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Category: 信仰

キリスト教とスピ系

新宿の紀伊國屋書店などでキリスト教関係書籍のコーナーを見るとわかるが、何とか神学や、社会とキリスト教がどうのこうのとか、要するにスピリチュアルな要素がほとんど削られたものばかりだ。今日、若者たちがスピリチュアルなものに関心をいだく傾向があるが、彼らの内的欲求を満たすことができていない。そして傍にはいわゆる精神世界や新宗教などのスピ系の本が並んでいる。いかにも彼らの食欲にそそるオーラを醸している。こうして「引き寄せの法則」とか「願望物質化の法則」などのニューエイジ系が跋扈する。しかし、それらはすべて聖書がルーツなのだ。本家が社会に媚びるためにスピリチュアルな要素を排除している間に、ニューエイジ系は見事に人を獲得している。霊的領域とその存在は明らかに生きているのだ。パウロはこう言う:

それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者であった。-Gal 4:3

このビデオ・クリップは代々ブードゥー教の家計からクリスチャンになった人物の証。リアルに悪魔のポータルを証言している。

-「魔術師からクリスチャンへ」アースクウェイク・ケリー

対して、こちらは神の国のポータルを証する。前にも紹介したが再度。彼は45分間の死亡状態から蘇生したばかりでなく、心臓病の遺伝子を取り除かれたと証言している。これらはメディカルにも証拠づけられている。

-「国連総会にてストーンキング師、死からの蘇りと癒しを証」

神は生きている。要するにこの物理的時空間には神の国とあの者の国が侵入し、あちらこちらのポタールが開いているのだ。彼らの魅力と力は強大だ。が、

子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。-1John 4:4

すでにキリストは勝利し、そのキリストのうちにわれわれは置かれ、キリストはわれわれの内にいます。つまり、私たちはすでに勝利者以上の者なのだ。クリスチャンがスピリチュアルな世界と真っ向から関わり、キリストが何をなされたか、また何をなされるかを明確に証するべき時代なのだ。

 

 

TODAY'S CELEBRATION 【Jun 07, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトル神のフレーム化に生きる

聖書箇所:ヘブル11:3;箴言2:23-33;エレミヤ33:3など

6月14日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700
 ・Web:Kingdom Fellowship
 ・Youtube:Dr.Luke Channel

信じる者には

何でも可能である。これはイエスご自身の言葉だ。これをいわゆる励ましの言葉とか、何かの喩え話とかとらえるのが普通だ。それは私たちのマインドのフレームの制限の中に収めようとするためだ。しかし、それはイエスを偽り者とすることになる。イエスはその通りのことしか語らない。彼は神であるから。「私はある」とイエスは明確に言われたのだ(John 8:24)。もし彼が偽りを語ったのだあれば、あるいは単なる文学的表現をしたのであれば、宇宙は崩壊する。万物は神のレーマによりフレーム化され、今もなお、イエスはご自身のレーマをもって万物を支えているのだ(Heb 1:3)。

ゆえに御言葉はそのまま受け止め、そのまま信じるに足りる。では、なぜ、すべての人が癒されないのか?ある人が、癒されないのは信じないからだと言うのかと、抗議されたが、今回、明確に言おう、そのとおり信じていないからだ。自分は信じたのに癒されないとか言う人は、神の言葉より自分の「信じたこと」や経験を上位に置いている。そのこと自体が信仰の欠如を証明しているのだ。これは非難するために言うのではない、神の前にへりくだり、真のあわれみに与って癒しを受けて欲しいからだ。自分自身のうちにある高慢に気が付いて欲しい。

いつまで浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち、不遜な者は不遜であることを好み、愚か者は知ることをいとうのか。立ち帰って、わたしの懲らしめを受け入れるなら、見よ、わたしの霊をあなたたちに注ぎ、わたしの言葉を示そう。-Heb 1:22-23

浅はかな者も、不遜な者も、愚かな者も、みな、その自分に愛着を覚え、好み、あえて知ることをいとうのだ。つまり、自分でそれを選択してしまっている。しかし、叱責を受ける者は神の霊を受け、言葉を示される。この言葉はdabar、Strongはこう言っている:"by implication a matter (as spoken of) of thing"と。つまり単なる話されて消えゆく言葉ではなく、マター、実質、物質、存在そのものなのだ。もっと言えば、ヘブル11:1にあるサブスタンスだ(Heb 11:1)。この部分は本日のメッセでは時間がなくて十分に語ることができなかった。次回、改めて語る予定だ。神の霊を受け、言葉を示されることは、サブスタンスを得ること、そしてそれが実体化することなのだ。Are U with me? 

不可能とか、限界とか、もうダメだとか、どうして良いか分からないとか、道を見失ったとか・・・これらは実は高ぶりによる。この究極が自殺だ。これは人間のプライドの裏返し。究極の罪である。なぜ。自分のフレーム内で生きていることだから。それを"神"としているから。偶像礼拝の罪の結果なのだ。神はそのセルフのフレーム化を否めと言われる。これが十字架だ。そこから出よ!と言われる。船から水の上に降りて歩いたペテロのように。それはイエスの語り出された言葉、レーマによるのだ。魂を否む必要があるのは、それが神の信仰、神のレーマのフレーム化を妨げるからだ。まことに

神の語り出された言葉(レーマ)には不可能はことはない。-Luke 1:37

信仰は神のレーマにより、レーマの信じるに足りる根拠は神のご人格によるのだ。それは全宇宙の存立と関わる。今、ここで、宇宙に秩序があり、われわれがこうして生きていること自体が、神がいかなるお方であるかを証明している。ゆえに聖書の言葉はすべて信じるに値するのだ。自分の嗜好や、自分の価値観と沿うところだけを選り好みしてはならない。

追記:信仰を自分の努力で生み出そうとすれば、失望に終わるだろう。それは私由来ではなく、御霊が生み出すものだから。信仰のある無しを論じてプライドが傷つく人は、信仰を自分の信仰に置くミスを犯している。だから憤るのだ。信仰を置く対象は神の真実だけだ。

 

 

富のトランスファー

善良な人はその嗣業を子孫にのこす、しかし罪びとの富は正しい人のためにたくわえられる。-Prov 13:22

カネというものは実に不思議なもの。ボールを棒で打ったり、転がして何億を得る人々がいる。文化を継承する働きをする教師や研究者などは一千万そこそこ。。医者でも勤務医なら一千数百万、開業医で三千万とかのレベル。総じて、肉を喜ばせる業界にはカネが集まる*1。今、すべての縛りから解かれて振り返ると、極私的にもかなり奮闘はしたが、個人レベルでは二千万ちょっと手前までだ。

だが、これは世のテクあるいは法則を用いてのこと。この12月以降、霊的な世界に深くタッチするようになった。霊のサブスタンスをこの地に現出させるコツが開かれつつある。そこで、私はこの信仰の法則により、富もなおいっそうゲットしたいと思っている(まずは「思う」ことが大切)。もちろんプール付きの豪邸に住み(今の富士山の一望できるRB付き3LDKで満足)、ベンツに乗るためではない(車はFORD車でいい、プリウスは乗りたくないなぁ~)。神の国の前進のためだ。かくしてこの聖句、今、マジで受け止めている。世の富が神の国に移転してくるのだ。それは富に仕えることではない。むしろ富を統治すること*2

かくして信仰の法則は実に単純。

求めよ、そうすれば与えられる。-Matt 7:7

御言葉をこちゃこちゃと弄り回すのではなく、単純に聞いて、信じること。深い霊的解き明かしとか、なるほど・・・と唸らされる解説とか。人生のしみじみした味わいを楽しむとか・・・。まあ、それはそれでどうぞだが、今、ここで、神が語るレーマを聞くこと、これが信仰。神は「アイ・アム」、現在形だ。いわゆる霊的書物とかオツムの中の聖書知識とか、一度、一旦すべて棚卸してしまう必要があると感じているところだ。すべてはまず捨てること、手放すこと、明け渡すことから始まる。

かくして霧に閉ざされた船の中のジョージ・ミューラーのように(彼が生涯で動かした額は相当のものだ)、単純に祈り、神の答えを得て、ドアを開けると晴れていた。まことにこのダイナミックな信仰こそ、私たちの永遠の現在の経験なのだ。

 *1:禁欲的かつ自己抑制的なクルシチャンに申し上げると、一度いわゆる肉の欲を満たすことに没頭すればわかるが、最後は伸びきったゴムひものような状態に陥ってしまう。別に禁欲するまでもなく、もうお腹いっぱいになるのだ。

 *2:イエスは神とカネに仕えることはできないと言われた。カネをゲットするなとは言っていない!いわゆる繁栄を嫌う人々は、嫉妬の裏返しであることを知り、宗教の霊から解かれる必要があるだろう。

CLIP:本当のシナイ山

WOW! これは素晴らしい。

-本当のシナイ山

-シナイの砂漠と出エジプトの道筋

このミニストリーはSDAのようですが、彼らの聖書預言解釈と考古学への情熱は大いに学びになります。

 

CLIP:666の正体-カトリック

この9月にはいろいろありそうだとの観測が飛んでいる。おフランシスさまがアメリカを訪問、オバマと会談するとか。以前より、極私的には大淫婦はカトリックであるとここでも書いてきた。まず間違いないと思っている。果たして最後の7年がこの9月から始まるのか、極私的には?だが、一部の前艱難期携挙説を採る人々はかなり確信をもって発言しているようだ。いつも言うが、心情的には前艱難であって欲しいのだが・・・。このCLIP、なかなか面白い。

-ヨハネの黙示録666の正体

 

CLIP:デリバランスの祈り

従順とは何か?

簡単である。御言葉に書いてあるとおり信じ、行動すること。例えば-

・病気の時:私たちはイエスの傷により既に癒された⇒癒された者として振る舞い、行動すること。

 例1:イエスは足萎えに向かって、「立ってあるけ」と言われた。癒されてから立って歩くのではない。立って歩くと癒しのサブスタンスが現出するのだ。

 例2:生まれつきの盲人にツバキで泥をこねて目に塗り、シロアムの池に行って洗えと言われた。目の見えないままの状態で。それに従って行動すると目が開いた。

・欠乏の時:神はご自身の富に従って、栄光のうちにキリストにあってすべて満たす⇒すでに必要が満たされた者として振る舞い、行動すること。

 例:イエスは五千人、また四千人を養うとき、すでに父が叶えてくださったと知り、感謝し、パンを祝福して裂いた。するとみなが満腹し、十二のかご、また七つのカゴにクズがいっぱいになった。

要するに、主よ、与えてください、と嘆願するのではない。すでに主は語っているのだから、受け取り、得たと信じるのみ。そしてそれに応じた行動をする。するとそのサブスタンスが目の前に現出するのだ。この天、すなわち霊的領域にあるサブスタンスを見ること。そのとき「得た」と分かる。すると行動はそれに応じたものとなり、時系列の中でこの地、すなわち物理的時空間に現出するのだ。このコツが開かれるならば、かなりヤバイ。なぜ?イエスと同じ業を、否、それ以上の業を我々がなすからだ(John 14:12)。

だから、サタンは躍起になってキリスト教の世界に信者を閉じ込めている。愛こそすべて、弱者に寄り添い、なぐさめ、同情し・・・・と。これははっきりという、負け犬の世界だ。われわれはキリストにあってあらゆることにおいて勝ち得てあまりあるのだ(Rom 8:37)。英語では"more than conqueror"。勝利者以上の者だ。なぜ?キリストとの一体化により、キリストの勝利に私は包括されているからだ。だから、いわゆる霊の戦いも、すでに勝利した者として振る舞い、行動する。ここでもポイントはマインドのトランスフォーメーション。

なんでも祈り求めたものはすでにかなえられたと信じなさい。そうすればそのとおりになる。-Mark 11:24

信仰はすべて完了形。これから・・・ではなく、すでに、だ!

 

油まき事件の霊的本質

高学歴のNY在住の医師と言うことで世間の格好のネタになる事件だが、本質はこれこそが霊の戦いなのだ。サタンは自分の存在を隠すことがその戦略。今回の件で霊の戦いなどは妄想、狂信者、カルト、異端とされるだろう。霊の世界に開かれてない者にとっては、世の人であれ、キリスト教徒であれ、あの者は自由に働けるようになる。先にも指摘したが、世の価値観に媚びる向きが出るだろう。一部のいわゆるカルト対策牧師なども霊的には盲目にされている。

霊的世界は共に(=神の国とサタンの国)この世に進入している。その相克の中で今回の事件は起きている。み言葉に戻ること。いずれ目の 開かれていないニッポンキリスト教徒は聖書自体を否定するだろう。否、既にその兆候がある。世間を神とする罠に陥る、ニッポンキリスト教はすでにWW2においてその誤ちをしているのだ。騙されない者は幸いだ。

追記:本件を正当化するつもりもないし、潔く認めて謝罪してほしいが、あえて言うなら、イエスが宮清めした行為も現代なら立派な犯罪にされるだろう。しかるにイエスは処刑されたわけだが。そもそも世はすべて幻想、フェイクなのだ。

-最近の日本に思う -われわれはどこから来てどこへ行くのか-

ニッポンの近未来。

-You’ll Be ENRAGED When You Find Out What the FBI Just Did– 30 Cities Targeted

内容はこちらに邦訳が。

-FBI、小型飛行機を飛ばして米国民を監視中!

 

CLIP:天皇制とは何か

今回の神社の油巻き事件と関連して、再建主義の富井氏とはまっこう対立の論文。

-天皇制とは何か

その時代を潜った人と、神学オツムの人では違うことは明らかだが・・・。再建主義によれば、世界が福音化される暁には神社も寺も消失するはずなのだ、論理的帰結として当然・・・。

 

 

「霊の戦い」系の方々に一言

この戦場は第一に私たちのマインド。マインドこそがバトル・フィールドなのだ。マインドは霊と魂の接点。敵はここにあらゆる火矢を打ち込んでくる(Eph 6:16)。罪定めの感覚、後悔、絶望感、欝、不安・恐れ、焦り・緊張、妬み・嫉妬、不純な想い、野心などなど。それに対してパウロはこう処方箋を出している。

わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ-2Cor 10:3-5

この時に最も大切なことは、私たちが自分の力で勝利を得ようとするのではない。それは消耗戦。敵はそこにわれわれを落とし込みたい。が、すでに十字架でイエスが勝利しているのだ!このスタンスを保つこと。私たちはすでにキリストとともに死んで復活し、天の座に共に座している!敵は私たちのはるか下にいることを忘れてはならない。

罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし―あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。-Eph 2:5-6

聖霊派の一部では神社仏閣を破壊したい向きもあるようだが、見当外れだ。まずそのような想いに囚われていること自体が敵の策略にハマっている兆候。私たちのマインドを見張り、マインドを平安と安息で満たすこと。つまり霊につけられた思いはいのちと平安である(Rom 8:6)。これが魂が繁栄すること。するとあらゆる領域で繁栄し、健やかになれるのだ(3John 1:2)。

今回の事件の方もある意味、ニッポン・キリスト教に見切りをつけた節が感じられる。しばしば宗教ではなく、主との関係であると強調している。ただ、聖霊様、聖霊様を繰り返すのは極私的には違和感を覚えるところだ。聖霊はイエスを証する霊。私たちはイエスの名を呼ぶべきだからだ。これは最近、意外にもベニー・ヒンも言い出している・・・・。「聖霊様」とか「聖霊充満」といった用語はチョウ・ヨンギ由来と推測するが、ややキムチ臭い。今、私たちに与えられた救いの名はイエスのみ!

-霊的戦いについて

-御霊と人の関わりについて-油注ぎと油塗り

 

油清め事件の本質-アイデンティティー・クライシス

この考え方と実行って、聖書のどこを根拠にしているのだろうか?油は聖霊の型であり、王が預言者によって任命されるときに注がれた。新訳では病気の癒しのために油を塗ることが勧められている。清めはイエスの血と御言葉の水によるのだが・・・。本人は悪意はまったくないようで、むしろ自分を預言者として率先して行っていたようだ。多分、なぜ逮捕状が出されたのかも理解できないのではないだろうか?

この方のお姉さんとは、かつてVIPクラブと関わっていた頃に親しくしていただいた。都内の豪邸に住んでおられるのだが、韓国からの帰化人であるため、アイデンティティー・クライシスを経験されたと言われていた。在日系の人たちは日本社会でけっこう成功している方々が多い。パチンコ業界はいわずもがな、芸能界や経済界、さらにマスコミなどはかなり彼らによって占有されている。このアイデンティティーを得ようとする努力する過程で、各分野で成功してしまうのだろうか?私などはそういったハングリー精神がないので、いつまでも小市民なのだ・・・(やや自虐的に)。

それにしても本人のメッセージを聞いても、何か日本文化に深層心理的なレベルで敵意を感じているような節がある。神社とか寺は悪霊の巣窟であるとか・・・。極私的には神社や寺の雰囲気はけっこう好きなのだ。元々私は禅に入れ込んでいた人間であり、道元の『正法眼蔵』や鈴木大拙のことはここでも何度も紹介している。静岡の臨在寺の倉内松堂老師とも交流があったし、永平寺の七十六世管長秦慧玉禅師とも間接的に関係があったこともかつて書いた。再建主義の富井氏のようにすべてはユダヤ教のものとは断定はできないが、類似性は大いに感じている。かくして今や一線は引きつつも、神社や寺には親しみを覚える次第。

そもそも神の国とこの世とは対立する。

あなたがたは、この世の形に形づくられてはならない。むしろ、思いを新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。-Rom 12:2

世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。-1John 2:15

神の国のリアリティ、あるいはサブスタンスがこの地に現出するときには必ず摩擦が生じる。なぜか。この世は法的権利はすでにないが、サタンの配下にあるからだ。彼はあらゆる手段を持って神の国の現出を阻害しようとする。こちら側はよほど思慮深くないと、相手は隙を突いてくる。今回の件で、いわゆるクリスチャン側がすべての宗教に寛容であるべきだとして、霊的妥協に陥る危険性がある。世に媚びる形で。この物理的時空間においては現在の経綸ではもろもろの霊的存在が混在することは不可避である。が、霊的領域での妥協は決して許されない。私たちは常にこの二つの領域と関わりつつ生きていることを意識する必要がある。なぜなら

もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。-John 15:19

イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。-John 18:36

私たちは世にいるが、世のものではない!実はここでも在日の方や帰化された方のようにアイデンティティーの確立が重要なのだ。多くの場合、信仰の危機はアイデンティティーが脅かされることから生じるからだ。私は一体何者か。神の新創造であり、世には置かれているが、世の者ではない。この経綸は寄留者として送るべきなのだ(1Pet 2:11)。

追記:この方は霊的なメッセージのみでなく、オバマケアの裏を暴いたり、米政府の闇など、かなりきわどいことを語ってもいるようだ。

追記の追記:残念ながら、本人は否認している模様だ。ごめんなさい!と言ってしまったほうがよいのだが・・・。 

 

 

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