クリスチャンが何ゆえにこれほど細々と分けられているのだろうか。日本基督教団から出ている「教派がよく分かる本」を読んだら、ますますわからなくなったのだ。これはひとえにマインドの刷り込みのためだ。要するに自分が福音を聞いたいわゆる教会の雰囲気とか伝統が「正しい」とマインドは思い込み、また一度刷り込まれるとそれから逸脱するものには脅威を覚えるようになるからだ。
極私的には下にリンクした出エジプトのルート、紅海の割れる地点、シナイ山の場所について、当初次のような画像が私のマインドに刷り込まれた。
ところが先のリンクによるとまったく違うようだ。シナイ山についてはパウロがこう言っている。
ハガルといえば、アラビヤではシナイ山のことで、今のエルサレムに当る。なぜなら、それは子たちと共に、奴隷となっているからである。-Gal 4:25
ここを私は日本語で、ハガルはアラビアの人たちが言うにはシナイ山のことである、と理解したのだ。ところが英語はこうである:
For this Agar is mount Sinai in Arabia, and answereth to Jerusalem which now is, and is in bondage with her children.
つまりハガルとはアラビアにあるシナイ山であり、が正解。彼はシナイ山はアラビアにあると明言していた!この場所には割れた岩が存在、その周辺に多量の水が流れて侵食された痕跡も見出されている。やはり日本語だけで理解することは危険なのだ。すると海が割れる場所も異なることになる。ロン・ワイアットの発見により、今のアカバ湾が正解のようだ。実際、海底にはエジプトの戦車の残骸や人骨も発見されている。つまりこの事件は歴史的事実なのだ!
どうもこの歳になり、人生の締めくくりを考えるステージに入って、信仰についても徹底的なオーバーホールを必要としている。あの12月に見たものは私の聖書との関係を変え、自分が何も知らなかったことを知らしめてくれた。富士山のガイドブックを理解してはいたが、富士山頂を見てはいなかったのだ。が、それを直に見てしまった今、天と地の狭間に生きる存在としての自分のアイデンティティーを意識し出した。そして神から賜ったものがどれほどのものであるか、それが次々に見えてきているのだ。
メッセージでも語ったが、NYで餓死したホームレスの寝床に一流会社の株券が何万株とあった喩え話がある。彼は日毎のパンを得るのに必死で、自分がすでに持っている紙切れの意味と価値、そして使い方が分からなかったのだ。これがクルシチャンの様だ。パウロは祈ってくれている。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、 あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、 また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。-Eph 1:17-20
われわれがこのデュナミスの価値と使い方を発見することは闇の王国にはそれこそ脅威なのだ。だから彼らは躍起になってクリスチャンたちを自分のハッピーライフや悩みの解消や家庭円満、あるいは自己実現の追求に、つまりNYのホームレスの生き方に留めおきたいのだ。聖霊は今、目覚めよ!と私に語ってくれている。