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Category: 信仰

We Are Pickles !

Soaking in the Spirit. これ、御霊に浸ること。今週のメッセではバイブレーションに浸ると言った。すると漬物のように神の霊が浸透してくる。Jeff Jansenは私たちはピックルスだと。これは面白い。彼のメッセ、おすすめ(終了とありますが、録画を視聴可能)。

-Jeff Jansen sharing secrets to moving in the Supernatural

最近の彼の証はこちらを。彼は元々はカトリックだったようだ。

-Jeff Jansen and Brian Guerin

こちらが彼を一躍有名(?)にした竜巻との対決。

-Jeff Jansen Rebukes Tornado

鍵は、叱ること!ガンも同じだ。先に紹介した末期ガンのご婦人は糖尿病も不眠も癒されてしまったとか。皮膚に出来ていた腫瘍も消失。炎天下で草刈をしても疲れないと・・・。こちらが無理はしないでとハラハラしてしまうほど。主のためにやり残した仕事を仕上げると燃えておられる。私は、ガンの癒しを祈ったのではない。ガンを呪ったのだ。そして腐れ落ちよ!と命じただけ。自分の体では数回経験していたが、他人の体に対する語り出された言葉(レーマ)のパワーを身を持って知った次第だ。

神の信仰を持て(原語)。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。-Mark 11:22-24

 

TODAY'S CELEBRATION 【Sep 06, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトル霊のバイブレーションに浸る

聖書箇所:詩篇19:4;45:8-9

9月13日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700

Web:Kingdom Fellowship

YouTube:Dr.Luke's  KF_Channel

※メッセの冒頭で紹介しているビデオはこちらをクリック

 

11月全国有名書店で発売予定

イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。


※先行注文の受付※

 本書は11月に全国書店で発売になりますが、著者割り当て分が100部あります。これは9月末から10月初旬には私の方に入荷されます。すでに70部ほど注文がありますが、ご希望者にはKingdom Fellowshipの方からお分けできます。オンラインショッピングからご注文ください。

 

宇宙はバイブレーションだ

これは霊的にも同じ。神の霊と私たちの霊の波動が共振すること。これがワーシップである。神は霊であるから、礼拝する者も霊と真理による。神はこのような礼拝者を求めておられる。いのちの霊のバイブレーションにリゾナンスすること。それはキリスト教などではないのだ!

その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。-Ps 19:4

この「響きと」は「弦」。バイブレーションだ。 神は言葉により宇宙を支えておられる。

果たして?

 

霊理学

物理学はもっとも成功を収めている学問であり、自然界の成り立ち、つまり法則をキレイに説明することができる。例えば、電磁波などはマックスウエルの方程式により、どのように伝搬するか、またいかに制御することができるか、人類は明確に知ることが出来る。それは電場と磁場の相互作用による。その相互作用のあり方が4つの方程式にまとめられているわけ。

が、ここで重要なこと。なぜこの物理的空間にそのような場が存在するかについては物理学自身は答えることができない。重力場にしても同じ。質量についても、ヒッグス粒子なるものが登場してきたが、ではなぜヒッグス粒子が存在するのか、それは不明。物理学は「いかに」について答えるのみで、「なぜ」には答えられないのだ。今流行ししているID理論のように、サムシング・グレイトが知的にデザインしたという他ない。彼らはそのアイデンティティーについて一切語ることができない。

まさにイエスはその方を説明するために、つまりロゴスなる存在が肉体を取られたのだった。自然界の法則を数学で記述することはされなかったが、神ご自身がいかなる存在であるかを説明された。わたしと父とはひとつである、わたしを見た者は父を見たのである、と。こんな発言をする輩は、普通は大ボラ吹きか、逝ってしまった人間だ。彼はラザロを蘇らせる時も、あえてデモンストレーションして、死んだ者に命じて、彼をこの世界に改めて引き出した。イエスは霊の世界のサブスタンスとその支配法則をつかみ、それを制御することができたのだ。

彼にとっては、私たちが果たしてこれは神の御心だろうか・・・といった疑念はまったくなかった。私たちがPCやスマホをいじるとき、正常に動作すると信じます、信じます、信じます・・・と念じつつ操作するだろうか?ノー!私たちはその電磁界の法則に則っている故に、大胆に、疑念もなく、当たり前のように使うのだ。これが信仰である。

さて信仰とは、願っている事柄のサブスタンス、見ていない事の立証である。-Heb 11:1(私訳)

私が言いたいことがお分かりだろうか?それは自分がどんな人間であるか、これまでどれほどの悪行をしてきたか、などなどに一切よらない。あるいは霊的であるとか、成熟しているとか、あれができるこれができるとか・・・。それは霊的世界の法則を使うことなのだ。が、その使い方にもレベルがある。例えば、X線写真を見ても素人は白黒の縞模様しか見えない。が、読影の熟練者はそこに医学的サブスタンスを見つける。それぞれの脳内に生じるリアリティーが異なっているからだ。あるいはPCやスマホを使えても、回路を設計することはできない。テレビも同じだ。

祈りもこれと同じ。ある者には目前の現象が白黒の縞模様に過ぎないが、同じ現象がある者には霊的意味を持つ。すると祈りの言葉も熱意も変わってくるであろう。イエスにとっては死はそれでジ・エンドでなかった。神の栄光を現すチャンスだったのだ。彼は霊理学を知っていた。しかもその使い方に熟達していた。これが彼のわざの秘訣だったのだ。そしてイエスは私たちにも同じことをなせと求められている。それはすなわち霊理学を知り、その使い方に習熟する必要を意味するのだ。

あなたがたはわたしと同じわざをなし、さらにそれよりも大いなるわざをなすであろう。-John 14:12

追記:最近の再建主義の富井氏の「ヨルダン川を渡る」シリーズは大変面白い。まことに同意する次第だ。ただし、プレ・ミレでは統治ができないとするのは何故か?彼の出会った"プレミレ"がそうだったのであろう。神の意図は統治。それは霊的領域を統治することから始まる。そのサブスタンスが物理的世界に現出することなのだ。罪、病、悪霊、貧困、不正義などをイエスの足の下に置くことだ。その際、必ずしも社会システムがモーセ律法による必要はないであろう。王政であれ、立憲君主制であれ、独裁制であれ、共和制であれ、帝政であれ、クリスチャンは常に勝利者、天に座しているからだ。

Coverが決定

アクティベーション(覚醒)の時

聖書を道徳、倫理、人生論、生き方論、古文書、歴史書、予言書などなど、いろいろな視点から捉えることができることは間違いない。が、それだけでは結局ポイントを外す。聖書はこの世のものではないのだ。つまり五感で理解できるものでは、本来ない。

しかし、聖書に書いてあるとおり、/「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、/人の心に思い浮びもしなかったことを、/神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」/のである。
・・・・
いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
・・・・
生れながらの魂の人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。-1Cor 2:9-14

魂は五感に服する。ゆえに、魂の機能である知性・感情・意志では理解できないのだ。私は今回の著書の中では明確に、信仰とはシックスセンスであると書いた。実は、これ、Meyerがへブル書11章1節の解説で指摘していた。彼は言う。

Faith is the sixth sense. It makes us as sure of unseen or future things, which we know about only through the divine Word, as we are of things which we can see and touch. When we are aware of the reality of these things, we naturally take them into account when we act.

さらに私はクリスチャンとは「霊の再生された者たち」、にとどまらず、新しい人類であり、ニュー・クリーチャーであり、ネオ・ホモ・サピエンスであると書いた。これについてはいろいろと刺激されて、キリスト教の業界においては物を言いたくてウズウズする人々が出るであろうと思っている。なんとか神学や、かんとか主義とかでオツムが凝り固まった人々は、まず自分のマインド・セットあるいはブリーフ・システムを防御する姿勢が先立つからだ。

今回は業界はまったく対象として考えていない。聖書を何も知らない人々に御言葉で直球勝負してみたいのだ。三つの出版社の編集者たちの感想は、かなりグッド。いわく、「日本人にとって聖書はほとんど未知の領域。解説本は山ほどあるが、どれも結局は何を言う書物なのか、分からない。ほとんど聖書を理解することは諦めているのが普通の日本人であろう。が、聖書の芯が見えた」と。白紙のオツムは幸いだ*1

聖書は、宗教の本ではない。生命現象の本なのだ。われわれはネオ・ホモ・サピエンス。そのうちには神の国が存在し、キリストを甦らせたデュナミスが宿っている。この力を経験的に見出すこと(Eph 1:18-19)。先に紹介した映画『ルーシー』と同様の経験をする存在がクリスチャンなのだ。クリスチャンが覚醒すること。アクティベーションだ。これはサタンにとっては脅威であろう。だから、セルフの中に眠らせておきたいのだ。そしてサタンはこれまでそれに成功してきている。しかし、時はかなり煮詰まっている。この終末の時代、覚醒できない者は容易に世の中に飲み込まれていくであろう。

*1:『不思議なキリスト教』なるポイントを外した本が、内容に初歩的な誤りだらけであるにも関わらず、30万部を突破することから、理解したいというニーズはあるのだろう。

シックスセンス-神の旋律

信仰は、結局、シックスセンスだ。五感を超えた経験。聖書は元々この世のものではない。それを五感で理解しようとすることから、いわゆるキリスト教がひねり出されたのだ。かつの私のようなアンチ・キリスト教も同じ。それは、したがって、フェイク。

私は御座に上げられた12月以降、内なるキリストのみでなく(この方はずっと親しみがあったが)、外におられる神が感じられるようになった。自然を見ても、都会のビル群を見ても、神を感じるのだ。神が皮膚感覚として感じられる。そして語りかけを受ける。今もこのディスプレイを見ているが、ふと目を上げると神を感じる。

聖書を五感で読む人々は、むしろ、悲惨である。そのフリをするだけだから。聖書を弄って、そこから教訓を汲み取って、正しい生き方を自演して、型にはめ込んで、あるいは型から外れようとして・・・・。嗚呼、キリスト教徒もアンチ・キリスト教徒も、目覚めよ!この世界を知れ!それがどれほどに素晴らしい世界であるかを!これを味わないのは勿体無い!

その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。-Ps 19:4

ここの「響き」とは"qav"、つまりコード、つまり弦である。要するに神の振動だ。「言葉」は"milleh"、語り出された波動。宇宙には神の霊の波動、旋律が満ちているのだ。これにより宇宙は支えられている(Heb 11:3)。WOW!これを感知する能力をわれわれは有している!

追記:宇宙は弦の振動であるとは現代物理学の超弦理論の主張するところ。聖書はBC1000年頃にすでにそれを語っていたのだ。

 

 

DNA Blessings!

先にトラウマがDNAレベルで継承される研究結果を紹介したが、このクリップでも同じことを指摘している。DNAレベルの傷も神は癒して下さり、DNAレベルでの祝福をくださると。まことにアーメンだ。

-David Herzog’s revelation of the "Courts of Heaven"

英語のリスニングがちょっとという方はトランスクリプト(pdf)をどうぞ。

DAVID: Yeah. Well DNA and blood has memories. So yes, it has memories of sicknesses, of sins.You see people that have broken homes because their fathers had it. But then what people don't realize, once you break the curse off your family life, you need to go back and say, now Lord, liberate all the blessings on my ancestors to me, the wisdom they had, the gifts, the talents, the abilities, the inheritances. When you start praying like that, suddenly things start to happen. Even abilities you did not have before that were dormant suddenly start to happen. You start to have business understanding. You learn languages very fast, natural gifts, spiritual gifts, amazing things.

すべて神のわざは栄光の中でなされる。礼拝とは栄光に入ることだ。そのとき立っていることができなくなる・・・。

祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。-1Kings 8:11

 

礼拝ではなく礼拝者を

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。-John 4:23-24

私は常々言っている。いわゆる礼拝で自分が気持ちよくなりたいという動機はポイントを外していると。私たちは礼拝を捧げるのであって、神はそのような礼拝を求めていると。その時に、声を出すこと。口を開けと、何度も何度も語っている。内にこもって"祈り"を念ずるのではない。祈りは天へと抜ける必要がある。そのためにセレブレーションにおられる霊なる神とその波動に私たちの霊が共振する必要があるのだ。そのとき栄光、カボド、つまり重さが私たちを包む。実は一昨日のセレブではその重さによって私は立っておれなくなった。マインドをシフトせよ。私は、私の、私が・・・メンタリティーから!礼拝ではなく、礼拝を求めていることは英国のColin Urquhartも説いているが、今回ちょうどBill Johnsonも語っている。声をあげよ、と!

-礼拝は崇高な召し

保険をかける霊的欺瞞

主は言われた、願うものをなんでも求めよ*1。わたしはかなえてあげよう、と。-John 14:13-14

これ、実はイエスにとっても私たちにとってもかなりリスクがあることなのだ。でしょ?メッセでも語ったが、しばしばクリスチャンの間で次のような"信心深い"発言が交わされる。

 ・自分がやれることはすべてやった。だから祈れば神様がなんとかしてくださることを期待しよう。
 ・私の家族に奇跡が起きることを見たいけど、まあ、神様は一番よくご存知だから、すべてがうまく行くと期待するだけ。
 ・あの大きな仕事の案件がダメになった。もう一貫の終わりだ、破産しかない。あとは奇跡が起こることを祈るだけだ。
 ・パパの病気は重いの。ドクターが今度はもうダメかもしれないって。ああ、召される時なのかも知れない。でも主が望まれるならし方がない。そう、ただ神様に信頼するだけ。
 ・ああ、神様、なんでこんなことに。でもわたしには分からないけど、ありのままの状況を受け入れられる力をください。

はて、どこが変なのかしらん?・・・と、これらの言にある欺瞞性が理解できない人は同じトラップにはまっているからだ。これらはすべて自己を守るためのカモフラージュ。どっちに転んでも自己が傷つかないように、と。

神の御旨は統治だ。私たちは

いのちにあってキリストと共に支配する。-Rom 5:17

あの悪霊に憑かれた息子の父親のように

信じます、不信仰な私をあわれんでください!-Mark 9:24

と叫ぶ人は幸いだ。

*1:「なんでも」とは「特異的に」の意味だ。つまり具体的に明確な対象を指す。祈りはできる限り、明確に、具体的に祈る必要がある。

フランシスとオバマの会談の意味

このSDAによる2012年のクリップは、9月に両者の会談を控えて、大きな意味を持っていると考えられる。視聴する価値がある。

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