Clip:日経夕刊『土居健郎氏を偲ぶ』
- 2009/07/24 19:09
- Category: 日記
Dr.Luke的日々のココロ
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かの北海道のトムラウシでの遭難事故は、知れば知るほど山の怖さを覚えますね。生還したある方は歩けなくなった人を置いて自分だけ下山したことに良心の呵責を覚えているようですが、これもつらいこと。しかし相手をかまっていたら自分も死んだかもしれないのです。
かく言う私も8月8日の富士山頂トライに対して、やや心構えを変えつつあります。侮ってはならない、と主が語って下さっているような・・・。体力に自信はあるのですが、ともすれば自信が一番あぶない。私は何につけても、いわゆる自信家をほとんど信じません。むしろ自信のない人の方が信じられるのです。
・・・と言うわけで、わがマンションの心臓破りの140段で訓練を怠りなく、その日に備えているところであります。
とSalt氏が叫んでいます。実は、私も宿題はまともやったことがない。小学校1-4年までの担任はなかなか素晴らしい人で、今の私があるのはその人のお陰と思っている。ご子息も私と同学年で、あちらは現役で東大法学部に入学。今は故郷の地裁で判事をなさっている。当時のわが同級生はかなり優秀で、千葉大医学部、秋田大医学部、早稲田文学部、東京電気大、慶応工学部・・・と、当時としてみると相当にハイレベルだったが、その先生はあまり宿題を出された記憶がない。
それでも夏休み(田舎は2週間程度と短い)の終わりになると宿題が溜まり、これが嫌で嫌で、今思い出しても悪夢。当時漢字の100字書き取りの宿題があった。同じ漢字を100字書くのだが、これがまた苦痛で、溜めるとほんとに地獄。そこで私はどうしたというと、例えば「例」を一字一字100回書くのは塗炭の苦しみなので、100マスにまず「ノ」だけを書き込む。次に「|」を書き足す。次に「-」を入れて・・・と各部品を次々に足していくわけ。お陰で今では漢字は麻生氏並み。
まあ、Salt氏の紹介の五味太郎氏の言うとおり、「学校自体がいじめ」には賛成だし、さらに私的には「ニッポンキリスト教自体がいじめ」と言いたいところ。いわゆる勉強が面白くなったのは高校時代。数学は元々好きで、友人の数学の天才森君が雑誌『大学への数学』を教えてくれて、これが刺激となった。かくして微分積分は独学。その後『大数』には私自身も記事を書いたり、『大数ゼミ』でも教えたりもした。社長の黒木正憲先生(数学を教えているのに、何と東大法学部卒!)のとのおつきあいはここでも紹介した。まあ、学校で教えてもらうなんてことがそもそも幻想なのだ。これはいわゆる"教師"になる連中を見てみればわかる事。"牧師"も同じかもだが
思い起こすと、志望しない高校入学時は300人中150番、まったくやる気なし。それでも生物の先生が面白い先生で、生物に力を入れたら98点。それで他もちょっとやったらいきなり9番。次は7番、2番。トップのヤツはダントツの伝説的存在だったのだが、ここまで来ると引きずり降ろしたくなって、ついに1番。さらに高校2年の秋、旺文社の全国模試で10万人中300番に入ったことがきっかけで、何を血迷ったか東大を意識してしまった(これがわが人生の最大の過ちだ)。こういうわけで、あまり学校の教師から教えてもらったことはない。そもそも自分で学ぶことの方が楽しいわけで、宿題なんぞは主権侵害、プライベートの干渉であると思う次第。
かくしてこの年になって夏休みを完全フリーで楽しめる境遇は実にありがたい。誰にも干渉されないことの喜びと言うべきか。ま、宿題ナンぞは全廃すべきでしょう。学校なども解体してもいいかもだ。だいたい、人から聖書や金儲けの方法を教えてもらおうとか、そんな幻想を追いかけるから、わけの分からん牧師や詐欺師にボラれるわけだ。情報は自分で集め、自分で学び、自分で決断し、自分でその実を楽しむべきでしょう。ねっ、ニッポンキリスト教のおりこうさんのみなさん!