tomi 2016/09/22(木) 20:16

携挙は紀元1世紀に起きた

ハイパープレテリズム(フルプレテリズム)の批判において、ケネス・ジェントリーは、「携挙は未来に起きるとする教え」を正統派の教えに含めているが、はたしてそうだろうか。

It teaches that the total complex of end time events transpired in the first-century: the Second Advent, the resurrection, the rapture of the saints, and the great judgment.
「それ(ハイパープレテリズム)は、終末の出来事の全体―つまり、再臨、復活、聖徒の携挙、最後の審判―が第1世紀に起きたと教える。」
https://postmillennialismtoday.com/2014/02/26/hyperpreterisms-empty-proof-text/ パウロは携挙は自分の生存中に起きると述べている。 「私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。 … 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(1テサロニケ4・15, 17)この「主が再び来られるときまで生き残っている私たち」(15節)は原語で、 hemeis hoi zontes hoi perileipomenoi eis ten parousian tou kyriou であり、意味は、 we the living (the) remaining into the coming of the Lord
「主の来臨まで残っている生者であるわれわれ」
である。 eisという前置詞は本来「中へ(into)」という意味も有し、「主の来臨の時が来るまで『十分に』」というニュアンスを表現する。 つまり「来臨のときにもまだ生きている」ことを強調している。 17節「雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会う」のは、「生き残っている私たち」(これも15節と同じhemeis hoi zontes hoi perileipomenoi)である。 つまり、携挙されるのは、パウロの同時代の人々。 だから、携挙はすでに紀元1世紀に起きたと考えるべきである。

四頭の馬に乗る者たち

白い馬、赤い馬、黒い馬、青白い馬。黙示録6章だ。いわゆる前艱難期携挙説では、白い馬に乗る者が反キリスト。赤い馬は戦争、黒い馬は飢饉、青白い馬は死とする。が、なぜ白い馬のみが個人なのだ?と私は以前から疑問を呈している。鍵は彼は弓を持っている。が、矢は言及されていない。そして勝利の上に勝利を重ね、出て行った、とある。つまり矢はすでに放たれている!私はこれは福音であると考えていた。今も完全には捨ててはいないが、最近の状況を見るとき、ニセの福音かとも感じつつあるのだ。つまりローマにより福音が公認され、さらに国教化された。これは一見、勝利と見えるが、実は世との結婚(=ペルガモの教会)であり、この後、カトリック(=テアテラの教会)による暗黒時代に入った。言いたいことは何か?・・・すでに最初の四つの封印は解かれているのだ!

しかも、すでにビデオで紹介したが、この四色はイスラム圏国家の旗の色である。実に見事にこの四色からなるのだ。ISなるキャラが登場して、クリスチャンの首を切り落としているが、まさに第五の封印の叫びが聞こえてくる。よく言われることに、携挙の兆候は聖書に書かれていない。再臨の兆候はもろもろ描かれている。携挙はいつ起きてもおかしくないとする説だ。いわゆる切迫再臨説。カルバリーチャペルのチャック・スミスが有名。そもそも携挙とは何か?「刈り入れ」である(Rev 14:15)。私たちは雲の中に包まれて、空中で主と出会う(1Thess 4:17)。これが携挙。その瞬間、私たちの体は変貌する。そしていつまでも主と共にいるようになる。その主はまず雲に包まれて天から下る(Rev 10:1)。これは一般の人には見えない。パロシーアである。そしてついに雲の上に乗って顕現される(Rev 14:14)。この時に刈り入れが起きるのだ。

これから分かることは、主と雲に包まれて出会う人々と(Rev 7:1)、主が顕現されてから刈り入れられる人々がいるということ。ただし、この黙示録14章の刈り入れを、大艱難期に救われた人々の刈り入れとする説もあることは指摘しておく。チャック・スミス系の場合、教会時代は黙示録3章まで、4章のヨハネが聞いた「上ってこい」というラッパのような声が最後のラッパであるとし、これが携挙であるというわけ。ゆえに4章以降では教会は地上にはすでにないので、出てこないとするいうのだ。極私的希望観測的にはそのとおりであって欲しいと思っている。が、多分それはない。3章のフィラルデルフィアの教会には主は語っておられる:

忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。-Rev 3:10

またこうも言われている:

しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。-Matt 24:29-31

この主は雲の上におられる。つまり万民が見るのだ。すなわち黙示録14章の顕現と刈り入れに対応する。が、一方で

その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい。-Luke 21:35-36

つまり逃れる人もいる!その人々は人の子の前に立つ。事実黙示録7章の大群衆はまさに御座の前にいるのだ(Rev 7:1)。彼らは空中で主と出会うどころか、御座にまで上げられているのだ。かくしておそらく携挙は一度にではない。つまり『レフト・ビハインド』のような状況ではないのだ。

いずれにしろ、今回のバチカンとアメリカの融合、すなわち第二の獣が第一の獣の露払いをして、その舞台設定を整え、70周年を記念するUNでのオバマとプーチンの対立からわかるとおり、終末の舞台も着々と整えられているのだ。プーチンはむしろ世界のNWOに向かう動きを牽制しているのだ。金融市場の崩壊も、アメリカの利上げ回避で先送りされたが、それはむしろ事態を悪化さえる。考えてみよ、アメリカの債務残高18兆ドル!しかもドルにはすでにゴールドの裏付けもない。むしろゴールドはFEDになんら準備されていないのだ。要するにドルという国家の詐欺である。これをどうやってチャラにするわけ?いずれ、赤い馬、黒い馬、青白い馬も明確に分かるようになるであろう。時代は思いのほか進んでいることは間違いないのだ。

2015年、いよいよ9月が近い

すでに2015年のキーワードは「ケイオス」だと言っている。これは世の中、信仰者にとっては「ヨベルの年」とも。

事実、株もやばい。イスラエルがシリヤを爆撃。朝鮮半島が一触即発、残された時間は・・・。中国ではワケのわからん大爆発が。天のしるしも地のしるしも揃ってきている。かくしてこの9月23日(ヨムキプール)に携挙という気の早い向きもあるが、これはない。それはあくまでも前艱難期携挙説だ。しかし舞台設定が確実に整ってきていることは否定できない。

ポスト・ミレの再建主義によれば、これらはすべてユダヤ人とイルミナティの陰謀。彼らが終末を演出しているというわけだ。一部では隕石の落下も懸念されているが、天体現象を陰謀で演出することは不可能。同じ聖書を読んでいて、解釈にこれだけのスペクトルが生じる。これも神の人間のマインドに対する挑戦なのだ。携挙について言えば、自分は絶対挙げられると確信している向きはむしろ要注意。私たちの確信などはまったく当てにならない。彼らの基準と神の基準は必ずしも一致しないから。私がもっとも懸念しているのは、9月に携挙がなかった場合、いわゆるプレ・ミレがオオカミ少年とされることだ。

確かに言えることは、主は再度来られること;私たちは挙げられること;その時期が近いこと。もっと言えば、霊的領域が開かれるならば、メッセでも語ったが、時間と空間を超えることができる。私たちはアセンションとディセンションを天のポータルを通して自由に行えるのだ。だから二千年前のあの地の事実が今の、ここにいる私の経験となり得る。日本基督教団のあるうつ病牧師が言っていた。自分にとって二千年前のイエスがなんの関わりがあるのか、分からなくなると。こんな輩の説教を聞かされる人たちに同情を禁じ得ない。しばしばうつ病の感染源がこういった牧師の説教であることはすでにお分かりであろう。聖書の御言葉を自分のオツムであれこれ論じ、自分を"神"とする輩のお決まりのコースだ。

メッセでも語ったが、われわれはスーパーヒューマン。この物理的時空間を超える存在なのだ。

わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。-John 17:14

-The Big List Of 33 Things That Are Going To Happen In September 2015

2015年9月に起きること

先にニュートンがダニエル書の研究から2015年9月23日を割り出していることを紹介した。またカルバリーチャペルの牧師のメッセージも紹介した。彼らは前艱難期携挙説を採るが、あすニコラス・ケイジによる『レフトビハインド』が公開となる。今回もその牧師がメッセージしている。字幕をつけてくれる人がいるのだ。

-聖書預言―2015年9月に来るべきこと

対するポストミレの富井氏はAD70年に第一回目の再臨があり、また携挙もあったと主張している。いずれにしろ時代はかなり煮詰まっているのだ。しかしこのまま聖書に無知な日本人が終末を迎えるとしたら、はたしてどんな惨状をみることになるのだろうか?主よ、この国にあわれみを!

 

背教か、離脱か?

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。-2Thess 2:3

2014-2015年にかけて日食や月食がユダヤ教の祭りと重なるとのことで、2015年9月から最後の7年に入ると主張する向きが増えている。そこで携挙が近いということになる。私は主の再臨が千年期前にあるとのパラダイムに立っている。下に紹介したチャック・スミスのカルバリー・チャペルも同じ。再建主義によれば、こ説はイルミナティの陰謀による。

次に、携挙がいつか。私は艱難前説は採っていない(そうであればいいなと願ってはいるが・・・)。これは前から触れているが、黙示録4章のヨハネに対する「上ってこい」を携挙とは見ていない。それともう一つ大切な点がこのテサロニケ。ここにある「背教」と訳された単語は"apostasia"、これを「離脱」と解する人々がいるのだ。実際、初期の訳の多くが「離脱」としているようだ。この場合、離脱すなわち携挙が起こってから不法の人、つまり反キリストが出現し、主の日がくるというタイムテーブルになる。パウロは何を思いつつこの単語を用いたのか。

いずれにしろ、私たちの希望は携挙にあることは間違いない。

追記:富井氏によると「世界の教会がタルムードユダヤ化されてしまった現状を打破するには、われわれの意見を聞くべきだと思う。しかし、まだまだ理解する人は少ない。というか、ほとんどいない。」とのこと。しかし主権者たる神がこんな状況を許されるのだろうか?これが真相とすると、私などは最初からJ.N.ダービーやスコフィールドを当たり前に受け入れてきているから、見事にイルミナティの陰謀にハメられたことになるのだ。まさに巨大なフェイクを見せられているわけ。うーむ。

ダニエル予言「最後の1週」が9月に始まる?

欧米の聖書予言解釈のミニストリーの多くが、テトラッドとユダヤの祭りの一致を元に、この9月から最後の7年が始まるとする説を唱えている。9月13日は秋のラッパの祭り。これが神のラッパであり、終わりのラッパであるとして、この時に携挙が起きるとするのが、前艱難期携挙説。かくして映画『レフトビハインド』の世界が展開するわけだ。確かに状況証拠は揃っていると言える。本音を言えば、極私的にも、前艱難期携挙が事実であれば良いと密かに思っている。この地上を去る日を心待ちにしているところなのだ。

で、ここで代表的なそれらの説を紹介しておこう。

-SEPT 13, 2015 -- [Feast of Trumpets] : ---SIGNS of 7 Year Tribulation "start"

-The Most Logical RAPTURE Timeline! - UNDENIABLE Signs In The Heavens!

-Billy Graham Daughter: The Rapture Is Coming

 

携挙の時期

再建主義ではすでに千年期。よっていわゆる切迫携挙などはないとする。すでにイエスはAD70年に一度目の"再臨"をされ、携挙も起きてしまったと。これから全世界がクリスチャン化され、文字通りの御国が設立された暁に、二度目の"再臨"があるというわけだ。

対して、切迫携挙の代表がこちら。この方はチャック・スミスのカルバリーチャペルの牧師。カルバリーチャペルは親イスラエルと聖書預言に関してこだわりが強い。終末論も専門とするので、この辺りにプライドが高い傾向がある。中でも前艱難携挙説(最後の7年前の携挙)は絶対譲れないとする。

今回のこのメッセージではその説に関して攻撃を受けて、相当にまいっているような雰囲気があるが、それでもなお、中艱難期携挙や後艱難期携挙などによって揺るがされないと宣言している。

-クリスチャンの希望 - 携挙 Pastor JD

マタイ7章(Matt 7:21-23)の、主によって、「あなたを知らない」と言われる人々のことを聖霊を持っていない人、つまり救われていない人と解しているが、これも少々違う。前にも触れたが、この聖句は救いを受けるか否か、つまり永遠のいのちを得ているかどうか、が問われているのではない。御国を嗣ぐかどうか、つまり千年王国を受けるかどうかの判定なのだ。ここの「不法を行う」とは"anomia"、つまり「法則に従わない」の意味。たとえ善をなしても、いのちの法則によらない場合はアウトなのだ。私たちが問われるのは「善か、悪か」ではないから。鍵は「いのちの木か、善悪の木か」、だ。

ちなみに私は前7年説は採らない。黙示録を素直に読めば、かなり後期になる。最後のラッパも七つのラッパの七番目とするのが自然。黙示録(Rev 4:1)のヨハネに対する「上がって来い」を携挙とするのは不自然。これはあくまでもヨハネ個人の経験と解する。

-携挙の時期について

時代は相当に煮詰まっている。中東が混乱するほどに、神は裂かれた天から地に介入されたいことをひしひしと覚える昨今ではある。

どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように。-Isa 64:1

Pagination

  • Newer
  • Older
  • Page
  • 1

Utility

CALENDAR

11 2018.12 01
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

MOON AGE

WORLD CLOCK

COUNTER

    Access.....
    Yesterday......
    Today............

RANKING

    ブログランキング・にほんブログ村へ

KF_SITE

FOR MEMBERS

APPLE iTUNES STORE PODCAST

YOUTUBE ARCHIVE

OLD iDLE UTTERANCE

OUR WORSHIP

TWITTER UPDATE

INSTAGRAM UPDATE

PRAY FOR ISRAEL

QRcode

BIBLE SEARCH

ENTRY SEARCH

Recent Trackback

Re:真の礼拝とは-Colin Urquhart
2018/04/30 from 承認待ち