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Category: 信仰

霊の戦いの一環か?油まき事件

全国の神社などに油をまいた人物は米在住のニッポンキリスト教でもけっこう有名、社会的にかなりの肩書きを持つ医師のようだ(あるメージャーな雑誌記者からの情報による)。私もメッセージのCDをもらったことがある。名前からすると在日系かなと思えるが、いわゆる「霊の戦い」系の方だ。多分、神社などの偶像礼拝を聖霊を予表する油で清めようとしたのであろう・・・。

が、ちょっとちょっと、だ泣き顔 こういった行為を「見当はずれ」、「ハマルティア」という。やれやれ。これでまた主の御名が棄損されることになる。極私的には神社とか寺を好む私にとっては、クリスチャンとしても迷惑なことをしてくれた、とやや呆れる次第。ISなども文化財を破壊しているが、何気に同じ臭いを醸しているわけ。ちなみにISの蛮行に憤ったキリスト教徒の戦士がISの捕虜の首を切断したとのニュースも流れている。ISが斬首しても当然的な見方がされるが、キリスト教徒が、となるとメディアなども一挙にここぞとばかり騒ぎ立てる。あたかもイエスを信じないことを正当化できるかのようだ。

まことに時代は終わりの時代。福音をいかなる形によってにせよ、とにかく貶めること。これがあの者の策略である。真理を無効にはできないゆえ、ひとりでも自分と同じ運命に連れ込みたいのだ。一神教は危険であるなどと、したり顔の評論家もまた出てくることであろう。

追記:この方を支援する関係者の情報によると、オリーブ油を注いで祈っているところが監視カメラに記録されていたらしい。故意に文化財を棄損しようとしたものかどうかは不明だとのこと。

追記の追記:いつものミレニアムの富井氏によると、韓国の憲法には日本を出し抜き、貶め、優位に立つことを明確に謳っているとのこと。統一協会の教義やチョウ・ヨンギの純福音教会などにも言えるが、韓国人の集合的無意識の中にはアンチ日本のメンタリティーあるいはスピリットが存在するのではないだろうかと思ってしまう。日本を愛すると言いながら、実は日本に対する復讐を深層心理では意図しているかのようにも思えるのだ。もちろん、純粋に日本を愛してくださる方もいることは知っているが・・・。

 

エクソシズム(悪霊追い出し)の実際

このビデオは必見、エクソシズムの実際。

-Bob Larson Exorcism Video

TODAY'S CELEBRATION 【May 31, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトルソウル・タイ(魂の癒着)を断つ

聖書箇所:マタイ10:34;1コリント6:16;1サムエル18:1など

6月7日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700
 ・Web:Kingdom Fellowship
 ・Youtube:Dr.Luke Channel

デゥナミスを知る

神の国はロゴスにではなく、デゥナミスにある(1Cor 4:20)。Dunamisは力と訳されているが、これも日本語の世界で考えてはならない。もっと豊かな意味を持っているのだ。Thayerによると

Thayer Definition:
1) strength power, ability
 1a) inherent power, power residing in a thing by virtue of its nature, or which a person or thing exerts and puts forth
 1b) power for performing miracles
 1c) moral power and excellence of soul
 1d) the power and influence which belong to riches and wealth
 1e) power and resources arising from numbers
 1f) power consisting in or resting upon armies, forces, hosts

しるし・不思議・奇跡・癒しなどをなす能力はもちろんであるが、魂のエクセレンスと富と豊かさを得る能力も含まれている。私たちの魂は生きてきた過程において、不健全なSoul Tie(魂の結びつき)や傷によって、魂のエクセレンスを失っているのだ。私たちは霊がスーパーナチュラルに再生された新しい創造である。が、この魂は旧い体の一部である大脳とリンクしている。いつも私が言う大脳辺縁系の問題を抱えているのだ。これがクリスチャンの抱えるあらゆる葛藤のルーツである。この魂がエクセレンスを得るほどに、私たちはあらゆる領域で繁栄することができる。ヨハネが祈るとおりである。

あなたがたの魂が繁栄しているように、あなたがたがあらゆることで繁栄し、健やかであるようにと祈る。-3John 1:2

私たちはすでにキリストのマインドを持っている(1Cor 2:16)。が、私たちの旧い大脳の影響により、キリストのマインドが私たちの魂のうちに広がらないのだ。そこでもろもろの問題や病気や欠乏を抱えたとき、旧いマインドの反応をせざるを得ない。私たちはキリストと共に天にいるのであるが、その天的御座からの見方・考え方ができないのだ。こうして袋小路に自分を閉じ込めてしまう。キリストが見るとおり、考えるとおり、私たちの魂の中でキリストのマインドが展開するならば、私たちは常にあらゆる恐れ・不安・葛藤・絶望・無価値感・欝・自己疎外感・焦りなどなどから解放される。ゆえにパウロは勧めている。

兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき理性的な礼拝である。あなたがたは、この世の形に形作られてはならない。むしろ、思いを新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。-Rom 12:1-2

まず、なすべきは体を捧げること。これが理性的な礼拝。その後にマインドのリニュアルによってトランスフォーメーションされる。なぜか。この体が旧い創造に属するから。よって体を主の御手の下にまず置く必要がある。こうして魂がエクセレンシーを回復されればされるほど、私たちの魂は繁栄し、あらゆる領域で繁栄する。体・魂・霊のすべての相において健やかにされる。これが主観的ホーリネスだ。

神のデゥナミスはこれを可能にする。

このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの栄光(原語)は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。あなたはわたしのたましい(原語)を陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。-Ps 16:9-10

追記:魂のマインドで何を考えるかはきわめて重要。私たちの存在を決定するからだ。箴言に次のようにある(邦語訳はいつもどおり不適切)。

For as he thinketh in his heart, so is he:(彼はその魂で考えるとおりの人間だ)-Prov 23:7

ここの「心」とある部分は正確にはnepheshであり、魂が適切。この場合、思いは人格として実体化されるのだ。私たちのマインドのパワーのひとつの証明。

 

イエスの勝利の秘訣

わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。-John 14:30

邦語訳はしばしば真理を棄損していることは何度も指摘している。ここもそのひとつだ。大抵の邦語訳は「なんの力もない」とか「何もできない」とか訳している。が、これは違う。KJVでは"he hath nothing in Me."だ。つまりイエスのうちにはサタンにつけ込まれる要素が何もなかったのだ。私たちもサタンに足場("topos";Eph 4:27)を与えてしまうと、キリストが十字架で勝利されたにも関わらず、その効果を奪い取られることがある。この足場はもろもろの肉的な罪や、プライドや、怨みや、嫉妬・妬み、競合心などだ。

イエスの内にはそれらの要素が何もなかった。ゆえに彼は精神的に辱めを受け、肉体的には苦痛を受けたが、彼はいわゆる傷つくことがなかった。私たちが人から中傷されたり、裏切られたりして、傷つくのは、実は自分の中にすでに足場があるからなのだ。自分に害を加える相手と同じ要素をすでに自分が持っているから、そこを突かれると傷つく。学歴にコンプレックスを持っている人も、学歴を誇る人も、実は同じ物差しを持っている。だからどちらも学歴に関する何らかのマイナス評価を受けると傷ついてしまう*1。自分をその学歴という価値観の上に立て上げているからだ。かくして劣等感も優越感も実は同じことの裏表であると分かる。

イエスに対してあらゆる誹謗中傷を加えようとも、彼は決して傷つくことはなかった。彼の物差しはこの世のものではなく、彼のアイデンティティーも地のものに置かれていなかったのだ。まことに彼の内側には世のものも、サタンもつけ込むことができなかったのだ。だからサタンがなしえることは彼の肉体を滅ぼすことだけだった。しかしそれが逆に新創造を生み出してしまった!

私たちが魂を否む必要があるのは、このことのためである。魂が何を自己存立あるいは自己価値の根拠としているか。それが問われるのだ。魂を救おうとすれば、それを失う。失えば、魂の救いを得るのだ(Luke 9:22-23)。主はあの富んでいる者に言われた。

そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。 すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。  自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。-Luke 12:16-21

これは決して富を蓄えるなと言っているのではない。魂の存立の場をどこに置くかを問うている(Luke 12:34)。魂を世の価値観によって担保しようとすれば、それを失う。が、魂を天の価値観によって担保すれば、それは救いを得るのだ。だからヤコブは言う:

心に植えつけられている御言(ロゴス)を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。-James 1:21

こちら側にサタンの足場があるままに、いくら「悪霊追い出し」をしたところで、効果はない。同じものを持っているのだから。HE HAS NOTHING IN ME! -私たちが真にそう言い切れたとき、勝利は自ずと私たちのものとなる。

*1:この現象をある人々は"Soul Tie"と呼ぶ。魂が霊的領域で粘着しているのだ。ダビデとヨナタンはポジティブなSoul Tieを得ていた。

God's Favour

単純に神の愛顧に与ること。このような素直さが信仰の本質にあるのだ。が、ニッポンキリスト教に満ちている嫉妬と妬みの霊によって、このような証はいわゆる「繁栄の神学」などとして貶められている。彼らは表向き「正義」を装うが、その深層にはあるのはカインの霊。しかし、聖書の原則は「富んでいる者はますます・・・持っていない者は・・・」なのだ。極私的にはアベルの霊あるいはイサクの霊に与る者である。今、大いなるサブスタンスを練り上げているところだ。

Pete Cabrera Jr の証

彼は元ドラッグ・アディクト。今や、彼の周りでは日常茶飯事のように癒しがなされている。神の国のリアリティ(Kingdom Reality)をアクションによって証明する彼のミニストリー。Joel Osteenのハイソなイメージとは真逆で、集まる人々もソレ系だ。

-Royal Family International

ユダヤ人の秘密

わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される-Gen 12:2-3

信仰による癒し

前から指摘しているとおり、このテーマはきわめてセンシティブで、感情的な反応が出る。ある人は、癒さないのは信仰がないと言うのか、と憤る。それはこの物理的時空間の中での経験をみて、それによって判断しているためだ。そして信仰は自分の何かによると思っているからだ。真理は、つまり御言葉は

さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。-1Pet 2:24

この霊的サブスタンスを得るならば、つまり信仰を得るならば、物理的時空間にあるこの肉体に癒しが起こる。これは癒されない人がいる事実によって否定されることはない。なぜなら十字架の罪の赦しと病の癒しは永遠の現在にある不変のサブスタンスだから。この点、目に見える事実で、今日は癒しはないと結論することは大いなる損失。なぜなら神の言葉を否定するからだ。肉の思いは神に敵対するからだ(Rom 8:7)。そこで癒しの可能性はまったく消える。

しかし、この信仰を使うこと、あるいは信仰を解き放つことは、私たちのマインドの状態と密接に関係する。私たちは目の前の事実によって感情がクラッシュし、とても立てない状態に陥るからだ。これが肉の弱さだ。信仰を用いるとか言われても、魂は応答できなくなる。これは事実だ。イエスですら、ラザロの死に対して涙を流された。私たちはこの肉の弱さの中に制限されている。これが現在の経綸。イエスもそれを身をもって知ってくださっている。

しかし、騙されてはならない。信仰は本来肉の弱さを超える。ここで自分の確信とか、自分の感覚などと、信仰はまったく異なることに気がついた人は幸いだ。自分がもっとも弱くされている時にこそ、信仰は働く。いや、自分で働かせた意識もない。聖霊が語るのだ。それをただ聞くだけ。自分でアレコレするのではない。ただ聞くだけ。するとそのとおりになるのだ。信仰は私たちの肉の弱さの中で自由に働く。鍵は、ただ任せること。今、私が語られている言葉は、「トラスト・ミー」。

神の語られた言葉(レーマ)には不可能なことはありません。-Luke 1:37(原語)

イエスは私たちの弱さを知らない方ではない。十分知ってくださっている。が、そこに同情するだけではない。同情はその状態を肯定し、その人のアイデンティティーをそこにとどめおくことになる。彼はあわれみをもって、そこから引き出して下さる。同情(シンパシー)は力を生まないが、あわれみ(コンパッション)は力を生む。イエスの言葉を聞くことができれば幸いだ

病気のルーツ

これは神ではない。罪と死の力を持つ者からだ。私たちを砕くために神が病気を送るとか、私たちの人格を造り変えるために病気にならせるとか、病気の中で私たちを鍛えるとか・・・。下の無神経なしたり顔のコメントから分かるとおり、宗教の霊はこういった考え方をする。根拠はヨブ記だ。ヨブは自分を正しいと主張し続け、自分の正当性を訴えた。が、最後に神の峻厳に触れ、自分を退けて、塵灰をかぶって悔い改めた。そしてありがたくも見当はずれの助言をしてくれた友人たちのために祈ると、神は祝福を二倍にされた。宗教の霊はヨブの経験を私たちにそのまま適用するのだ。

が、大切な点は、これは十字架の前の事件であること。今やキリストにある者は新しく造られた者、新創造なのだ。ヨブとはまったく違う。そのためにイエスが十字架で砕かれてくださったのだ!十字架の適用についても言えるが、すでにキリストとともに復活した新しい創造に対して十字架を適用するのは見当はずれだ。私たちがそれぞれの十字架を負うのは、古い魂の、特にマインドが新しいスーパーナチュラルな領域の法則や資産を経験することを妨げるからだ。

イエスの十字架を見るとき、私たちは神の愛を知る。しかしイエスはいつまでも十字架についてはいなかったであろう!彼は復活したのだ。イエスの復活は神の力、ドゥナミスを見ることができる。このデュナミスによって生きることのために、十字架が必要なのだ。それは生まれつきの魂のエネルギーを死に渡すため。十字架教から解かれよ!復活の力を味わえ!パウロはそう祈ってくれているのだ。造り変えは前にも書いたが、栄光の中で行われるのだ。三浦綾子の霊や宗教の霊から離れよ!神が私たちに願われるのはドミニオン、統治だ。病気を、貧困を、困難を、治めよ!神の国はいのちと統治。宗教の霊はもっともらしい聖書の解き明かしや教えによって狡猾にこれを阻害するのだ。

地を従わせよ!」-この神の命令の意味を知る必要がある。(ここで再建主義は勘違いをしているのだが・・・)

ネタニヤフ、2国家策を受け入れ

この記事はちょっとやばいかも。2015年、これで和平交渉が成立とかすると・・・。

-Netanyahu renews support for two-state solution with Palestinians

Netanyahu said: "We want a peace that would end the conflict once and for all ... I don't support a one-state solution, I don't believe that's a solution at all, I support the vision of two states for two peoples."

 

背教か、離脱か?

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。-2Thess 2:3

2014-2015年にかけて日食や月食がユダヤ教の祭りと重なるとのことで、2015年9月から最後の7年に入ると主張する向きが増えている。そこで携挙が近いということになる。私は主の再臨が千年期前にあるとのパラダイムに立っている。下に紹介したチャック・スミスのカルバリー・チャペルも同じ。再建主義によれば、こ説はイルミナティの陰謀による。

次に、携挙がいつか。私は艱難前説は採っていない(そうであればいいなと願ってはいるが・・・)。これは前から触れているが、黙示録4章のヨハネに対する「上ってこい」を携挙とは見ていない。それともう一つ大切な点がこのテサロニケ。ここにある「背教」と訳された単語は"apostasia"、これを「離脱」と解する人々がいるのだ。実際、初期の訳の多くが「離脱」としているようだ。この場合、離脱すなわち携挙が起こってから不法の人、つまり反キリストが出現し、主の日がくるというタイムテーブルになる。パウロは何を思いつつこの単語を用いたのか。

いずれにしろ、私たちの希望は携挙にあることは間違いない。

追記:富井氏によると「世界の教会がタルムードユダヤ化されてしまった現状を打破するには、われわれの意見を聞くべきだと思う。しかし、まだまだ理解する人は少ない。というか、ほとんどいない。」とのこと。しかし主権者たる神がこんな状況を許されるのだろうか?これが真相とすると、私などは最初からJ.N.ダービーやスコフィールドを当たり前に受け入れてきているから、見事にイルミナティの陰謀にハメられたことになるのだ。まさに巨大なフェイクを見せられているわけ。うーむ。

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