Our Worship-Oh, Hail the Lamb
- 2016/04/29 09:35
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:音楽, 信仰
- Tag:Worship
Dr.Luke的日々のココロ
Category: 信仰
ニューエイジ系サイエンティストによるプレゼン。ガンが3分で消失するエコー画像。ニューエイジ系の人の方が経験的にフェイスの使い方を知っている。カギは、IT'S ALREADY HAPPENED!
Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. -Heb 11:1
私の著書にも書いたが、この聖句のfaithには定冠詞がない。つまりシックスセンスとしての一般的フェイス。それは霊的領域のサブスタンスをこの物理的領域に現出させるパワーなのだ。問題はそのサブスタンスが何か?
なんでも祈るときは、すでに得たと信じよ。するとそれを得る-ジーザス
フェイスにより発せられた言葉、ヘブル語の"dabar"にはリアリティーを変えるパワーがある。"dabar"はmatterを意味する。つまり実質・本質そのものなのだ。だからDNAをも変えることができる。あなたを閉じ込めているマトリックスから解かれよ!
●タイトル:祝福のテイクオーバー
●聖書個所:ヨエル2章;申命記28:2;1コリント15:45;ヘブル12:22-24など
●5月1日のセレブ:
・場所:エスカル会館2F会議室
・時間:1300-1700
●Web:Kingdom Fellowship
●YouTube:Dr.Luke's KF_Channel
●セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。
全国有名書店で発売中
イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。
●11月に一般の100書店に配本され、2月に別の100書店に配本されました(⇒書店リスト)。また紀伊国屋では1年間常備されます。書店に直接注文していただけますと在庫を増やしてくれますので、よろしくです。こちらの注文表をお持ちください。なお、出版社の在庫があとわずかとなった模様です。
●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●読書メーター感想:読んでも意味がわからなかった聖書がなんとなくわかった。聖書の読み方が変わった。
「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。」-マタイ福音書
今回、九州が割れた。これは局地的地震とかではない。地殻と内部がズレているわけ。かつての小松左京の『日本沈没』を彷彿する。原発は今のところ正常だとか!? アホだね。ネクストは? インドでは大干ばつと大飢饉。どうも地球が狂い出している。
「そのように、これらの事が起るのを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」-マルコ福音書
「これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」-ルカ福音書
もはや専門家も素人も関係ない事態になっているのだ。地震のことは東大地震研究所ではなく、ナマズに聞いた方がよい!
プリンスはバアルに捧げられた!?19日ロンドンでバアル神殿が公開された。バアルは豊穣の神であるが、新生児を焼いて捧げ物として求めるモレクと同一視されている。
プリンスの死は21日に発見されたが、確かにシンクロしている。これまでも多くのアーチストが"捧げられた"と見られているが、霊的に鈍感にされているニッポン人には単なる陰謀論とされてしまうだろう。ちなみに22日からペサハ、過ぎ越しの祭り(Jesusが十字架についた日)が始まる。
対してわがリスペクトするこの男、きわめて健全。一流のロッカーは子供をちゃんと大学に入れるんだ、と。 実は日本のロックはRockではない。野球がBaseballでないのと同じ。YAZAWAはJesusとBibleを知らない。ゆえに守られていると言える。せいぜい、社会や体制に対する反逆を気取るだけだから。 JesusとBibleを知っている欧米のロッカーは、必ず神(God)に対する反逆・冒涜に陥る。彼らはある種の悪魔のスピリットによってドライブされる。だからしばしばその末路は悲惨。この写真はプリンスの映画のワンシーン。この指サインに注意!
まあ、わがYAZAWAがイルミナティによってモレクやバアルに供されることはないだろう。このオジサン、俺はYAZAWAを演じてるとポーズしているだけだから。でも、シブイね。
血は単なる物理化学的物体ではない。それは命を含む。霊的なパワーを有するのだ!
肉の命は血にあるからである。-Lev 17:11
私たちの祖先を追いかけると最後はアダムに到達する。が、そのアダムと今の私を結ぶ血脈が存在する。果たして自分はどのような祖先を持っているのであろう?私自身、これまで封印されていた自分の由来の秘密を知りつつある。たどれる祖先は4,5代程度ではあるが、その血脈においても実に様々の状況があることが分かる。
彼らがいつの間にか神に反逆したり、敵の霊と契約を結んだりした場合、その効力は私たちにも及ぶ。意識するにせよ、無意識にせよ、私たちは錯綜した血脈のひとつの到達点に置かれているのだ。よくある事は、代々に渡って同じような罪を犯したり、類似の事件によって不幸な歩みをする人々がいる。精神分析的には強迫反復と言われるものである。が、どうも精神病理的なファクターのみでは説明しきれないものがある。つまり血脈の問題である。遺伝病は言わずもがな、呪いや罪や悪しき契約などの霊的ハパワーが血脈に乗って私たちに影響を及ぼす可能性を最近とみに感じている。
メッセでも語ったが、江戸時代まで系図をたどれる家系は少ないと思う。ゆえにどこでいつ何が入ったのか、私たちに認識する術はない。そこでイエスの血潮のパワーが必要になるのだ。イエスの血はいわゆる個々の罪々をきよめるだけではない。この血脈にのって流れている霊的パワーをも消去し、きよめるのだ。血は語ることはヘブル書にもある。
新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。-Heb 12:24
血にはいのちがあり、それは生きているのだ!私たちが知りえる範囲をはるかに超えて、血は私たちを覆い、きよめ、さらに私たちのために語っている。敵は私たちの無知や無防備に付け込む。先祖たちが犯した罪や呪いや契約をサタンの告発の材料としてはならない。自分がどうしても打ち勝てない罪や問題、あるいは否応なく繰り返される家庭の問題などはこの血脈の罠が仕掛けられている可能性が高いのだ。イエスの血潮のパワーにもっと目覚める必要がある。私たちが努力して矯正したり、治せる領域はごくわずか。血を適用せよ!あらゆる敵の中傷や罪定めの声に対して血の線を引くこと。血の覆いのもとにいるとき、敵の攻撃はすべて彼らの上に返される。
どのような武器があなたに対して作られても/何一つ役に立つことはない。裁きの座であなたに対立するすべての舌を/あなたは罪に定めることができる。これが主の僕らの嗣業/わたしの与える恵みの業だ、と主は言われる。-Isa 54:17
むしろ彼らの武器は、ダビデがゴリアテの剣により彼の首を切断したように、訴える者たち自身を切断することになる。私たちは目の前の物理的領域における事態とガチンコするのではない。天の法廷において祭司として働くのだ。そこで受けた決議事項をこの物理的領域に語り出すとき、それは預言者のわざとなり、事態を統治するとき王権を行使する。こうして天の事実が地にもなるのだ。目の前の事態に欺かれてはならない。サタンは光の天使にもマスカレードし、御言葉をすら使うのである。私たちを訴えるために。が、戦いはすでにオワッテいる!
今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、/昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、/投げ落とされたからである。
兄弟たちは、小羊の血と/自分たちの証しの言葉(ロゴス)とで、/彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。-Rev 12:10-11
フェイスの覚醒のためにはイエスの血潮のパワーにまず覚醒せよ!それは私たちを神の義とするのだ。
神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。-2Cor 5:21
神はご自身の義の基準によって働かれる。私たちの祈りも奉仕もすべてはこの義の基準に従う必要がある。ええ、それは厳しすぎる!・・・と言うことなかれ。そのためにこそ、イエスの血潮があるのだ。イエスの血潮はイエスの復活のいのちを私たちのうちにインプラントする。 私たちの呪われた古い血脈は終わったのだ。今、私たちは祝福されたイエスの血脈にいるニュー・クリーチャー、神属人類だ!それは神の聖・愛・義・力・癒し・祝福などすべてを含む血である。血が塗られる時、油も塗られる。すなわち御霊が働くのだ。御霊は神の国のサブスタンスを、今、ここに、実体化する。イエスが得たものはすべて私たちのもの!私たちはすべてを所有するのだ。
するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒とほどの同様の信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。」-Matt 17:20
この削除線を引いた部分は邦語訳の問題点。「足りないから」ではなく「ないから」、「ほどの信仰」ではなく「と同様の信仰」。この部分はしばしば信仰のサイズの問題として取り上げられる。アブソリュートリー・ノー!サイズを気にする人々はよく、自分の信仰は小さいから、でもからし種一粒でもあれば祈りを聞いてもらえる、と思い込んで、しばしばかなえられない経験に落ちて失望するのだ。なぜ?サイズの問題ではないから。DNAの有無の問題なのだ。からし種はサイズは小さいが、からしの木の全DNAを含んでいる。その小さな種の中にからしの木の全運命が含まれているのだ!これが種。砂粒ほどのフェイスでは無効なのだ。
われわれも同じ。私たちは神の種から生まれた。
あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言(ロゴス)によったのである。-1Pet 1:23
種とはロゴス。ロゴスは神の第二格位なる存在。つまり私たちは神のロゴスから生まれた。ゆえに私たちは神のDNAを有しているのだ!人から生まれた者がチンパンジーのDNAを持つことはあり得ない。私のうちには神が成長している!要するに神の国の全運命を含む神のDNAをインプラントされているのだ。Are you with me? これはただフェイスによった(Eph 2:8)。フェイスはDNAをインプラントするのだ。
結論を言おう。フェイスはサイズの問題ではない。質の問題、つまり神の国のDNAを有しているか否か、である。イエスは神のフェイスを持てと言われる(Mark 11:22)。「神を信じなさい」ではない!「神のフェイス(Faith of God)」だ。それは神の国のDNAを有するフェイス。そのフェイスには時系列(クロノス)の中で成就するあらゆる事象を含んでいる。そのDNAを持つことは神の国のすべてを有することを意味するのだ。まことにパウロが言うとおり:
ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。-1Cor 3:21-23
WOW! からし種と同様のフェイスとはDNAを有するフェイス。サイズの問題ではない。神から得た霊のDNAを発現させよ。それはサブスタンスの出現、すなわちフェイスの覚醒(Heb 11:1)。フェイスは霊のDNAを活性化するのだ!かくして神は私たちのうちで育ち、私たちの肉、すなわち人間性を通して現れる。これが敬虔(邦語訳はあまりよくない。英語では"Godliness")の奥義である(1Tim 3:16)。イエスはそれを初穂としてデモンストレーションされた。まことにわれわれは神属人類なのだ!
ここにはサタンの深みが存在する(Rev 2:24)。
地に住む者よ、恐怖と穴と罠がお前に臨む。恐怖の知らせを逃れた者は、穴に落ち込み/穴から這い上がった者は、罠に捕らえられる。天の水門は開かれ、地の基は震え動く。
地は裂け、甚だしく裂け/地は砕け、甚だしく砕け/地は揺れ、甚だしく揺れる。
地は、酔いどれのようによろめき/見張り小屋のようにゆらゆらと動かされる。地の罪は、地の上に重く/倒れて、二度と起き上がることはない。-Isa 24:17-20
地下10キロ震源の地震の多発については2010年ころから指摘している。2011.03.11についてはピンポイントで事前に指摘してしまった。当時、講義でも11日に注意と何度も警鐘を鳴らしていた。今回のも地下11キロとかで、一部には人工地震説も出ているようだ。
地下10キロで頻発していることは多分に地殻と内部のズレが生じていることを思わせる。つまり卵の殻と中身がずれているのだ。これは地球がおかしてくなっていることの証左。いわゆるシンクホール(地面の陥没)なども頻発している。先にはナイル川が"血"に変わった。
2010年は霊的相転換の年と指摘したが、それ以降確かにソレが起きている。これまでとはまったく違うスピリチュアルな様相を見せているわけ。霊的領域のサブスタンスは物理的領域の現象とシンクロする。よってこれまでのパラダイムが崩壊するような現象が多発するのだ。
人はみなノーマルシー(日常性)バイアスに騙される。韓国では地下鉄で火災が起きても、乗客は平然としていた。いわゆる茹でガエル状態。カエルをいきなり熱湯に入れると暴れるが、徐々に温めると気持ちよくご臨終する。ノアの洪水でも、人々は流されるまで<気がつかなった>とある。それと同調性バイアス。赤信号みんなで渡れば怖くない。極私的には青信号ひとりで渡ると怖くなる、だ。大衆に流されたらオシマイ。
いずれ東京も他人ごとではなくなる。私は以前より廃墟と化したビル群が見えている。その幻は未だに消えていないのだ。