Entry

Category: 信仰

TODAY'S CELEBRATION 【Oct 11, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトルユダヤ人の苦難と資産に与る

聖書箇所:詩篇122:6-7;ルツ記1:16

10月18日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700

WebKingdom Fellowship

YouTubeDr.Luke's KF_Channel

■注:レビ記の23章の七つの祭は以下のとおり: 春⇒ 安息日(シャバット) 過越の祭り(ペサハ) 初穂の祭り(ヨム・ハ・ビクリーム) 七週の祭り(シャヴオート) / 秋⇒ ラッパの祭り(ヨム・テルーア) 大贖罪日(ヨム・キップール) 仮庵の祭り(スコット)

11月全国有名書店で発売

イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

書店発売に先立ち、20日に著者割り当て分が再度入りますので、
注文を16日金曜日まで受け付けます。
予定の冊数に達しましたので、期日前ですが締め切ります。

ハシディズムのラビ、すでにゴグ・マゴグ戦争は始まっている

-Hassidic Rabbi: War of Gog and Magog Already Began in Syria

In his talk, reported by the Hebrew language website Sod 1820, the Mishkolitz Rebbe explained that, contrary to the Biblical sources which describe the War of Gog and Magog as taking place in Israel, the war has already begun and is taking place in Syria.

ゴグ・マゴグ戦争は、通常、イスラエルでとされているが、彼はシリアですでに開始されているというわけ。それは神のイスラエルに対する憐れみである。他のラビによるメシアの到来も近いとの宣言もあるが、やはり時代はかなり煮詰まってきていることは間違いないであろう。なお、ハシディズムは超正統派のユダヤ教。

ヨーロッパ世界は崩壊の瀬戸際にある

イスラムにはいわゆる国家の概念はない。彼らの究極はシャリア法によるカリフ帝国、それは超国家的存在なのだ。ISはそれを一部実現した。彼らはわれわれとはまったく異なるリアリティーに生きている。対話が成立するはずがない。

ニッポンの左寄りメディアは「イスラエル=悪、PA=気の毒な難民」の勧善懲悪漫画的報道しかできないが、この国の霊的無知を証明している。安倍さんなどは小学生の作文で世界的にね。それで首を切られた人たちも出たわけ。無知は罪なのだ。

特にシーア派は12番目のイマーム、究極の救世主であるマハディの出現を待ちわびている。彼らは今の世界を、要するに終わらせたいのだ。その後に全世界をイスラム帝国化する。その先頭がイランだ。イスラムは平和の宗教?アブソリュートリー・ノー!

ちなみに現在、ニッポンでもモスレムが増えているのをご存知だろうか。ひとつのモスクで年に100人程度がモスレムになっているのだ。東京でもよくモスレム・ファッションの女性を見かける。彼らは立派な日本人。モスレムの生命力は侮れないのだ。現状、この国はまったく無防備。気づいたときには相当に侵食されている。

かつてロンドンのエッジウェアStでレンタカーを借りたが、そこはほとんどモスレムの店。黒を基調として独特の雰囲気で、生命の躍動感がないのだ。一言で言えば、死の感覚。ロンドンは20%がモスレムと私の英国の友人は言っていた。このビデオでも出るが・・・。ニッポン人にはこのような空気感は耐え切れないだろう。ヨーロッパ社会はマジで崩壊の危機にあるのだ。

追記:シーア派によると終末には救世主マハディが来臨し、サタンがダジャール(一つ目)として到来するというが、これは聖書のネガだ。聖書的にはマハディが反キリスト、ダジャールが再臨のキリストなのだ。ややこしい・・・。

アメリカの終焉が近い?

聖書には明示的にはアメリカに関する終末の予言がない。これでチャック・スミス系の前艱難期携挙説の人たちはアメリカは重要な聖書的役割をしない存在となっているとする。確かにアメリカは内部から崩壊しつつあることは誰も認めるであろう。

-Will Americans Perish from Lack of Prophetic Knowledge?

-THE FALL of AMERICA - The SHIFT of WORLD POWER has JUST OCCURRED(YouTube)

この数年、極私的にはオバマが終末の舞台設定をしていると指摘してきたが、これも誰も否定できないであろう。さて、そこでだ、先に書いたように、SDAの預言解釈に基づいて、バチカンとアメリカがそれぞれ第一、第二の獣としての役割を演じるか、否か。私はその蓋然性がかなり高いと見ているのだ。特にアメリカはイスラム化するという形で、終末の反キリストを援護する存在となるだろう。すでにアメリカのイスラム化はかなり深く進んでいるのだ。

 

マイ・マインド・アンロックト

今朝のジョッギングでもまたアンロックされた。それは、ユダヤ人に対する神の愛がいきなり流れ込んできたのだ。最初にユダヤ人の歴史が一瞬にして鮮やかに見えた。彼らの経た苦難や嘆きや絶望や叫びがありありと見え感じられた。神に選ばれた民であるにも関わらず、まことのメシアを拒絶し、さらに世界から拒絶された民。確かに彼らは「この人の血の責任はわれわれの子孫に降りかかっても良い!」と宣言してしまった。彼らの頑なさは一筋縄ではいかない。

かつてイスラエル大使館を訪ねたことがあるが、その際、イエスの名を出すと、その係官の表情が一瞬にして険しいものに変わった。ディスガスティング!彼らは確かにいわゆるキリスト教会の置換神学などにより、迫害を受けているのだ。その傷は深い。が、彼らは今でも選ばれし民。神の言葉を保存し、メシアを地上にもたらすために用いられた民族だ。神が地上に介入するための地政学的ポータルとされた地がイスラエルだ。神は彼らを愛している。

われわれは彼らに多くを負っている。カトリックがイシュタルの神の習俗などを入れ、ヘブル的要素からキリスト教を切り離して以後、それは変質してしまった。私たちはその真のルーツに戻されつつある。もちろんユダヤ教に戻るわけではない。そこに啓示された神の御心と真理に戻るのだ。そして彼らの救いのために祈るべきだ。これは確かに知識として知っていたし、実行もしてきた。が、今回は彼らに対する神の愛がヴィヴィッドに迫った。ジョッギングしながら、涙が湧き上がり、思わず膝まづきたくなった。まことに救いはユダヤ人から。この約束は今も生きているのだ。

わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される。-Gen 12:2-3

 

聖書予言の布陣どおりに

2003年頃のバイブルカレッジで、イザヤ17章(Isa 17:1)のダマスコへの預言がこれからの世界情勢の鍵になると講義した。つまりシリアだ。まもなくブッシュがアフガンとイラクに侵攻した。今般、ロシアが巡航ミサイルも飛ばすほどに介入。そしてついに中国も。このシェミタの終わり9月はまことに「何事」かが起きたのだ。

-HERE COMES CHINA: Beijing Sending Troops To Join Russian War In Syria

東の王(日の出る方から来る王)が動いたわけだ。さらにトルコを防衛するためとしてNATOが動く。

-Nato chief says prepared to send troops to defend Turkey

すべての起点はシリア。つまりダマスコだ。現在、われわれはイザヤ17章の予言の成就を見ていることは間違いない。オバマはすでにプーチンに飲まれているが、なお、彼は自分の役目を果たすであろう。アメリカはすでに予想以上にモスレムの侵食を受けている。

-ISIS Plan to Conquer America

かなり前に書いたことがあるが、モスレムはある地域に移住するとコミュニティを作り、その地域のもっとも高い処において、この地域はアッラーのものであると宣言するのだ。そしてじわじわとその地域に、平和裏に入り込み、ついにはその地域を専有する。まことに、「自分が宣言することはそのとおりになる」との霊的法則を知っているのだ。かつてロンドンにてレンターカーを借りる際、エッジウェアStに入ったが、なんとそこはすべてモスレムの店だらけ。モスレムの雰囲気は一言で言うと死の感覚。生命の自然な躍動感が感じられないのだ。

この数年来、現在起きている事象は霊的領域での相克の反映であると書いている。つまりカインの霊とアベルの霊、神に受け入れられた者と拒絶された者の葛藤だ。これがますます顕著に現れているのだ。敵はカトリックという、普通の人から見ればクリスチャンの本家本元と、アメリカという自由と平等、民主主義の理想国家に自分のコマを配置している。まさにトロイの木馬だ。これからキリスト教は背教に落ちる。否、すでに落ちている。真に御言葉というレンズを通して見ていないと容易に欺かれることであろう。

 

メガ・ワーシップ

これは英国のサマーキャンプのワーシップ。異言が美しく響く・・・ペットがRaul、ドリカムとツアーを共にし彼らに福音を伝えた。

再建主義でも新しい創造を・・・

この記事「聖霊による回心は、世界を根底から変える」は面白い。神は新しく人を創造すると。いつもの再建主義の富井氏の論だ。まことに同意する次第。私は再建主義者ではないが、神のいのちの統治を地上に実現したい。2003年頃のバイブル・カレッジでもこの二面を語っていたが、それでもいのちの面に傾いていた。

が、最近、統治の具体的な方法に気がついた。それはデゥナミス。いのちにあってキリストと共に支配する力だ。このデゥナミスに覚醒すること。このようなスタンスはしばしば、「繁栄の神学」と共に、「Kingdom Now 神学」として批判されているが、主の祈りの本質はこれであろう。

では、再建主義に感じる違和感はどこから来るのだろうか?どうもその統治を社会体制と絡めるところにあるかもしれない。先のノンクリスチャンは選挙権を持たないとか・・・。われわれは社会体制とは関係なく統治を実現する。それはいのちによる統治。イエス自身も社会体制を変えることは意図されていない。わたしの国はこの世のものではない、と明言している。この地上に文字通りのイエスの統治が実現するのは次の経綸(千年期)。彼からするとこれはイルミナティの洗脳となるのだが・・・。

裏話:今回の新著は当初『神の法』としていた。が、カミさんが、大川隆法と間違われるし、パクリみたいだから、と。そこで『神のノモス』にしたが、出版社が、それは一般の人には理解できない、と。そこで『神の新創造』となったわけ。考えてみれば内容はもろソレなのだ。カバーデザインも宇宙とDNAバージョンは、なんと大川氏の最近の本にほとんど同じものがある。今のバージョンはスピ系を意識したものなのだが、ちょっとゴテゴテ感を外して現在に至った次第。今見るとそれなりの雰囲気で、宇宙とDNAバージョンよりもイイかもと感じている。本書はニッポンキリスト教業界は対象として考えていない。世に対する直球勝負だ。打倒、大川隆法?はは

本日の一冊-Aligning With Heaven

Discover the secrets to aligning with Heaven and releasing God’s supernatural blessing, ancient wisdom, and resurrection power over your life… and into your world!

著者はユダヤ人の血を引くDavid Herzog。この人物、実に陽気で楽しいオーラを醸す。ユダヤの祭りや習俗にも通じているため、解き明かしが実に明快。いわゆる神学なるものとはまったく異なる世界。オススメだ。

なお、ドイツにおける彼のカンファレンスの模様がこちらに。実に楽しい。

 

エゼキエルの場合は?

下のヨブの記事に関連してご質問をいただいた。エゼキエルの場合はどうか?

また主の言葉がわたしに臨んだ、
 「人の子よ、見よ、わたしは、にわかにあなたの目の喜ぶ者を取り去る。嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない。 声をたてずに嘆け。死人のために嘆き悲しむな。ずきんをかぶり、足にくつをはけ。口をおおうな。嘆きのパンを食べるな」。
朝のうちに、わたしは人々に語ったが、夕べには、わたしの妻は死んだ。翌朝わたしは命じられたようにした。 -Eze 24:15-17

彼の妻は一瞬で取り去られた。イスラエルの人々へのしるしとして。なんと過酷なことを神はなさるのか。ご自分を知らしめるために、人々がご自分を主と認めるために、エゼキエルの妻は、おそらくなんの落ち度もなかったにも関わらず、取り去られたのだ。自分の家族が死に瀕しているのは、主がご自分を現すために、あるいはご自分を主とするためのしるしなのか・・・・。とても自分は耐えきれない・・・。こうしてアレコレ、思いをこねくり回して蟻地獄に落ちる。信仰を使うなどはどこかに飛んでしまう・・・。

はっきり言おう。これはトリックだ。忘れてはならないのは、旧約はすべて型であり、影であること。本体は、もちろんキリストだ(Col 2:17)。エゼキエルの妻の例は、本体であるキリストを指している。父なる神はご自分の目に喜びである御子を捧げられた(Mark 1:11;John 3:16)。エゼキエルに対する過酷な要求、声をたてずに嘆け・・・云々は、父なる神ご自身の嘆きである。父なる神はご自分を知らしめるためのしるしとして、最愛の、唯一の御子を取り去られたのだ!このエゼキエルの例を自分の状況に適応するのは誤っている。もし、家族が病気であるならば、すでに御子が捧げられ、すべての代価が払われている故に、大胆に時期を得た助けを受けるために恵みの御座に近づくのだ(Heb 4:16)。そこにはすでにイエスの血が注がれているのだ。信仰によってご自分の元に来られる者をすべて癒して下さる!

これらのトリックはすべて信仰の欠如による自己憐憫のなせるわざだ。このような場合に必要なのは、まず自分に信仰がないことを認めること;それを悔い改めて聖霊に息吹いていただくことを求めること。自分のマインドに去来する思いではなく、御言葉を取り、御言葉に固く立つこと。つまりヨブと同じように、自分を退けることが本質なのだ。これが十字架ではないか!自分を退けて御言葉を選ぶならば、しるしとしてのイエスが払われた代価に基づいて、正当に癒しや必要の満たしを求めることが出来る。それは私たちの法的権利なのだから。ある者はいうであろう、Dr.Lukeよ、高慢だ。神に対して正当な権利を主張する? まことの遜りとは御言葉を御言葉通りに信じること。欺かれない者は幸いだ。負債はすでに完済しているのだ!大胆に信仰によって主張せよ!すべての病は癒された、と。

欺かれたマインド-神は苦難を与える-

ヨブ記の本質はどこにあるのか。サタンが神の前に来て、ヨブを試すことを許される。その後のヨブは惨々たる状態に陥る。しかも彼は自分はこのような目に遭う理由がないと、あくまでも自己の正当性を主張する・・・。神はなぜこのような目に自分を会わせるのか。神は与え、また神は取られる・・・。彼は完全にマインドの闇に陥っている。神がサタンの試みを許可したゆえにヨブは苦難に落ちたのか?神はあえてサタンに人を試みさせるのか?アブソリュートリー・ノー!!!御言葉はこう語っている。

恐れていたことが起こった/危惧していたことが襲いかかった。-Job 3:25

彼はすでに自分がこのような状況になることを恐れていたのだ。つまり彼の信仰には穴が開いていた。そこをサタンはつけこんだのだ。ニューエイジ的に言えば、引き寄せの法則。彼自身がサタンに正当な権利を与えてしまっていた。メッセでも語ったが、自分が同意することはそれを自分の上の権威とすることだ。ヨブ自身がサタンに許可を与えていたのだ。ゆえに神はそれを防ぐことはできない。だから、神はサタンの仕業を制限して、ヨブを守られたのだ。決して神がヨブに対してサタンを用いて試練を与えたのではない!このようなマインドから、映画『ポセイドン・アドベンチャー』の牧師メンタリティに陥る。「神よ、お前は何人の犠牲を要求するのかぁ!」と。しばしば人はこう叫ぶ、「なんで神がいるのにこんな悲惨を放置しているのかぁ」と。これは神を告発すること。恐るべき罪である。今、ある試みを受けている友人のBlogのコメント欄に、カトリックと思われる人が書いている、「ある神父の本に、天の国の入口で神様が言うのは「生きている間つらい想いをさせて申し訳なかった」と謝る事だそうです。」・・・。嗚呼、なんということを!

神が病気を送ってわれわれを訓練するとか、サタンを用いて苦難をもって罪を裁くとか、いわゆる罰当たりメンタリティーはどこから来るか。それこそあの世界を欺く者がルーツである。このようなメンタリティーに陥るならば、先の集会の教えのように自己矛盾に落ちていることすら気がづかない。私たちの益のために神が送った病気を医者によって直してもらう?はあ?そのようなメンタリティーは神の癒しや神の救いすらを拒絶してしまうのだ。神は絶対善。ゴッド・イズ・グッド!誰が自分の子をしてそんな目に合わせたいだろうか。ヘブル書で父は子を訓練するとあるではないか、とある人々は言い出す。そのとおりだ。それは訓練であって、ヨブのような悲惨ではない。ヨブは自分の信仰の穴と、自己正当化に気づくべきだったのだ。最後にようやく

あなたは全能であり/御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
 「これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた/驚くべき御業をあげつらっておりました。
 「聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」
 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます。-Job 42:2-6

と告白する。神がわれわれに謝罪するのではない。われわれが悔い改めるのだ。しかもヨブは神の主権に服し、友人を許して祈ると、2倍の祝福を得ているのだ。神はアブラハムにイサクを要求されるが、イサクは取り去られたか?ノー!アブラハムはすでに山に登る前に「わたしと子供は礼拝をして戻ってくる」と証言している(Gen 22:5)。彼は復活を信じていたのだ。しかも彼は「礼拝をして」と言っている。「苦難を克服して」とは言っていない!それは礼拝。Are You with me? サタンに欺かれるならばわれわれのマインドは神をさえ告発する。神よ、あなたは不正だ!と。しばしば障害者などを扱う教師や福祉に携わる人の心の奥底にはこのような神に対する告発が隠されている。神よ、あなたはこれらの人々をこんな状態にしているが、私はこれらの弱い人々に寄り添っているのだ、と。

心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。-Jer 17:9

イエスはご自分の元に来た病んでいる人をすべて癒された。信仰には常に応えてくださる。ゴッド・イズ・グッド!ここでもいわゆるキリスト教の価値観や思想やメンタリティーを捨て去る必要がある。神がサタンの試みを許されるのではない。神はサタンに制限を与えるのだ。なぜ?それは自分がサタンに許しを与えてしまっているから。もし神の制限がなければ、サタンはそれこそ究極までわれわれをいたぶる。彼は、盗み、殺し、滅ぼす者だから。自分が何を聞いて、何に同意するか。病気が癒されない人の特徴は間違った対象に自ら同意している。医者に同意するともらったクスリを止めるのが恐ろしくなる。10種類も、下手すると30種類ものクスリを飲まされる。医者を回るためには時間とカネと労力を投入するが、そのために礼拝には来る体力もなくなってしまう。本末転倒であろう。だから神は介入できない。まず気づくべきだ。自分の信仰の穴に。自分が何を信じ、何に委ね、何に頼っているのか。ヨブの最後のように、自分を退けて、悔い改める者は幸いである。

(注)念の為に言っておくが、医学を否定しているのではない。医学は一般恩恵、信仰の有無によらず誰もがそのメリットを享受できる。神の癒しは特別恩恵。それはただ信仰による。問題は「医学>神の言葉」の不等式にある。

再建主義社会体制とは?

いつもの再建主義の富井氏が次のように書いておられる。

-聖書的政体における選挙制度

これによる再建主義社会体制の下ではノンクリスチャンは選挙権を持たないとか・・・・?うーむ。私も相当にイルミナティの洗脳にやられているようだ。私も本でも書いたが、神の御旨は統治にあるが、しかし、それはいのちと共にだ。

もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。-Rom 5:17

Utility

CALENDAR

11 2018.12 01
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

MOON AGE

WORLD CLOCK

COUNTER

    Access.....
    Yesterday......
    Today............

RANKING

    ブログランキング・にほんブログ村へ

KF_SITE

FOR MEMBERS

APPLE iTUNES STORE PODCAST

YOUTUBE ARCHIVE

OLD iDLE UTTERANCE

OUR WORSHIP

TWITTER UPDATE

INSTAGRAM UPDATE

PRAY FOR ISRAEL

QRcode

BIBLE SEARCH

ENTRY SEARCH

Recent Trackback

Re:真の礼拝とは-Colin Urquhart
2018/04/30 from 承認待ち