O Come and Adore Him
- 2015/12/10 11:38
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:音楽, 信仰
- Tag:Worship
Dr.Luke的日々のココロ
Category: 信仰
昨日、再び楽天ブックスで部門1位をゲット・・・。この本、やばいかも知れない・・・。
今週のメッセは一部のいわゆるオツムだけのキリスト教徒には挑発的であろうと思う。フェイスの覚醒。これ、実にやばい。われわれが有しているパワーはわれわれの生まれながらのマインドをはるかに超える。それは神のパワーなのだ。もしこれを自分勝手に用いるのであれば、映画『スターウォーズ』のようにフォースの暗黒面に堕ちるであろう。パワーをそれだけで用いることは危険であると知るべきだ。キャラクターが伴う必要がある。キャラクターの欠如したパワーは自らをも傷つけるリスクがあるのだ。逆にパワーの欠如したキャラクターは単なる飾り物に過ぎない。お品よく鎮座ましますだけ。
信じる人々よ、あなたは自分が何者(identity)であるか知っているだろうか?あなたは自分がどこにいる者(Position)であるか知っているだろうか?また何をなし得て(Ability)、何を嗣業として得ているか(Inheritance)、知っているだろうか?フェイスの覚醒はiPAIの覚醒でもある。クリスチャンにとって、今、ここで、映画『スターウォーズ』のジェダイの騎士と暗黒のパワーの戦いはリアルな経験なのだ。
追記:前に三位一体の数学を紹介した。
eは底と呼ばれ、いわば父なる神。πは円周率、つまり初めも終わりもない御子、iは√-1という目に見えない虚数単位であり、いわば聖霊だ。eとπは超越数とも言われ、代数方程式の解にはなれない。そして神にとってのマイナスである十字架と一体となり、1を形成する。Are you with me?ここにiPAIがあるではないか!われわれの得たiPAIは御子と聖霊によるのだ。
昨日は都内某所でワインとお洒落な会話を楽しんだ。この後の白ワインがけっこうイケた。
で、唐突だが、男の死に方。
これ、極私的には若い頃からの大きなテーマだった。ローマ時代のようにライオンと戦って殉教するような華々しい場面はないとは思うが、【その時】、ブヨブヨの肉体を晒さないために、これまで鍛えてきた。葉隠にいわく、武士道とは死ぬことと見つけたり・・・。
大石内蔵助のように清々と【その時】を迎えたいのだ。彼は巷間では吉良の目を眩ますために伏見などで遊興三昧をしたと言われているが、それは違う。遊人の私的には彼の気持ちは良くわかる。彼は根っからの遊人だったのだ。多分、浅野などという浅はかな主人の家老であることは貧乏くじと思っていたろう。去るも地獄、残るも地獄と。が、彼はその役割をきっぱりと受け入れた。所詮、世は浮世狂言。現代的に言えばRPGだ。身は捨てて名を残す、という究極の打算だったのだ。
彼はブ男だったようだが、実に女性にもてた。熟女からお軽といった若い子まで・・・。死を受け入れた者は怖いものはない。これまで私も卑しい人々をけっこう見てきた。莫大なカネはあっても顔が卑しい。それにつく者も同じ卑しさを醸すようになる。どこがどうのとは言えないが、とにかく卑しいのだ。生理的に受け付けない卑しさ・・・。まあ、『忠臣蔵』の「吉良上野介」だ(と言っても、現実の吉良は名君だったようで、浅野の恨みを買う覚えはなかったようだ。浅野はいわゆる「木の芽時」に起きる季節性うつ病(SAD)で、おそらく被害妄想だったのだろう)。まあ、安倍さんなんかも同類かもだ。
大石は言っている、武士とはいかにも不便な存在でござる、と。武士道などという一見愚かしい価値観で縛られて、潔い死を運命づけられているわけ。が、大石はそれを鮮やかに演じ切った。実は矢沢もYAZAWAを演じている。彼も自分の役回りを知っているのだ。今年は武道館がないのだが、彼も自分の死に方を考えている。それが分かる。
そして役割を見切った男は名言が吐ける。
・矢沢曰く:(所詮歌手なんて人気商売だと記者から揶揄されて)お前らがイイ学校出て、イイ会社に入って、家族犠牲にして朝から晩まで必死こいて働いて、一生かかって稼ぐカネなんて、矢沢の2秒!
・ジョージ・クルーニー曰く:(大統領選出馬を打診されて)オレはオンナとヤクをやりすぎたから、その器ではない。
・ゴルゴ13曰く:オレがこれまで生き延びてこれたのは、才能10%、努力30%、そして臆病さ60%によるのだ。
・ウォッチマン・ニー曰く:私は名声などは求めない。私の最期は殉教するか、携挙されるか、だ。
これらの男たちは「自分」を客観的に見てるからこそ、こんな清々としたセリフが吐ける。実にカッケー。人間、生に執着すると卑しくなる。介護されつつ、ベッドで垂れ流して死ぬなんでみっともないことはゴメンだ。かと言って、三島のように腹を切るのもグロ。要するにキレイに逝きたいと思うのだ。 この映画、わがfavoriteのひとつ。男の潔さと弱さ、悲しさがグッとクル作品。
著書でも指摘したが、映画マトリックスには、聖書の多大なる影響がある。名称もトリニティとか、ザイオン(シオン)とか、メシアとか・・・。たとえばこういった発言がある。われわれがリアリティーと思い込んでいる世界は単に五感を通して伝達された電気信号と神経回路が生み出したモノに過ぎない。青いカプセルは平々凡々の世界に生きる道、対して真のリアリティーは赤いカプセルを飲む時に経験する世界であると。そしてその世界での操作が五感の世界に現れ、あるいは逆に電話でのリクエストにより五感の世界のリアリティーを変える。なにかを実現しようとするな、それはならない。すでになっていると知れ。すると現れる。
なんでも願い求めたものは、祈るときすでに得ていると信じなさい。するとそのとおりになる。-Mark 11:22
神はいつか癒して下さるだろう、はフェイスではない。単なる願いであり、希望に過ぎない。はっきり言っておくが、それでは決して癒されることはない。
かくしてわれわれも同じ。イエスという門、ポータルを通して、私たちはこの五感の世界と霊の領域を出たり入ったりする。
わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。-John 10:9
きわめてダイナミック。出たり入ったりする。どことどこを?ニューエイジではよくチャネルと言うが、霊的世界とアクセスするチャネルはいろいろある。ニューエイジャーは確かにそのチャネルのどれかを通して出たり入ったりし、スピリチャアルワールドとコンタクトしているのだ。が、イエスは言われる:
よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。-John 10:1
われわれが五感で感知する世界はリアリティーのごく一部に過ぎない。繰り返すが、ニュートリノはわれわれのボディを1秒間に1兆個貫通しているのだ!感じる人、いますか?いわゆる思想・哲学、科学、音楽、芸術・・・といった人間が生み出した文化は所詮五感の世界の存在に過ぎない。確かにそれらは美とか、秩序とか、神秘とか、何らかの神の属性を表現するものではあるだろう。が、それは所詮、影だ。神の領域のサブスタンスがこの五感の領域に投影されたものだ。クリスチャンはそのようなものを楽しむことはまかりならん(これは宗教)、ではないが、その追求のみで終わるべきではない。私たちが生きる領域は影の領域ではない。サブスタンス、すなわち実体そのものの領域である。
この五感の世界は今後ますます混迷を深め、それらの影は所詮影であることが明らかにされる。五感を超えた世界、すなわちスーパーナチュラルな世界に、フェイスというこれまた五感を超えたシックスセンスによってタッチすること。そしてそのサブスタンスをこの五感の世界にヨハネが証するとおり、タンジブルに、すなわち目で見て触ることが出来る形で現出させること。今回、メッセではかなり大胆に語った。いわゆるキリスト教という宗教の領域に生きる人々にはある種の挑発となるであろう。が、フェイスに覚醒するとき、それこそがリアリティーであると分かるのだ。
さあ、あなたは赤いカプセルと青いカプセルのどちらを飲むのだろうか?
UPしました。
●タイトル:フェイスの覚醒
●聖書箇所:テトス3:5;ヨハネ3:6など
●12月13日のセレブ:
・場所:エスカル会館2F会議室
・時間:1300-1700
●Web:Kingdom Fellowship
●YouTube:Dr.Luke's KF_Channel
●セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。
全国有名書店で発売中
イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。
第一弾として紀伊国屋、丸善、三省堂など全国有名書店100店舗にて販売されますが、お近くの書店に置いてないか、あるいは売り切れの場合は、こちらの注文表(B5サイズ)をダウンロードして印刷していただき、書店にてご注文ください(リンクにカーソルをおいて右クリックで保存できます)。またAmazon、楽天ブックス、紀伊国屋WEB STOREで取り扱っています。Amazonでは在庫を積み増ししてくれております。また銀座教文館でも販売開始。
GYMにてスイミングをする際、体重と体脂肪を測定する。現在、それぞれ69.5キロ、10%台後半。ホントはもう少し絞りたい。最近は1,800Calレベルを意識している(もちろん楽しむときは目一杯だが・・・)。高タンパクを意識して、炭水化物はできるだけカット、が、油断すると増える。息子が勤務するある超大企業では昼食代手当が毎日2,000円だとか・・・。はぁ、何食ってんの?って感じだが、人間、食いたいだけ食うと体はぶよぶよになるばかりでなく、老化も進む。スピリチャアルにも鈍くなるし、ブレインも低下する。俳優の榎木孝明氏が30日間の不食を行った際、食べないと感受性が高まり、頭脳も冴えると証言していた。聖書でも断食を勧めている。
このボディは私の霊(spirit)と魂(soul)を入れる容器に過ぎず、いわゆる五感によって支配されている。現代人は五感の奴隷になっていると言える。五感で感知する世界のみがリアリティーと思い込んでいるのだ。が、霊の機能であるフェイスは五感を超えた世界をリアルなものとして経験できる。つまりシックスセンスなのだ。映画『スターウォーズ』のフォースはバイブルのフェイスのパクリだが、今回は「フォースの覚醒」が副題だ。フォースによって遠くを見ることも、未来を知ることもできる。これは元々フェイスのパワーだ。末期のガンすらも癒される。フェイスの覚醒。これ、終末を生きる人類の究極のテーマ。
五感に縛られない生き方。老子も言っている(第五十二章)。
其の兌(あな)を塞(ふさ)ぎ 其の門を閉じれば 終身勤せず
其の兌を開き 其の事を済(な)せば 終身救われず
人間の身体にある穴を開きっぱなしにし、その感覚を貪ると心身は消耗するが、それらをふさげば健やかに生きることができる、というわけ。まずは食を支配すること。争いはすべて食を巡ることが原因なのだ。資本主義も共産主義も、一見高尚な思想体系に見えるが、元を正せば、いかにして食うか、が起源。対してイエスは言われた、
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。・・・ 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。-マタイ福音書
では、良い週末を、God bless!
若い頃はカネが大きなモチベーションだった。クリスチャンではあったが、いわゆる「きよく・まずしく・うつくしく」といった宗教臭い生き方はまっぴらと思っていた。燃えた、そして稼いだ。それがプライドでもあり、パワーの源泉でもあった。若いうちはそれでよいのだ。カッコいい車に乗って彼女を作って、家を買って、家族を養って、と。若いうちはそれでいい。いや、そうであるべきなのだ。矢沢も言っている。若い頃はカネと女がすべて。しかし年を重ねると、カネは便利だが、それだけではないと分かるようになると。女との関係ももっとしっくりしたものになるとも。一度は目一杯稼ぐこと。
極私的には、人として「ひととおりのこと」を終えた今、カネはもはやモチベーションにならなくなった。つまり、カネそのものには燃えないのだ。いや、カネが不必要というのではない。神の国の拡大の為にはおおいに必要だ。つまりカネの位置づけが変わってしまったのだ。私は今、ケタを上げることを求めている。そしてすでに得ていることを知っている。すでに自分にとって必要な分はほんのわずかでよい。神の国の拡大のためにはケタを上げる必要がある。
FB創始者のザッカーバーグが持ち株の99%、5兆円を世界の子供たちのために寄付するとのこと。これ、実に爽快だ。英国のコリン・アーカートも、聖公会を辞め、自立的働きに入った頃は、完全に主に頼る生活を送りつつ、忠実に十分の一を捧げていたところ、ミニストリーが拡大し、本も売れた。そして今や、十分の一を自分のために残すようになった(お分かりですか?90%を捧げても豊かな生活ができるのだ!)。カネに憑かれて、自分のためにカネを取り置くことはその顔を卑しくする。カネはあっても貧相なのだ。
イエスはけっして貧しくはなかった。誕生の際、博士たちが献上した金(ゴールド)はどのくらいか?没薬と乳香も当時高級な香料だ。それらの価値は?イエスの上着はローマ兵が破って分けたが、下着は一枚織りであり、破ることなくクジ引きをした。一枚織りは高級品。宗教の霊から解かれよ、と何度も語っている。イエスは富んでおられたのに、私たちを富む者とするために貧しくなられたのだ(2Cor 8:9)。このコンテキストは物質的な富について語っている。はっきりと言う。貧困は呪いである。イエスはその呪いを終わらせた!持っている者はますます富むようになる。が、得るために得るではない。神の国の法則は、撒くことと刈ること。種をまかずに溜め込んでおいてどうして収穫があろうか。得るためには失うこと。
日本人はもともと清々しい、潔い、凛とした風格を持っていた。江戸を訪れた外国人は、ここはアジアではないと証言した。彼らから見れば、生活レベルは確かに低かったが、貧困はなかった。それが戦後、マモンに取り憑かれたニッポン人に堕し、実に卑しくなってしまった。捨てることを忘れてしまったからだ。捨てる。これはある意味、究極の美徳だ。イエスは自分を捨てた。だからすべてを得た。これこそがまことの富の得方。モチベーションのありか。これがすべてを決める。
富を得ようと苦労してはならない、かしこく思いとどまるがよい。
あなたの目をそれにとめると、それはない、富はたちまち自ら翼を生じて、わしのように天に飛び去るからだ。
物惜しみする人のパンを食べてはならない、そのごちそうをむさぼり願ってはならない。-Prov 23:4-6
この預言はちょっと興味深い。メシアの時の到来の前に、ロシアはクリミアに侵攻、さらにコンスタンチノープル(現イスタンブール)を攻める。またイシマエルの子孫と手を結ぶ。すでにロシアはシーア派と緊密な連携関係にある。
-200 Years Ago, War Between Turkey and Russia Prophesied as Sign of Redemption
その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。-Ps 19:4
この「響き」の原語は「弦」つまり振動、バイブレーションのこと。「言葉」は語り出された神の言葉、レーマだ。つまりそれは振動。現代物理では宇宙は11次元からなり、その究極的存在は弦(ストリング)だ。その場の振動が素粒子。ニュートリノなどは1秒間に1兆個が私たちの体を貫通している。神の粒子と言われるヒッグス粒子を生むヒッグス場の振動が消失すれば宇宙はただちに雲散霧消する。まことに五感では把握できない現象は物理の世界にも存在する。かくして聖書はすでに紀元前一千年頃に超弦理論を指摘しているわけ。ようやくサイエンスがバイブルに近づいてきたのだ。
で、このクリップ。物理学的にもタイムトラベルの可能性を指摘している。この男性の経験は実に興味深い。
フェイスはNOWだとメッセで語っている。私たちの霊は御霊から生まれた(John 3:6)。それは神のいのちであり、私たちのボディは神の神殿である。魂(知性・感情・意志)は霊と体の狭間にあって、神の言葉・指令か、肉体すなわち五感の情報か、どちらかを選んで、内的にアセスメントして、それを言葉や行動として表現する。これを昨日のメッセで語った。天の国籍を持つことは、天の会話に与ることである。
私という存在の本質は、肉体ではない。さらに魂でもない。霊である。外なる人は滅びるが、うちなる人は日々新たにされる(2Cor 4:16)。それは神のいのちそのもの、すなわちキリストご自身である。そのキリストのマインドを信じる者は持っている。キリストのマインドは霊的なものであり、そのマインドが私たちのマインドに浸透する。ゆえにパウロは思いの霊において新たにされよ、という(Eph 4:23;邦語訳はいずれも誤訳)。キリストは今や肉体に束縛されることのないいのちを与える霊である(1Cor 15:45)。
かくして信仰という単語はまことに不適切であると何度も指摘しているとおりである。信じて、仰ぐ?ノー。それはピスティス。信だ。シックスセンスなのだ。私たちの魂由来のものではない。五感の領域のものではない。肉のものではない。それは霊の領域のセンスであり、アビリティである。しかも、イエスはこう言われる。神の信を持て、と(Mark 11:22)。さらに、私は死んで、もはや生きているのは私ではなく、キリストである。今、肉にあって生きている私は御子の信によって生きるのである(Gal 2:20)。はあ?私は死んだ。でも生きている?これは霊の領域の事実と五感の領域の事実を混同することによる混乱。
私たちの霊は私たち自身の本質であり、それは時空間を超える。時間と空間に縛られない。ゆえに私たちは霊においてはアブラハムやダビデ、新訳の弟子たち、そしてイエスご自身と交わることができる。神と交わるとはタイムを超えた世界の、スーパーナチュラルな現象なのだ。が、一方で肉にあって私は生きている。これは五感の経験だ。その五感の領域にキリストのマインド、神の愛という霊的サブスタンスが実体化される。だから、神の甘い愛に浸ることが出来るし、聖霊の慰めにもあずかることが可能なのだ。ゆえにこのような内的経験はスーパーナチュラル。そもそもなんでキリストとともに私は死に、復活することができるわけ?タイムトラベルなのだ。かくして私たちの信は時間と空間を超える神的能力であり、さらに時間と空間を統治することができるのだ。
・・・と、これから先は私の新著をお読みください。次回のメッセでも語る予定。
UPしました。
●タイトル:天の会話にあずかる
●聖書箇所:詩篇19:1-5;ピリピ3:20など
●12月6日のセレブ:
・場所:エスカル会館2F会議室
・時間:1300-1700
●Web:Kingdom Fellowship
●YouTube:Dr.Luke's KF_Channel
全国有名書店で発売中
イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。
第一弾として紀伊国屋、丸善、三省堂など全国有名書店100店舗にて販売されますが、お近くの書店に置いてないか、あるいは売り切れの場合は、こちらの注文表(B5サイズ)をダウンロードして印刷していただき、書店にてご注文ください(リンクにカーソルをおいて右クリックで保存できます)。またAmazon、楽天ブックス、紀伊国屋WEB STOREで取り扱っています。Amazonでは在庫を積み増ししてくれております。
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