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Category: 信仰

そのものに善悪はない

と再建主義の富井氏が言われている。ほお、これは面白い・・・。Clipしておこう。

tomi 2015/06/15(月) 13:31 ものそのものに善悪はない2

神が人間のために用意された嗜好品を味わうことを禁止する発想は、悪魔的だと思います。 人間には、労働から解放される安息が必要で、嗜好品はその安息を与えてくれる。 だから「一服する」。 酒や煙草や大麻に含まれる成分が「安らぎ」を与えるように神が用意してくださった。 それを禁止するという発想は、「人を拘束したがるサタン」のそれでしょう。 しかも、ノンクリスチャンとの間に余計な壁を作り、人々がクリスチャンになりたがらない要素にもなってきたように思えます。

マインドセットの組み換え

私たちの真の信仰は何気に発する言葉に現れる。意識して御言葉を語るときは、しばしば自分の血肉とされた信仰ではないことが多い。が、それでもなお、意識的に、気分に反しても、理解はできなくとも、御言葉をdecreeする必要がある。対して、自分が本当に信じていることは意志の力も力みも不要だ。ほぼ無意識に自然と語り出している。自分が信じていることがマインドにおいて形となり、明確に言語化されているからだ。

ある新米の医師がバイトの当直をしていた。そこに交通事故の悲惨な状態の急患が搬送されてきた。その状態を見て血の気の引いた彼は思わず叫んだ、「だれかぁ、医者を呼んでくれ~」と。彼は自分のアイデンティティーを確立できていなかったのだ。笑い話と聞こえるが、これが実はクリスチャンの実態でもある。サタンを恐れ、悪霊に狙われていると戦々恐々とし、ガンになるともうダメだ、失業して人生は終わった、いじめられてひたすら耐え忍ぶ、貧困に甘んじる、blablabla。自分は何者か、この医師と同様に忘れている。

結局のところ問題はどこにあるのか。マインドセットの組み立て方にある。私たちは絶えず自分のマインドセットをチェックする必要があるのだ。特に自分にとって当たり前のことが罠になる。他者から指摘されたとき、自己弁護したくなるとき、それは要塞となっているからなのだ。そこに自分のアイデンティティーとプライドが置かれているから。即、捨てることができれば幸いだ。すると御霊と御言葉によるマインドセットの組み換えが起きる。それはあたかも遺伝子の組み換えのようなもの。遺伝子の組み換えが起きれば、その発現が変化し、形態も機能も変化する。先に形態や機能を変化させようとしても無理。それはクルシチャンがきよく・ただしく・まずしく・うつくしく生きようとするようなもの。マインドセットのDNAを変えること。あとは何らの努力も、頑張りも必要なく、自然と進行する。あくまで偽りを守るのであれば、いずれ信仰は破船する。

まことにマインドのトランスフォーメーションこそが信仰を全うするための鍵である(Rom 12:1-2)。

TODAY'S CELEBRATION 【Jun 14, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトル新しい人に、聖書のエッセンス

聖書箇所:創世記2:7;ルカ24:47;ヨハネ3:5-6など

6月21日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700
 ・Web:Kingdom Fellowship
 ・Youtube:Dr.Luke Channel

PDF版1,000円、DVD媒体1,500円

オンライン・ショッピング

 

デュナミスの現れ

昨晩、あるご婦人からコールを受けた。この方はガンで余命二年と診断を受けたとのこと。いろいろとお話をされだしたが、今までの経験から話を聞き過ぎるとそれに飲み込まれて、信仰を用いることができなくなる。そこで話を強引に打ち切り、「イエスの名によって、ガン細胞を呪う。ただちに腐れ落ちよ!」と一言二言、命じた。何か手応えがあった感じで、内側でケリがついたと分かった。理由は不明、ただ分かった。

で、本日、セレブから帰ると自宅に報告があったとのこと。いわく、患部を覆っていた醜いガン組織がはがれ落ちて、痛みも消えたと。小生の反応、「マジかよ!?」。一応、東大の医学博士号(こんなものは霊の世界ではなんの役にも立たないがアッカンベー)を持つ者としてこの手の話は眉に唾をつける習慣があるのだ。が、今回の当事者は自分だ。実は、自分の耳や足の麻痺、花粉症の癒しも「ホントかよ・・・」が正直な感想だったのだ。うーん、何か実感がわかず、人ごとのような感じなのだ。

今、テレビで『ベン・ハー』を放映していた。主イエスの血が流れることにより癩病が癒される。そう、天のサブスタンスが地に現出するのだ。それは私がどうのこうのとは関係ない。天のリアリティだから。自分が成長しているとか、まったく関係ない。ただ御言葉に従えばよろしい。今、私たちはこのことをリアルに見ている。

GLORY BE TO GOD!

追記:本日ある御夫妻が見えられ、メッセージも入門的な内容になった。彼らの証が素晴らしかった。奥様はずっといわゆる教会を離れていたが、私たちのPodcastを聞いて、何でも神に祈れと語られて、祈ったと。するとご主人のフランスでのビジネスの道が、まったく予期しないあり方で開かれたとのこと。私たち神様に見放されていなかったんだと証してくださった。神はジェホバ・ジレ(ジャイラ)、備え主。主の山に備えありだ。彼らのビジネスが大いに繁栄しますように!

クリスチャンが見当はずれに陥る理由

いわく、きよく・ただしく・まずしく・うつくしく・・・。いわゆる宗教としてのキリスト教のあり方だ。つねに神から裁かれないかとビクビク、自分はどうのこうの・・・。病気になれば、神のみ心だから受け入れ、その中でも賛美して、喜ぶことが素晴らしい・・・。それは確かに人間の自己満足的素晴さ。イエスは病者にそう言われただろうか?彼はすべて自分の元に来られる人を癒したのだ。そして自分は父の心を行っていると言われたのだ。

なぜ、こういった見当はずれに陥るのだろうか。罪はハマルティア、的外れ、とよく言われる。そのとおりだ。ところが自我を十字架につけてぇ、魂を否定しぃ、罪を犯さず、清い生活を送れぇ、あれこれ・・・。まさにこれが的外れなのだ。要するに復活のパワーを知らないからだ。十字架と復活の事件の後は、相が完全に転換した。この復活のパワー、デゥナミスが解放されたのだ。神の国はロゴスにではなく、デゥナミスにある。終わりの時代、私たちはこれを経験する必要があるのだ。

イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」-Matt 22:29

私の好きな瞬間

現代ではしるしも癒しもないとか、神は成長させるために病気を癒されないとか・・・。これは自分の信仰の欠如を自己弁護するものにすぎない。

その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。-Mark 9:24

この叫びの瞬間、私たちは神の愛とあわれみを知るのだ。そして神の力(dunamis)も・・・

 

Dr.Lukeの一言映画評

英国のベストセラーの映画化作品、『リピーテッド』。主演は私のfavoriteなニコール・キッドマン。年齢を重ねても実に可憐だ。

クリスティーンは、事故の後遺症により毎朝目覚める度に、前日までの記憶が失われてしまう特殊な記憶障害を負っている。夫のベンは、結婚していることや夫である自分のことすらも忘れてしまう彼女を、献身的な愛で支えていた。ある日、ベンの留守中に医師を名乗る男から電話がかかってくる。少し前から夫に内緒で、クリスティーンの治療にあたっているという医師は、「数週間、あなたは毎日の出来事をひそかに映像日記として撮影してきた」と言い、その隠し場所を告げる。そして、日記を再生したクリスティーンは、記憶障害の原因が、誰かに襲われて瀕死の重傷を負ったことだと知る。夫の言葉と違う医師の言葉。一体誰を信じればいいのか?クリスティーンは“昨日の自分からのメッセージ”を頼りに、謎を追っていくが、辿りついた真実は、想像もできないものだった。

人のアイデンティティーは記憶に基づく部分が大きい。ところが一日しか記憶がもたない彼女が徐々に真実を知っていくのだが、何がリアルで何かフェイクか、こちらも分からなくなる。彼女の"夫"により彼女の記憶は操作されているのだ。操作されて真実と思い込まされるとそれに感情は反応し、行動も乱れる。たとえそれがフェイクであってもだ。われわれも同じ。自分のアイデンティティーを記憶に基づいて確立する人は、あの者によって操作されて欺かれているのだ。自分はダメだ、自分は愛がない、自分は深刻な罪を犯した、自分は神から見捨てられた・・・・。これって、リアル?アブソリュートリー・ノーだ。

われわれのアイデンティティーは記憶によるのではない。真理による。すなわちわれわれは新創造、われわれは神の瞳のリンゴ、われわれの病はすでに癒されている、われわれのあらゆる必要は満たされている、われわれは神の子である・・・。自分はそう感じないと思う者はあの者によりマニュピレートされている。感じる・感じないは関係ない。聖書にそう書いてあるからだ。これがすべて根拠。天のサブスタンスは永遠の現在の事実。これが真理だ。繰り返すが、そのサブスタンスを、今、ここで、現すこと。これが信仰だ。この世はすべからくフェイク。真理はただ聖霊にのみ存在する。前に詠んだ漢詩を再録しておこう。

 
 
 

イエスはいつほふられたか?

先に創世記1章1節に、すでにイエスがコードとして埋め込まれていることを紹介した。この創世記1章1節の「初めには」は時間と空間と物質の始まりである。つまり神が物理的時空間を創造されたときであり、2節との間にはギャップがあることも紹介している。ちなみにヨハネ1章1節の「はじめに」は永遠のはじめであり、時間を超えている。永遠の現在としての「はじめ」である。

さて、イエスが十字架にかけられたのは紀元30年とか33年とか言われているが、要するにこの物理的時空間における時系列の中での出来事である。が、これは歴史的事実であり、真理ではない。真理とは天のサブスタンスであり、事実、黙示録にはこうあるのだ。

地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。-Rev 13:8

この「天地創造の時から」が何にかかるのか。KJVではこうある:

And all that dwell upon the earth shall worship him, whose names are not written in the book of life of the Lamb slain from the foundation of the world.

つまり、「ほふられた小羊」にかかっている。邦語訳では曖昧であるが、小羊は地の基が置かれる時からほふられていたのだ!もっと正確に言えば、「天地の創造のときの前には」の意味である("apo",Strong)。同様に私たちも天地の基が置かれる前から愛にあってきリストのうちに選ばれていた(Eph 1:4)。神はこの地、すなわち物理的時空間に拘束されていない。彼は天、すなわち永遠の現在である霊的領域のお方。イエスの十字架は天地創造のときにはすでにあったのだ。われわれもそこにいた。これが真理だ。そのサブスタンスが時系列的に現出したのがAD30あるいは33年の十字架である。

神の目にはすべてが終わっている。神の国は、すでに、今、ここにある。よくルークさんは理想論を言っているのであって、現実はそんな単純なものではないと抗議される向きがある。彼らは欺かれているのだ。聖書を物理的時空間における五感によって読んではならない。自分の経験をものさしにしてはならない。ましてや自分のオツムを判断基準にしてはならない。神を自分の心の慰みものとしてはならない。御言葉を弄んではならない。

あなたもわたしもその神の信仰のサブスタンスにすでに含まれているのだ。だからキリストと共なる死と復活が、今、ここにある。キリストがうちに住まわれる。これ自体がスーパーナチュラルな真理である。十字架は永年の現在に存在する神の金字塔である!

 

神の国の到来

しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。-Matt 12:28

神の国はすでに来ている。旧約では律法とレビ系祭司制度により、影あるいは写しとして提示されるだけだったが(=旧約は絵本である)、イエスが来られたとき、天は裂かれ、この物理的時空間に神の国は現出した(Col 2:17;Heb 10:1)。今、私たちのうちにそれはある。われわれの霊は神の国への門、ポータルであり、そこから神の国のサブスタンスがこの物理的時空間に現されるのだ。つまり私たちはこの世に生きてはいるが、この世の者ではない(John 17:14)。われわれは新生命体であり、世の人とは致命的に異なる次元に生きているのだ。このアイデンティティーを明確に持たないと、いわゆる罪ゆるされた憐れな罪人に過ぎないとして、「まずしく・きよく・ただしく・うつくしく」という三浦綾子の世界に生きることになる。

われわれはサタンや悪霊を恐れる必要はない。病気を恐れる必要はない。問題や困難を恐れる必要はない。十字架における勝利に基づいて、それらに立ち向かうのだ(James 4:7;1Pet 5:9)。いじめられっ子はその立場を自ら受け入れ、それをアイデンティティーとしているのだ。彼らはいじめっ子に立ち向かう勇気を必要とする。いじめの被害を受け続けてその中で成長するなどの考え方は自己憐憫的倒錯だ。神の取り扱い、トランスフォーメーションは栄光の中にあってなされるのだ(2Cor 3:18)。われわれはスーパーナチュラルな次元に生きている存在なのだ。

神の国の到来は、すなわち、いのち統治を意味する。God's Dominionをこの物理的時空間に確立すること。再建主義の富井氏もよく批判するが、いわゆるディスペンセイションでは神の国あるいは天の国はイエスの再臨によってもたらされるゆえ、現在の経綸では世はサタンの支配下にあるとする敗北主義に陥る。これは私も明確に拒絶する。神の国は、既にここにある!ゆえに何らの法的権利もないにも関わらず、この世を横奪しているサタンに対して、天の勝利のサブスタンスを突きつける必要があるのだ。お前には何らの権限もない、と。その事実はサタンの方がよく知っている。だからこういってやれば良い。お前が知っているとおり、お前は敗北し、すべてを剥奪されてさらし者とされている、と(Col 2:15)。

GOD'S KINGDOM IS HERE AND NOW!

この霊的サブスタンス、実体を、今、ここで、われわれが立証(現出させ)すること。これが信仰(Heb 11:1)。病気を受け入れ、いじめを容認し、困難や問題に甘んじ、自己憐憫に陥り、運命に翻弄され、人間関係に弄ばれ・・・、このような敗北主義を拒絶せよ。それらに向かって命じるのだ(Mark 11:23)。われわれはmore than conqueror、勝利者以上の者なのだ(Rom 8:37)。結局、それぞれが自分のアイデンティティーをどのように確立しているか、これがそれぞれの考え方や生き方に現れる。あなたは、わたしは、誰の国のオーラを醸しているだろうか?あなたは、わたしは一体何者か?終わりの時代、このアイデンティティーを明確に持たないと容易に欺かれ、ふるい落とされてしまうであろう。

注:よくヨブ記の例を引いて、神の取り扱いによりヨブは成長したとか、神はサタンにヨブを苦しめる許可を与えたではないかと言う向きがある。これはまったく違う。メッセでも語ったが、ヨブにはすでにサタンにつけ込まれる信仰の穴があったのだ。蟻の一穴からダムは崩壊する。彼は自分の恐れていた事が起こったと証言している(Job 3:25)。だからサタンはヨブに対する正当性をもっていたのだ。信仰によらないものはすべて罪だから。ゆえに神は許可を与えたのではなく、いのちだけは奪うなとサタンを制限したのだ。スピ系では「引き寄せの法則」とか言うが、ヨブは自ら恐れることによりあの禍を自ら引き寄せてしまったのだ。サタンにはすでに何らの権威もない。が、イエスの十字架と血潮の権威に頼らないとき、それは蟻の一穴となる。彼らに足場を与えてはならない。

Colin Urquhart - Live in the supernatural

英国KingdomFaithColin Urquhartもスーパーナチュラルに生きることを語り出した。鍵は私たちのWay of Thinkingのあり方にあると。クリスチャンのポテンシャルはわれわれの常識的なマインドをはるかに超えるのだ。これがジワジワと開かれてきている。終わりの時代、神は人々を整えている。小市民Dr.Lukeもどうやら目覚めさせられているのだ。これまでの生き方はすでに魅力を失った。天のサブスタンスを祈りで育てつつ、この地上にそれを現出させること、これはかなりワクワクすることなのだ。が、これがキングダム・リビング。この動きに乗り遅れないように願うものだ。

-Colin Urquhart - Live in the supernatural

 

マインドの刷り込み

クリスチャンが何ゆえにこれほど細々と分けられているのだろうか。日本基督教団から出ている「教派がよく分かる本」を読んだら、ますますわからなくなったのだ。これはひとえにマインドの刷り込みのためだ。要するに自分が福音を聞いたいわゆる教会の雰囲気とか伝統が「正しい」とマインドは思い込み、また一度刷り込まれるとそれから逸脱するものには脅威を覚えるようになるからだ。

極私的には下にリンクした出エジプトのルート、紅海の割れる地点、シナイ山の場所について、当初次のような画像が私のマインドに刷り込まれた。

ところが先のリンクによるとまったく違うようだ。シナイ山についてはパウロがこう言っている。

ハガルといえば、アラビヤではシナイ山のことで、今のエルサレムに当る。なぜなら、それは子たちと共に、奴隷となっているからである。-Gal 4:25

ここを私は日本語で、ハガルはアラビアの人たちが言うにはシナイ山のことである、と理解したのだ。ところが英語はこうである:

For this Agar is mount Sinai in Arabia, and answereth to Jerusalem which now is, and is in bondage with her children.

つまりハガルとはアラビアにあるシナイ山であり、が正解。彼はシナイ山はアラビアにあると明言していた!この場所には割れた岩が存在、その周辺に多量の水が流れて侵食された痕跡も見出されている。やはり日本語だけで理解することは危険なのだ。すると海が割れる場所も異なることになる。ロン・ワイアットの発見により、今のアカバ湾が正解のようだ。実際、海底にはエジプトの戦車の残骸や人骨も発見されている。つまりこの事件は歴史的事実なのだ!

どうもこの歳になり、人生の締めくくりを考えるステージに入って、信仰についても徹底的なオーバーホールを必要としている。あの12月に見たものは私の聖書との関係を変え、自分が何も知らなかったことを知らしめてくれた。富士山のガイドブックを理解してはいたが、富士山頂を見てはいなかったのだ。が、それを直に見てしまった今、天と地の狭間に生きる存在としての自分のアイデンティティーを意識し出した。そして神から賜ったものがどれほどのものであるか、それが次々に見えてきているのだ。

メッセージでも語ったが、NYで餓死したホームレスの寝床に一流会社の株券が何万株とあった喩え話がある。彼は日毎のパンを得るのに必死で、自分がすでに持っている紙切れの意味と価値、そして使い方が分からなかったのだ。これがクルシチャンの様だ。パウロは祈ってくれている。

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、 あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、 また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。-Eph 1:17-20

われわれがこのデュナミスの価値と使い方を発見することは闇の王国にはそれこそ脅威なのだ。だから彼らは躍起になってクリスチャンたちを自分のハッピーライフや悩みの解消や家庭円満、あるいは自己実現の追求に、つまりNYのホームレスの生き方に留めおきたいのだ。聖霊は今、目覚めよ!と私に語ってくれている。

 

エデンの園の蛇はどこから?

神が6日間で創造の御業をなされたとき、なぜか、すでにエデンの園にはサタンの化身である蛇がいた。その蛇はどこから?とのN君からの質問に、今度出す本に書いていると返答したが、まだ先になる。そこでネタバレしても、彼は本を買ってくれると思うので^^、ちょっとここで。ちなみにこのような地球が創造された初期の様子を解き明かした本としてはこれをお薦めする(現代のスピリチュアリズムのルーツについても説いている)。

 
 
 
 

ついでにVisualに解説しているCLIPも貼っておこう。N君にはとっても親和性があると思うよ!

-Cosmic Conflict - The Origin of Evil (AmazingFacts ©)

こういったトピを単なる神話とか、空想話と捉える向きが多いとは思う。しかし、それもそれぞれのマインドのキャパによるのだ。マインドがどのように形作られ、何を物差しとして、それだけの許容量があるか、それが問われる。これがそれぞれのフレーム化された世界、リアリティであって、人はその中で生きる限り、安心し、また自慢気にしておられる。が、神はあえてそのフレームを逸脱するのだ。主は言われた:

わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。-John 3:12

かくしてそれぞれの信じるところ、つまりはマインドが受け入れる度量に応じて、神の国を味わう度合いが変わるのだ。神の国はすでにリアルに、タンジブルに、この世界に到来している。ある人にはそれはリアルではないし、ある人にはおとぎ話であり、ある人には狂信となるだろう。そのサブスタンスをリアルに実体化するための鍵は何か。繰り返すが、マインドのトランスフォーメーションだ。

追記:これも面白い。

-Pre-Adamic Life: Did It Exist, and Is There Evidence?

 

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