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Category: 信仰

クオリアによるマトリックスを離脱するチャネル=フェイス

この画像をクリックして、黒いドットを30秒見つめてください(⇒ソース)。

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「色」などの感覚(クオリア)は大脳が作っている。われわれは大脳が作ったクオリアによって構成されたマトリックスをリアリティーと思い込んでいる。そもそも「色」はない! あるのは諸々の振動数の電磁波(光量子)だけ。まさに「色即是空」。

かくしてこの物理的時空間における五感によって感知される諸々の事象(Facts)はすべてマトリックス。それは真理(Truth)ではないのだ。御言葉のみが真理である。それを実体化するのがフェイスである。霊の再生によるフェイスによってのみ真のスピチュアル・リアリティーに生きることができる。

目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。-2Cor 5:7

この聖句の「よって」は"dia"、Strongによると

A primary preposition denoting the channel of an act; through (in very wide applications, local, causal or occasional). 

すなわちフェイスはチャネルなのだ。「目に見えるもの」とは"eidos"、すなわち

a view, that is, form (literally or figuratively): - appearance, fashion, shape, sight.

要するに「フォーム、構成されたもの、ここに現れているもの」を言う。私たちの経験はすべて五感によって構成される。これがフォームである。現代的にはクオリア。義人はこれによって歩まない。フェイスというチャネルを用いるのだ。それはすなわちスピリチュアルな世界あるいはサブスタンスを透視し、実体化する新しい能力シックスセンスである(Heb 11:1)。

フェイスの覚醒! 終わりの時代を生きるカギはコレだ!

終末のふたつの教会-40年前のWilkersonの預言

2011年、突然の交通事故で召された同氏の40年前の預言。終わりの時代にはふたつのスーパー・チャーチができると。背教の教会とスーパーナチュラルなエクレシア。私がこれまで訴えてきたことではないか、WOW! 

キーワードはやはり、スーパーナチュラル&オーガニック。それはこの五感を超えた世界のリアリティーに生きる者たちの集合体。人の手のわざが入らないオーガニックな存在なのだ(Mark 4:26-29)。いわゆる地域教会としていかなる形態を取るかとか、運営システムはどうかとか、そのような小賢しい人の要素は一切入らない。

このコントラストは実に興味深い。しかし、神はなぜデイヴィッド・ウイルカーソンを取り去られたのであろうか?

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マトリックスの内と外

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北朝鮮が、この5月、36年ぶりに労働党大会を開催する。TVでピョンヤンの住民のインタビュー場面があったが、彼らはけっこう盛り上がっているようだ。少なくとも2020年に向けたニッポン人よりは熱い。彼らを見ていてわかることは、彼らはチェチェ思想によって構成されたあの社会、つまり北朝鮮社会なるマトリックスに生きていること。その外側にいるわれわれにとってはある種の滑稽さを覚えること。

が、実はこれ、あまり他人ごとではない。私たちも、大して変わりないのだ。アダムのの結果、霊が死んだままこの世に生み出された私たちは、自分の身体と魂(思い・感情・意志)のみを用いて、この世をサバイバルしている。これが肉(flesh)だ(必ずしも肉体のみを指すのではないから注意!)。その過程において私たちはこの世はこんなんものだとか、人間の本質はこうだああだと、アレコレと五感を通して得た情報に基づいて内的なモデルを構成する。これが世界観や人生観だったり、哲学であったり、サイエンスであったりするわけだ。もちろんキリスト教も含まれる。いわゆる、社会系、人文系、自然科学系と学問は分類されているが、それらはそれぞれ社会の、人間の、自然のモデルである。

これを行うのが魂の主要な機能であるマインド(知性)だ。このときに、外部情報に歪みやノイズが入り込むとモデルも歪む。いわゆる人格障害の成因モデルである。かくして人はそれぞれの価値観や人生観に基づいて判断し、意思決定すると、行動として表出される。これがいわゆる行動科学的モデルである。

かくして私たちは戦後GHQにより与えられた価値観を基にした社会、つまりマトリックスの中で生きている。自由競争、適者生存、その結果富の偏在化は著しく、世界の富を63人の富豪が占有しているのだ。要するにこの地球なる環境がすでに人類のマインドが生み出したマトリックスであり(ここにサタンが大きく関わるのであるが)、この地的マトリックスに自らを適応させることが生存の術(すべ)となる。こうして私たちの肉(flesh)が構成されてきた。

この地的マトリックスに、ある時、神が肉体を取って介入されたのだ。ジーザスは神のサブスタンス(Heb 1:3)、肉体を通して現れ出た神である。これが敬虔(邦語では意味不明だが、Godliness;eusebeia)の奥義である(1Tim 3:16)。ジーザスは地的マトリックスの中で、フェイスによる生き方をデモンストレーションされた。天を裂いて、神の国を地的マトリックスに介入させたのだ(Mark 1:10)。ある意味、バイオレントである。それ以降神の国は激しく襲われているのだ(Matt 11:12)。

フェイスは地的マトリックスと真っ向対立する。ゆえにフェイスを自由に使うためには、第一にフェイスに覚醒すること;次に地的マトリックスに飼い慣らされているマインドの再構成が必要なのだ。そもそも地的マトリックスは神の霊から切り離された魂のマインドが、空中の権を持つあの者の示唆に基づいて産出したものとも言える。とにかくわれわれの内的再構成トランスフォーメーション/メタモルフォーシスが必要なのだ。これがなされるほどに、われわれは自分の置かれた状況や事態を、自分のマインドによる評価ではなく、キリストのマインドによる評価によって見るようになる。われわれはすでにキリストのマインドを得ているのだが(1Cor 2:16)、それに覚醒していない、あるいはそれが十分に機能していないのだ。キリストのマインドが機能するとき、フェイスが働く。そしてフェイスは神の国のサブスタンスをこの地的マトリックスの中に現出させる。ゆえに

今や、フェイスとは願うことのサブスタンス、見えない事柄の立証である。-Heb 11:1(私訳)

フェイスは神の無尽蔵の資源をこの地的マトリックスに現出させるのだ。かくして神の国のリアリティーに生きる人から見るならば、地的マトリックスの中で自分の資源だけでサバイバルしている人は、あたかも日本から見る北朝鮮人民のように見えるであろう。Are you with me?

おそらく脱北した人々は日本で生きることに相当の困難を覚えるであろう。マインドが"北"の形に構成されているからだ。これが再構成されるプロセスはけっこう苦しみがあるものと推察する。同じことがクリスチャンにも起きるのだ。神の国のリアリティーに生きることは、これまでの魂の形を否む必要がある。それはある種の自己否定を意味し、肉にとっては必ずしも安楽な事ではない。これが十字架の働きである(Luke 9:23-24)。しかし脱北者が"北"のマインドセットに閉じ籠るのであれば、彼には将来はない。同じことがクリスチャンにも言える。地的マトリックスのマインドセットから解放される必要がある!自らそれを否み、捨て去るならば、新しいマインドセットを得るのだ。それはキリストのマインドから生み出される。ゆえに

わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ-2Cor 10:4-5

要塞を破壊せよ!すべての思いを虜にしてキリストに服従させよ!フェイスはこのとき自由に働くのだ。フェイスによる生き方。この達人になることがわれわれの究極的目的である。なぜならジーザスは約束された。

よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。-John 14:12

SO BE IT!!!

Our Worship-When I Survey The Wondrous Cross

Our Worship-I See the Lord

私は通常、会場の皆さんを見ていない。ひたすら主のみにフォーカスしている。全体のアトモスフィアは背中で感じ取っている。霊の温度を感知できるのだ。何かの悩み事や病気の症状で圧迫されている人は凝り固まって霊が冷えている。それが分かる。逆に御霊のタッチを受けて解放され、その凝りがほぐれて、霊が温まってくるとそれも分かる。霊が全体を自由に流れるようになるのだ。

昨日はなんというか、みなさんから噴水が噴出しているような、あるいは温泉の源泉が開かれたような感覚を覚えて、背筋に電気が走るような感覚がした。霊の温度も高く、その流れが激しかった。主は確かに私たちの上にご自身のFavourを置いて下さっている。それぞれに抱えている重荷も主の元に下すコツが開かれるならば、私たちがなすべきはただ賛美と感謝しかないのだ。主の迫りが毎回激しくなっていることを覚えている。

Glory be to God!

TODAY'S CELEBRATION 【May 01, 2016】

タイトルオール・コンプリート

聖書個所:詩編105:37;エペソ1:23;5:27など

5月8日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700

WebKingdom Fellowship

YouTubeDr.Luke's Kingdom Fellowship Channel

ApplePodcast:Kingdom Fellowship Celebration

※お詫び:巻物は口に甘く、腹に苦いですので、ヨロシク!

セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。

全国有名書店で発売中

 
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イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

●11月に一般の100書店に配本され、2月に別の100書店に配本されました(⇒書店リスト)。また紀伊国屋では1年間常備されます。書店に直接注文していただけますと在庫を増やしてくれますので、よろしくです。こちらの注文表をお持ちください。なお、出版社の在庫があとわずかとなった模様です。

●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●読書メーター感想:読んでも意味がわからなかった聖書がなんとなくわかった。聖書の読み方が変わった。

日本とユダヤの関係

ミレニアムの富井氏が紹介していたクリップ。オモシロい!

(続)癒される人・癒されない人

この厳粛な差はどこに由来するのか? これまでの経験からの事実をまとめてみると―

今回の方は以前に、やはりガンで亡くなったある姉妹から受ける雰囲気や印象と非常に似ていることに気がついた。両者ともとても育ちがよく、従順、教育程度も高く、医師の言うことがよく理解できて、自分でも自ら学んで医学的知識を持っておられる。自分が処方されているクスリも実によく知っている。常識をよくわきまえており、気配りもできる普通の社会人としてはまことに模範的。要するに状況に自ら適応する傾向が強い。

対して末期ガンや難病が癒された人たちの場合、いわゆる模範的社会人像からはかなり外れている。末期ガンが癒されたご婦人などは病院に行かず、患部を自分で切開して膿を絞り出しておられた。難病がふたつ癒された兄弟などは社会的には完全に破綻していた。前にも書いたが、韓国のある姉妹は2010年に肺に5センチくらいの腫瘍があり、胸水も貯留していたが、なんの治療も受けずにいまだに元気である。当時、私は彼女のX線写真を見せられてかなり驚いたものだ。

英国のKingdom FaithColin Urquhartも2002年ごろに胃ガンを患った。一時はビデオで見ても衰弱が著しく、もうダメかと思った。癒しの務めは彼のミニストリーの重要な部分なのだ。が、彼は完全に癒されて、今もなお主にあるミニストリーを継続している。

一方、私が学んだJohn Mckeyは2001年にガンで召された。彼は元々神学者であり、大学の講師もしていたが、Colinと出会っていわゆるオツムだけの「信仰」から解放され、大学も辞して、Colinと共にKingdom Faithの主要なコース"The Way of the Spirit"を運営していた。彼の著書は文体もペダンティックであり、一読して学者のものしたものと分かる。対してColinのものは英文も簡単。

もちろんColinもKings Collegeを出て、聖公会の地区牧師であったが、70年代に組織に頼る働きに限界を覚え、巡回説教者として自立、現在に至る。そもそもKingdom Faith Churchが設立されたのは93年。それまではミニストリーのみだった。89年ころ、偽預言者がColinの働きは終わったと宣言して、それを信じた者たちが彼の元を去り、12人だけが残った。ほとんど存続が危ぶまれる事態に陥った。が、その後彼の働きは大いなる祝福を受けている。死と復活の原則を経たのだ。私は90年から彼の下に入った。

話を戻すと、ColinとJohnの差はどこにあるのか?

この世界には波動が満ちていることは私の『神の新創造-聖書が啓示する自然法則を超えるマインドのパワー』でも指摘している。神のバイブレーションと言葉(ミレア)は全地に満ちるとある(Ps 19:5)。一方でサイエンスとか人間の言葉、さらには敵の言葉のバイブレーションも満ちている。それらはちょうど電波と同じなのだ。この世界には諸々の周波数の電磁波が混在している。霊的には普通の人は神のレーマを聞くことはできない。なぜ? センサーとしての霊が死んでいるから。が、空中の存在による影響は受けている(Eph 2:2)。人のマインドは霊の世界と物理的世界の接点にあるからだ。

一般的に、従順で、教育程度も高く、常識的な人のマインドがどちらに共鳴し易いかは言うまでもない。つまり癒しを受ける人と受けない人の差はマインドの構造による部分が大きいのだ。医師の診断と御言葉の診断のどちらにより容易に共鳴し得るか? カギはここにある。ゆえに主は言われた-

あなたがたはどう聞くかによくよく注意しなさい。-Luke 8:18

フェイスは聞くことから、聞くことはキリストの言葉(レーマ)による(Rom 10:17)

癒しを受ける人はみな自らこのレーマを聞いている。別に私が祈ったからとか、誰かのミニストリーを受けたからではない。彼ら自身が聞いているのだ。そして分かる、あ、自分は癒された、と。それがフェイスの瞬間、つまりレーマにチューニングされるのだ(⇒信仰と希望について)。これをもっとも阻害するのが、恐れの霊である。ゆえに主は繰り返し、「恐れるな」と言われたのだ。

癒しは希望によるのではない、フェイスによる。フェイスは願うことのサブスタンス(Heb 11:1)。希望からフェイスに突き抜ける瞬間があるのだ! そしてこれはそれぞれのマインドの構造によって、タイミングも、程度も、状況もまったく異なるものとなる。ある意味で、肉体の病状の進行とフェイスへの突き抜けの競争となるのだ。

カギは何か? 繰り返すが、レーマにチューニングされること。そのためには

あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、思い(原語)を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。-Rom 12:2

マインドが世に倣うほどにフェイスを失う。世とは別に六本木のディスコを言うのではない。高尚なサイエンスや学問や思想などすべて神の言葉に対立するものである。私たちのサブコンシャスのレベルにはそのようなサタンの要塞が構成されている。私はこれを「霊感情観念複合体」と呼んでいる(⇒サタンの要塞について)。ゆえにパウロはこう訴えるのだ。

わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ・・・-1Cor 10:3-5

マインドの再構成(メタモルフォーシス、トランスフォーメーション)フェイスの覚醒。今回の件を通して、このプロセスがさらに触媒されたことを感じている。

癒される人・癒されない人

この厳粛な差は何によるのであろうか?

すべての人を偽りとしても神を真実とせよ。-Rom 3:4

本日、ガンを患っておられたある方が召されたと連絡をいただいた。半年くらい前に癒しを祈ってほしいと言って来られた。かなり前の原発ガンの再発ガンで、すでに末期状態にあったが、お話を伺ってとにかく共に祈った。昔の私はそのような関わりは避けていたが、今はとにかく逃げることはしないで祈る。私はいわゆるフェイス・ヒーラーではないし、かつては癒しのフェイスもなかったのだ。とても主に対して開いている方で、忠実に祈られた。兄弟姉妹と共に手を置いて祈ったりもした。手を置いた際、主の愛が迫り、主がこの方に触れたいと願っておられるのはよく分かった。

が、極私的には腑に落ちない感覚が残ってしまった。手ごたえがないのだ。何かが抜けない。先に紹介した末期ガンが癒された老婦人の場合、ガンの霊に対する明確な手ごたえを感じ、癒されたことが分かった。今回はそれがなかった。ある姉妹に、状況を聞かれたとき、首をかしげてしまった自分をいぶかしがった。癒されたと言い切れない内的感覚に自分自身が当惑していたというところが偽りのない本音だ。マシュマロに向かっているような、ざるに水を入れるような、あるいは自転車のスタンドをしたままペダルをこぐ感覚だった。このもどかしさは何なのだろう?

あるときには強い不安に襲われて急遽電話して来られた。その際は恐れの霊に向かって命じたところ、ああ、心が温かくなり、楽になりましたぁ、と脱力したように言われた。霊に対する手ごたえを私も感じた。それが私との最後の会話となってしまった。その後もずっと気になっていたが、先に感じた違和感はそのまま残っていた。実は理由が不明のまま、今週はブログを書く気持ちがまったく出なかった。が、本日、それが明らかになった。その方は主治医から余命3カ月と宣告されて、もの凄い恐怖感に囚われておられたと言うのだ。その恐れを無防備に受け入れてしまっておられたのだ。それはちょうどピストルを向けられて手を挙げてしまった状態と言える。つまり恐れにサレンダーしてしまっておられたのだ。これが手ごたえのない理由と分かった・・・。結局、主治医の宣告どおりの結果となってしまった。

その最期の時期に少しでも関われたことは主の配剤であると思うが、極私的には非常に悔しさを覚えている。私自身、もっと徹底的に恐れの霊と対決すべきであったと感じている。ガンの発生は事実ではあるが、決してサイエンスの診立てを無防備に受け入れてならない。恐れの霊はそれをチャネルとして侵入する。一度侵入を許すと追い出すのは非常に困難になる。特にガンのような目に見え、感覚に訴える、明確な症状がある場合、サタンはそれを証拠として執拗に突き付けてくる。イエスの十字架の効力を否定するために・・・。現象は事実(Fact)だ。しかし、それは真理(Truth)ではない。真理は、イエスの打たれた傷により私たちは癒されたのだ(1Pet 2:24)。

この方は激しい痛みに責め苛なまれておられた。それに対するオピオイドの副作用、加えて放射線による神経の損傷が原因の腕のマヒにも苦しんでおられた。私たちの肉体はガンダムスーツのようなもの、いずれ誰もが脱ぎ捨てるものではある。これをわがフェイスの欠如の言い訳や自己憐憫としたくはないが、この方もその物理的なスーツの苦痛からは解かれて、今、主の御元で休んでおられる。今はただ、ご家族の上に聖霊による平安と慰めがあることを祈る次第です。主を賛美します。

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